ジャンク闘病日記2001・その3

11月2日
大阪老妻病院。噂の名医秋田先生の承諾を得て、手術と入院の日程が決まった。となれば駆け足で検査を受けまくらなくては。
この日の検査は入院にする際に必要なもので、会社や学校でやる健康診断とほぼ同じ内容。血液と尿、胸部及び頭部レントゲン、心電図、呼吸器の診察など。肺活量が正常値を下回っていた。

最後に、今までの病歴と家族構成についての質問。普段あまり家族に思い出してもらう機会のない父親が久しぶりに脳裏に浮かんだ。父は20年以上前に胃ガンでこの世を去ったのだ。ガンと遺伝子の関係はあるのかないのか。あったとしても私の腫瘍(殆どの脳腫瘍と同様、良性である)と父のガンは質的に違うだろうとは思うのだが。

この診察から入院まで2週間、仕事は殆ど休ませてもらった。しょっちゅう頭痛に悩まされ、体力はまた一段と衰えていった。多分この時は100メートル走ろうとすれば1分ぐらい要したのではないだろうか。

友人の中村さんが入院中の暇つぶしに、とゲームボーイのソフトとワンダースワンを貸してくれた。中村さんは電車で乗り合わせた見知らぬ小学生にポケモン勝負を挑んでいく程のゲーム女なのだ。

11月19日(入院1日目)
近所の宮本さんが車で病院まで送ってくれるというので遠慮なく乗せていただいた。この宮本さんのダンナは骨肉腫で手術したのだが、発見までに1年も大きな病院の整形外科に通い続けたらしい。私などまだ早期に発見された方なのかも知れない。
朝8時前に宮本さんが迎えに来てくれた。ベンツ!渋滞にも引っかからずスムーズに走っていたのに、20分もすると期分が悪くなって通りすがりの駐車場で小休止して行くことにした。ナサケナイ。それでも指定された通り9時には病院に着いた。

老妻病院は東西に長く横たわる建物で、南側に幹線道路、北側に緑地公園が臨める。私は東の病棟、一番東端の4人部屋に入った。ここは最も新しい病棟で、トイレは全室車椅子対応、ウォシュレット付きという恵まれた場所。しかし病室に鍵のかかるロッカーとハンガーをかけられる場所がないのが少々不便であった。

昼前、担当の看護婦、皆川さんから説明があった。皆川さんは小柄でかなりカワイイ女の子である。今日は他の患者の手術があって医者と面会できるのは夕方になりそうだとのこと。今日はそれまでする事がない。
オイオイ、じゃあ吐きそうになったのを我慢して朝早く来たのは何の為だったの?
ヒマが出来たので近くのスーパー、古本量販店で買い物をしてきた。夜寝られなくなると困るのでしんどいけれど昼寝は我慢。
結局医者が来たのは夕方6時を過ぎてからだった。主治医は沢崎先生。山崎先生より10ぐらい若いだろうか。この日は手術までの予定を説明しただけで終わり。

消灯は午後9時なのだが8時を過ぎると病院全体が静まり返って物音を立てるのがはばかられる状態になる。私も比較的素直に消灯時刻を守って眠った。

11月20日(入院2日目)
この日の予定は午前8時半から下垂体四者負荷試験、その後抗生物質アレルギーテスト、午後はMRI。

負荷試験とは下垂体の機能を調べるためのもので、まず最初に採血した直後、分泌刺激ホルモン製剤(下垂体に対してホルモンを出させる働きをするホルモン)を注射してその後30分毎に4回採血。分泌刺激に対して下垂体が正常に反応するかどうかを調べるのである。可能性は低いが下垂体卒中を引き起こすこともあるので入院中の患者にしか行うことが出来ない。血液を採るので朝食抜き。
最初に静脈を確保して採血、分泌刺激ホルモン製剤を注射。そして確保した静脈にガスの元栓のような物(下図)をつける。以後の採血はここから行うので1回ずつ針を刺す必要はない。

ホルモン製剤を注射した後、腎臓の辺りが僅かにチクッと痛いような痒いような感じがした。その後すごい寒気が襲ってきて、カーディガンを着込み、布団にもぐり込んだ。院内は暖房がガンガンに効いていて、医者や看護婦は殆どが半袖姿で働いているのに。
30分経つと看護婦の大矢さんが採血にやって来た。私が震えているのを見て、注射の恐怖に怯えているのかと勘違いしたそうだ。
その後も30分毎に採血を繰り返す。血が固まらない様にするために入れる薬がちょっと痛かった。

11時前、負荷試験の最後の採血が終わったので遅めの朝食。その後抗生物質のアレルギーテスト。2種類の皮下注射。皮下注射は静脈より痛い。

12時、昼食。入るかッつーの。昼過ぎには同室の明石さんが手術に出陣。昨日頭を刈った時は沈んだ表情だったが、落ち着いた様子で出て行った。

夕方、MRIに呼ばれる。狭いつい立の間に頭が入る様に寝転がって、更に頭が1ミリたりとも動かないようぎゅうぎゅうに詰め物を挟む。私は撮影部位が頭部なのでまだこの程度で済むが、腹部を撮影する際は何分も息を止めたり唾を飲み込むのを我慢したり、大変らしい。
今回の撮影も造影剤を入れた。撮影が終わるとお茶を沢山飲んで造影剤を出してしまうよう指示された。

