11月22日(入院4日目)
いよいよ脳血管造影検査。下垂体のすぐ両側には脳に栄養を送る重要な内頚動脈が走行しており、この動脈の走行異常や奇形がないかを調べるのがこの検査の目的。手術に匹敵する大掛かりな検査と言われているが、検査中の意識がハッキリしているため感じる恐怖は手術以上である。
昼前に点滴開始。検査前の昼食は抜き。検査が始まる少し前、肩に安定剤を打つ。筋肉注射なのでとても痛い。
検査室に入ってまずは血圧を測った。上が96で下が65。こんな大きな検査直前なのに緊張してないのかと沢崎先生に呆れられた。
局部麻酔を施した右肘から細い管を入れ、脳付近の血管まで進める。そこから造影剤を流し入れて撮影。この時使う造影剤はMRIで使う物とは別物で、これが通っている部分は熱く感じる。そのため、血管が枝分かれする様子が自分でも手に取るように判ってたいへん不気味だ。
撮影が終わるとカテーテルを抜いて止血。動脈なのでしっかり止めなくてはならない。沢崎先生が全体重をかける位の勢いで腕を抑える。自分が血管造影をやられた時は大腿部からカテーテルを入れたので検査後丸1日歩けなくて大変だったと話してくれた。その後テープでがちがちに固め、上に包帯、ギプス。翌朝まで外せないとのこと。
夕方、脳外科へ手術に関する説明と承諾書へのサインに行った。渡された書類には言語障害、知覚障害・・・手術によって起こり得る障害が数え切れないほど書き連ねられていたが、素通り。ただ、尿崩症だけは高確率で発生しますよ、と言われた。これは手術後水のような薄い尿が大量に出る症状。抗利尿ホルモンが不足して起こるもので、すぐに治る場合も長引く場合もあるらしい。
右手が動かせないので承諾書には母が代筆してくれた。この時、目が良く見えていないことに気付いたが、30分程経つと治っていた。
麻酔が切れた後の右腕の痛みは今まで経験したことのないほどのもので、どういう姿勢でいれば一番楽なのか確かめるためにベッドの上で七転八倒。どういうワケだか筋肉注射の跡もいつまでも痛かった。
消灯直前、点滴が終わると看護婦の田口さんがギプスを外してくれた。沢崎先生が朝まで着けていろといっていたが、「もー、先生は何言ってんの」と無視。田口さんはこれ以外にも自分の判断で動いてくれて、頼りになる人だった。
11月23日(入院5日目)
祝日なので何もすることナシ。することは無いけど手術前に風邪などひいてはいけないので外出外泊は出来なかった。何人かが見舞いに来てくれたが、熱が38度近く出ていてしかも何故か昨日の右肩の注射跡がズキズキ痛んで気分が悪く、割とすぐに帰ってもらった。
11月24日(入院6日目)
終日眠いこと眠いこと。夜、就寝前に下剤を飲む。以前ピンクの小粒を、指定された半分しか飲んでないのに倒れそうになったことがあって、少し勇気が要った。
11月25日(入院7日目)
母が古本屋で買って来てくれた遠藤周作の本に4つ葉のクローバーが3本挟んであった。この本の前の持ち主もまさか手術直前の患者にこれが渡ることになるとは思ってもみなかっただろう。
手術に対する恐怖感を完全には払拭出来ないものの、手術が終わればこの頭痛は消えるのか、年並みの体力が戻ってくるのか、など希望のイメージが日に日に膨らんできた。
これは入院してみて同じ病気の人々と生活を共にし、話を聞けたためだと思う。実際、この病棟には2度3度の手術を経験した人がごろごろ居た。私は病棟内で最も軽傷な患者の一人だったと思う。
夕方、見舞いに来てくれた友人と話していたところ、風呂に入るよう指示があった。この日は日曜日なので普通の風呂は使えないのだが、手術を控えた私だけが特浴室を使えることになっていた。
特浴室は車椅子や寝たきりの人が介助者と共に入浴するための特殊な風呂がいくつも並んでいる部屋。あまり良い眺めではなかったが、広々とした空間を一人占め出来た。
夜9時、眠剤を飲んで就寝。いよいよ手術は明日だ。(続く)