ジャンク闘病日記2001 |
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登場する病院名、個人名は全て仮名ではありますが、一部そのまんま過ぎる表現もあります。ごめんなさい。 |
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3月にムチウチのような症状が出て以来、ずっと右肩が痛んでいた。単なる肩こりなんじゃないかと言う人も居たが、左肩は時々しか痛くならないし、説明し難いのだが肩こりとは全く感覚が違う。 ちょうどその頃、右耳の外耳炎と右目の結膜炎も患った。その頃はなにか大きな病気との関連性を疑う事はなく、単に消炎剤を飲んでいたから抵抗力が落ちていたのかな、という考えに落ち着いていた。その時は、症状が出ているのは全て体の右側、という事実から何らかの関連性を見出すことは出来なかった。 9月11日 9月14日 出来上がった写真を持って大田先生の病院へ。 その通りだった。膝が僅かに震えているのが解る。 「多分、手術以外の方法で大丈夫だと思いますよ。この写真を見る限りは悪性じゃないでしょうから・・・取り敢えず寺田病院の脳外科と連絡を取ってみます」 MRIのフィルムには、特に問題の無かった頚椎と肩関節の鮮明な写真が何コマも連なっていた。そしてほんのついでに、隅の方に写っていた頭の片隅に異常が見つかった。問題の箇所はかなりぼやけていた。 脳腫瘍。耳に届いた言葉を理解しようとしない自分が居た。 自転車を引き摺る様にして帰宅。今まではなんとか自転車に乗ったまま登れていた坂道。距離にして200メートル程だろうか。今日はその道が何キロもの長さに感じられた。 相変わらず同時多発テロのニュースが溢れていた。今なら誰にも気付かれずに自殺できるかも。そんな考えが何度も頭に浮かんでは消えた。しかしヤクルトスワローズの優勝を見届けるまでは何があっても死ぬわけにはいかない。 |
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9月15日 それまで胸の奥で不完全燃焼を起こしていた恐怖、不安、「何故私だけがこんな目に・・・」という孤独感がずいぶん和らいだ。 下垂体腺腫については こちらを参照して欲しい。自分なりに調べてみて、プロラクチン産性腺腫ではないかと思った。9月の生理がまだ来ていないからである。自分としては来ない方が楽でいいなあ、ぐらいにしか思ってなかったのだが。9月17日 地下鉄大阪ドーム前駅からドームの席に着くまでの階段が非常に辛い。下垂体腺腫にはスタミナ不足、疲れやすくなるという症状もあるらしい。 9月18日 9月20日 |
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9月25日 という事。薄いカーテンを隔てて、前の患者さんの病状を説明する声が逐一聞こえてくるのだ。私が診て貰っている間も他の患者さんにバレまくりなのでは・・・と不安になったが、実際に私が診て貰うと、さほど大きな声ではなかった。お年寄りの患者さんが相手の時は、あんな声になってしまうのかと納得。 診て貰ったのは脳外科の部長を務める山崎先生。 病状については何も断言はされなかったが、Hardy法なら簡単だから心配しなくていい、入院も短ければ2週間で済むから、と言われた。 手術の安全性と必要性を強調されると、怖がっている自分を責めたくなった。 9月28日 |
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10月2日 10月6日 というのはスワローズらしくてとてもイイと思った。そう言えばパリーグで優勝したバファローズも代打逆転満塁サヨナラホームランで優勝を決め、らしさを充分に発揮していた。 素晴らしいシーズンだった。このチームを好きでいられて幸せだった。これからもずっと、勝てる年も勝てない年も応援しようと思う。 手術への覚悟はまだ固まっていなかった。Hardyで済むからと言ってくれてるのだから・・・と何度も自分に言い聞かせていた。(続く) |
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