11月21日(入院3日目)
昼前に脳血管造影検査の説明、午後にはICU(集中治療室)の使い方に関する説明、麻酔科の受診が予定されている。

朝、やはり寒気に見舞われた。私が厚着しているのを見て掃除のオバチャンが
「アナタ、それ自律神経失調症やわ」
と診断してくれた。何でも自分の知ってる言葉で片付けようとする人っているよな。
同じ日に入院した水野さんが昼過ぎに退院。3日目にして私はこの病室の最古参になってしまった。その後、他の病棟から大きいのから小さいのまで景気良くお漏らしなさるバーサンが移って来た。これは大変と消臭剤を買ってきたのだが、1時間も経たないうちにまた他の病棟へ移って行った。お年寄りは何種類もの病気を併発している方が多いのでこんな風に色々な病棟を渡り歩いてる人も珍しくないのかもしれない。

この日は終日気分が悪くて、血管造影の説明もその後のICU訪問も上の空だった。麻酔科を受診した時は本気で倒れそうになった。

11月22日(入院4日目)
いよいよ脳血管造影検査。下垂体のすぐ両側には脳に栄養を送る重要な内頚動脈が走行しており、この動脈の走行異常や奇形がないかを調べるのがこの検査の目的。手術に匹敵する大掛かりな検査と言われているが、検査中の意識がハッキリしているため感じる恐怖は手術以上である。

昼前に点滴開始。検査前の昼食は抜き。検査が始まる少し前、肩に安定剤を打つ。筋肉注射なのでとても痛い。
検査室に入ってまずは血圧を測った。上が96で下が65。こんな大きな検査直前なのに緊張してないのかと沢崎先生に呆れられた。
局部麻酔を施した右肘から細い管を入れ、脳付近の血管まで進める。そこから造影剤を流し入れて撮影。この時使う造影剤はMRIで使う物とは別物で、これが通っている部分は熱く感じる。そのため、血管が枝分かれする様子が自分でも手に取るように判ってたいへん不気味だ。
撮影が終わるとカテーテルを抜いて止血。動脈なのでしっかり止めなくてはならない。沢崎先生が全体重をかける位の勢いで腕を抑える。自分が血管造影をやられた時は大腿部からカテーテルを入れたので検査後丸1日歩けなくて大変だったと話してくれた。その後テープでがちがちに固め、上に包帯、ギプス。翌朝まで外せないとのこと。

夕方、脳外科へ手術に関する説明と承諾書へのサインに行った。渡された書類には言語障害、知覚障害・・・手術によって起こり得る障害が数え切れないほど書き連ねられていたが、素通り。ただ、尿崩症だけは高確率で発生しますよ、と言われた。これは手術後水のような薄い尿が大量に出る症状。抗利尿ホルモンが不足して起こるもので、すぐに治る場合も長引く場合もあるらしい。
右手が動かせないので承諾書には母が代筆してくれた。この時、目が良く見えていないことに気付いたが、30分程経つと治っていた。

麻酔が切れた後の右腕の痛みは今まで経験したことのないほどのもので、どういう姿勢でいれば一番楽なのか確かめるためにベッドの上で七転八倒。どういうワケだか筋肉注射の跡もいつまでも痛かった。
消灯直前、点滴が終わると看護婦の田口さんがギプスを外してくれた。沢崎先生が朝まで着けていろといっていたが、「もー、先生は何言ってんの」と無視。田口さんはこれ以外にも自分の判断で動いてくれて、頼りになる人だった。

11月23日(入院5日目)
祝日なので何もすることナシ。することは無いけど手術前に風邪などひいてはいけないので外出外泊は出来なかった。何人かが見舞いに来てくれたが、熱が38度近く出ていてしかも何故か昨日の右肩の注射跡がズキズキ痛んで気分が悪く、割とすぐに帰ってもらった。

11月24日(入院6日目)
終日眠いこと眠いこと。夜、就寝前に下剤を飲む。以前ピンクの小粒を、指定された半分しか飲んでないのに倒れそうになったことがあって、少し勇気が要った。

11月25日(入院7日目)
母が古本屋で買って来てくれた遠藤周作の本に4つ葉のクローバーが3本挟んであった。この本の前の持ち主もまさか手術直前の患者にこれが渡ることになるとは思ってもみなかっただろう。
手術に対する恐怖感を完全には払拭出来ないものの、手術が終わればこの頭痛は消えるのか、年並みの体力が戻ってくるのか、など希望のイメージが日に日に膨らんできた。
これは入院してみて同じ病気の人々と生活を共にし、話を聞けたためだと思う。実際、この病棟には2度3度の手術を経験した人がごろごろ居た。私は病棟内で最も軽傷な患者の一人だったと思う。

夕方、見舞いに来てくれた友人と話していたところ、風呂に入るよう指示があった。この日は日曜日なので普通の風呂は使えないのだが、手術を控えた私だけが特浴室を使えることになっていた。
特浴室は車椅子や寝たきりの人が介助者と共に入浴するための特殊な風呂がいくつも並んでいる部屋。あまり良い眺めではなかったが、広々とした空間を一人占め出来た。

夜9時、眠剤を飲んで就寝。いよいよ手術は明日だ。(続く)