教育は百年の計
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 「教育は国家百年の計」とはよく言われます。人作りはまず教育からというわけですが、日本では千八百六十八年の明治維新による日本帝国憲法の時代の明治二十三年 (千八百九十年)十月三十日に「教育勅語」が発布されてから千九百四十五年の太平洋戦争における日本の敗戦以後の日本国憲法にともなう千九百四十七年の教育基本法への転換となり、千九百九十九年時点では、また教育の問題が教育基本法の見直しを含めて議論の場に上ろうとし始めています。 かれこれ五十年ちょっとで教育基本法を変更しなければならないのではという考えが生まれたわけで、その結果二千六年十二月十五日には改正教育基本法が作られました。 改正教育基本法は戦後のどさくさの時期を除いて経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言した千九百五十六年に本格的にスタートしたとも言える戦後の日本経済においてちょうど五十年目に当たります。教育の根幹である法律で見ると五十四年(教育勅語の時代が実質的には敗戦の年の千九百四十五年までだったとすれば五十四年目に教育基本法に変わったと言えます)ちょっとと五十 九年ほどのところで日本では教育の問題が大きな方針転換をしているといえるので、「教育は国家百年の計」といっても日本の教育政策の寿命は少なくとも日本の近代以降の歴史で見ると百年までは持ちこたえることができずに変更されていくと言えのるかもしてません。 教育は国家百年の計とは言葉の上で語呂がいいだけで実際には教育の基本方針は日本ではもっと寿命が短いと言うのが現実のようです。国の基本となる憲法でさえ戦後の日本国憲法が施行されて七十年ほど経った時点では改正論議が出てくるのですから教育に関する基本が百年もの長き命を持つものだとも考えられなくなるのは当然とも言えます。 それどころか二十一世紀を迎えた時点での日本の教育制度は朝令暮改の感があるほどしょっちゅう制度や方針が変えられています。 ゆとりの教育で総合学習が注目されたかと思うと、学力低下でゆとり教育の見直しをしようなどとの意見が出たり、 詰め込み教育は悪だとか偏差値教育でいいのかなどとの批判が出るかと思うと薄くなった教科書でいいのか、などいろいろな変化が次から次へと起きています。

 経済の分野にはコンドラチェフ波と呼ばれる景気循環のサイクルが知られています。四十五年から五十年を掛けて巡ってくる 大きな景気変動の波動でソ連の経済学者コンドラチェフが発見したので彼の名前で呼ばれている景気循環の波のことです。ソ連では共産主義の社会であったために千九百二十九年の大恐慌が資本主義の終焉ではなく資本主義に伴う一つの景気循環だと言うだけで資本主義が終焉するわけではないとした彼の意見は当時のソ連共産党当局ににらまれるもので、彼は獄中につながれると言う運命をたどりました。マルクスの『資本論』によれば資本主義はいずれ終焉し労働者階級の共産主義の社会が訪れるとされていたからです。不運な運命をたどらされた彼の考えを拾い出し救ったのがシュンペーターでした。

 日本の教育を巡る国の基本方針の寿命はなぜかこのコンドラチェフ波のサイクルの長さに似ていると言えないでしょうか?ことに戦後の教育基本法に対してその見直し云々が取りざたされ始めた時期は、戦後という時代の長さから考えてちょうどコンドラチェフの景気循環の時間的長さに近いように感じられます。また戦後の教育基本法を巡っていろいろの取りざたがされ始めた 時点はまさに日本が大きな景気変動を経験している時期と重なっているわけです。バブル経済とその崩壊をコンドラチェフ波として見る見方は当然存在していますので国の教育方針も経済的な大きな変動と軌をいつにして変化を起こすと考えてもおかしくないようです。江戸時代は武士階級の子弟が通う藩校と庶民の子供が読み書きそろばんを習う寺子屋という教育機関が存在していたわけですが、明治維新による四民平等の方針に基づく教育改革によってそれまでの庶民の子供でも頭脳さえ優秀であれば国家の仕事にも就くことができるという条件が生まれ出ました。ある意味ではこれが現在にも続く日本の学歴社会の土壌となっているといえます。 教育を受けることは立身出世への道であったからです。

 日本の社会が大きく変動しその方向の舵を大きく転換しようとするときにはこれまで常に教育の分野に手を加えると言うことが行われてきたのは歴史的な事実であり、またそのときには常に「天皇」が持ち出されてきました。江戸時代から明治へと転換するときの明治維新の尊皇攘夷・勤皇佐幕などはその典型であり、そして明治時代からの大日本帝国憲法においては天皇主権でした。第二次大戦の日本の敗戦による国家の再建時点では天皇主権から象徴天皇へ、また現人神から天皇の人間宣言などと大きく天皇の位置付けが変更されました。そして二十世紀も終わろうとしている時点で冷戦構造崩壊とともに起こった日本のバブル経済崩壊による日本の激動の中で日の丸君が代の法制化が行われました。これまでの為政者は天皇を時代の梶を切るときの梃子の支点に利用してきたとも言えると思います。天皇自身がそのような扱いを受けることを自分自身で望んだ訳ではなくとも為政者自身の力だけでは力不足なために天皇を梃子にするのです。少なくとも近代以降の日本の歴史においては天皇とは日本の社会の中でそのような役割を担っていた部分があると思います。二十世紀終盤における日本の選択はボーダーレス化して行く世界の流れに対応し世界との平準化を受け入れようとする方向を選ぶのか、それとも自国ナショナリズムの色彩の方を強めようとするものなのかが問われるところだと思います。ジェット機などの移動手段と通信手段の飛躍的な進歩によって世界の距離は短くなり、国家というものは世界あるいは地球全体からすればそれぞれの地域に存在する地方自治体みたいなものでしかないのではないのかと私などは考えてしまいます。財政赤字の地方自治体もあれば黒字の自治体もあるというように世界の国々が存在しそれぞれで利害がぶつかり合ったりするのですが、結局人類は地球市民という方向に歩んで行かざるを得ないものだろうと思います。日本で教育問題が政治家によって語られる場合「国家に誇りを持てる人間を....」と言った言葉がすぐに飛び出してくるのですが、国家に誇りを持つ持たないと言う前に地位や金の力で威張り腐らずに自己研鑽を励んでいると言うことで自分自身に誇りをもてる個人になれるように教育の場面で呼びかけることの方が先決問題なのではないでしょうか。自分に誇りを持つと言うことは何も人前で威張ることや他人を見下すことではないはずです。国に誇りが持てるか持てないかは政治家や官僚が誇りのもてる国にするように国政を運営するかどうかに大きく関わることであり、学生の身分の人間が誇りを持つように無理強いされるべき問題ではないはずだからです。 ましてや苦戦した日ロ戦争などをあたかも楽勝であったかのように表現してみせることで日本に誇りを持てるようになるわけでもありません。そして国民の側からすれば誇りの持てる政治家に登場してもらいたくもなるのです。諸外国から物笑いにされるような首相ではいくら国に対して誇りを持ちたくとも持ちようもないのです。バブル経済の崩壊で自信を失 い意気消沈してしまった日本人をバブル崩壊後に三人の日本人がノーベル賞を受賞したことで「日本人は自信を持っていい」と小泉首相は述べました。そして小泉構造改革 と好調なアジア経済に引っ張られて幾分経済情勢が良くなると安倍首相は誇りを持とうと言い始めたりします。ですが国に誇りを持つことよりも先に「地球市民」あるいは「命ある星の住人」として世界のどこにいてもそれなりの役割をはたし得る人間になるように教育が若い世代に呼びかけることの方が遙かに重要なことだと私は思っています。二千七年七月十八日のNHK放送大学の「心理学入門:文化と人」では、誇りを持っていると答えるアメリカの学生は理数科目の成績が低く、それほど誇りを持っていると思っていない韓国人や日本人の学生の方が理数科目の成績はよいとのことです。誇りを持つこととその誇りに裏付けがあるかどうかは別物とも言える部分がありそうです。すなわち誇りを持つだけではダメなのです。誇りを持っても気持ちだけの上滑りと言うこともあるからです。

 アメリカでは大分以前から「Think globally Act locally」と言う合い言葉が生まれています。教員が使う公の便箋などにはその言葉が印刷されています。「地球規模で考え地域的に活動しよう」と言ったところですが、日本全体にとっての問題だけでなく世界に共通し世界全体の問題、あるいは地球全体にとっての問題が何であるのかを頭に置きながら、その解決の為に自分たちができることを狭いにしても自分の身近なところで解決できるものから手を着けていこうという発想は納得できます。ゴミ問題、排ガスから生まれる地球温暖化の問題、騒音問題、リサイクルの問題、化学物質に関連する環境ホルモンの問題など現在の我々の抱えているものは我々の身近にあるものです。そしてそれらは我々が日々暮らして行くことの副産物であるというものでもあります。世界を日本のビジネスマンが飛び回るのも悪いわけではありませんがその妻が地域で活動してはいけないと言うものでもありません。国家のためや組織の為だけに生きる必要もないといえます。人間は地球上のどこかで暮らさざるを得ません。その地域で地球規模の問題にも関連してくる問題で何か小さくともできることから活動して行こうというのは十分意味のあることだと思いますし、情報通信が完備されてくれば各々の地域にバラバラに存在しているそれらの人たち同士が手をつなぐことも可能になります。それは国内だけではなく世界の人たちとも連帯したり連携したりできますし知恵を寄せ合うことも可能になります。一国だけでは解決できない大きな問題が世界にはますます増えてきている状況の中では国家意識を優先するよりも世界とのつながりを多くの人々が強めていった方がいいとも思うのです。それは国家でさえも問題が一国だけでは解決できないほど大きな問題でありながら世界中の人たちが問題を一人一人で解決するように心がけていかなければどうにもならない身近なものであるからです。たとえば環境ホルモンや排ガスの問題をとれば、日本だけ でそれらを規制して環境を改善したとしてもアジアの多くの発展途上国と言われる国々が歩調を合わせてくれなければ日本近辺の海洋や地球全域の大気の状態などは改善し切れはしないのです。なぜなら日本はアジアの全部でもなくましてや世界の全部でもないからです。日本が模範を示してみせることは悪いことではなくとも、模範生を気取っているだけでは地球環境の問題は解決しません。日本だけでは地球環境改善の問題一つも可能にならないのです。 日本として協力できるものは協力し他国に協力してもらわなければならないものは協力を求めるというスタンスで様々な分野で国も一人一人も連携すべきだろうと思います。

コンドラチェフ1

コンドラチェフ2

郵政省通信部会

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