1歳半で阪神大震災で天国へ旅立った息子と生きていてくれた娘のために
 

学校からいただいた感想のお部屋へ
学校からいただいた感想のお部屋2

 

【 学校との交流 】
中学校2年道徳の副読本 
2009年版「あすを生きる」
に掲載していただきました
 
福岡県中間中学校 訪問

福岡県中間南中学校 訪問

石川県N小学校5年生 訪問
大阪府高槻市 阿武野中学校
学校からいただいた感想のお部屋へ
学校からいただいた感想のお部屋2
授業案の紹介『TOSSランド』など
感想をお待ちしています

授業でHPを使ってくださる方は、こちらからご一報くださいね(o^-')b


学校からいただいた感想のお部屋 1へ   
学校からいただいた感想のお部屋 2へ(2012年11月22日から) 

みなさんからいただいた感想をHP(ブログ)に掲載させていただいています。
掲載していいよとおっしゃっていただける学校は、感想を送っていただけるときに
その旨を書いていただけると嬉しいです。宜しくお願いします。

※学校名は、基本伏せさせていただいておりますが ご希望があれば 掲載させていただくことも可能です。


秋田県の小学校4年生のお部屋



ここでは、D小学校の4年生の授業参観の授業案を
送っていただきましたので御紹介させていただきます。

「総合的な学習の時間」第4学年

単元名【ひまわり大作戦!「ひまわりの種プロジェクト」】
1.これまでの活動を振り返りながら今日のめあてを確認する5分
将優ママさんがどんな気持ちからひまわりの種を交換してもいいよと言ってくれたのかを考え,お礼のお手紙を書こう。
種を交換するグループが,兵庫県でひまわりを育ててる将優ママさんと種を交換してもらえることになりました。今日は,将優ママさんがどんな気持ちからみなさんの種と交換をしてもいいよと言ってくれたのかを考えて,みんなでお礼の手紙を書きたいと思います。
2.将優ママさんの気持ちを考えるために将優ママさんのを聞く1 5分
◆手紙を書く前に少し,将優ママさんのことについて紹介します。【BGM@スタート】
将優ママさんはホームページで自分の家族のことを詳しく紹介していますので,その資料を使いながらみなさんに説明したいと思います。今流れている曲は将優ママさんのホームページで流れている曲です。「機動戦士ガンダムSEED」のエンディングテーマだそうですが,みなさんは知っていますか。それでは将優ママさんのことを紹介します。家族の紹介(資料1 最後の4人での記念写真1枚)

●将優ママさん家族は,兵庫県西宮市にお住まいです。向かって左側にいるのがお父さん,そして右側にいるのが,みなさんと種を交換しようと言ってくれた将優ママ(ちづ)さんです。二人の間にいる男の子と女の子の双子のお母さんです。それでは,双子を紹介します。将君と優ちゃんの誕生(資料2 将君と優ちゃんの誕生の写真5枚)

●男の子の名前は「将」君,女の子の名前は「優」ちゃん,平成5年7月5日午後11時ころ,なかなか子どもができなくて赤ちゃんの誕生をずっと待ちわびていた将優ママさん夫婦のところに,その気持ちに応えるかのように予定日よりも少し早くやってきました。平成5 年といいますとみなさんも同じ年に生まれていますね。そう,将君と優ちゃんは今小学4年生,みなさんと同学年です。地震の瞬間(資料4 千珠さんの手記資料5 実家の写真2枚)


●ところで,今から8年も前になりますが,平成7年1月17日に,将優ママさんの住んでいるところで大きな地震があったのをみなさんは知っていますか。阪神淡路大地震といいます。みなさんが1歳と少しの頃のことですので,お家の人しか当時の様子は分からないと思います。この地震が起きる3日前,将優ママさん家族は大阪で行われる結婚式に将君のお父さんが出席するというので,当時住んでいた山口県から千珠さんの実家がある西宮,二人が生まれてから初めて家族で帰省していました。そして,運悪くその地震に遭遇してしまうのです。今までに体験したことのない大きな地震に遭った時の様子を,千珠さんがホームページに細かく書いていますので,その手記を松村先生に読んでもらいます。【BGM止める】
◆地震の時の様子 将優ママさんの手記より
『平成7 年1 月17 日(火)午前5 時46 分、突然の大きなゆれ、熟睡していた私は、多分ゆれてすぐには、目を覚まさなかったような気がします。本当に大きく、床をぐるぐる回すようなゆれになって、はじめて気が付いたのです。私は、「何?これ?地震?」と大きな声で叫びました。横のほうで寝ていた母が、「そうや」と叫びました。その時、将くんの『うー』という、苦しそうな声を聞きました。その瞬間に、私は体を起こし、横にいるはずの将くんに手を伸ばしました。横にあったのは、木の壁・・・その木の壁が、将くんの上に倒れたタンスだということにすぐ気が付きました。「将くんがタンスの下敷きになっている」と叫びました。その瞬間の気持ちは、言葉で言い表すにはいい表現が見つからないほどの気持ちでした。そして、家がつぶれていることにはじめて気が付きました。それから、幾度となく,将君の上にあるタンスを持ち上げようとしましたが時間が過ぎていきました。遠くのほうから,救急車のサイレンが聞こえてきました。「ああ,助けにきてくれたんだ」と、思いました。でも、救急車は,止まることなく走り去っていったようでした。何度も何度も救急車のサイレンだけが近づいてきては,遠ざかっていきました。でも、あの時は、まさかあんなに大きな災害になっているとも、気が付かず,私達の家だけがつぶれただけだと思っていました。(原文)』

●これが,地震で崩れてしまった将優ママさんの実家です。この写真は3ヶ月後に撮られたものです。この地震では約6400人の方が亡くなりました。将君のお父さんは結婚式に出席した後,一人で山口県に帰っていたので地震の被害には遭いませんでした。それでは続きを読んでもらいます。
◆将君の死( 資料6 将優ママさんの手記)
『将君を助け出した頃にはすっかり明るくなり,まわりの様子がよく見えるようになっていました。急いで病院へ行くと,病院にはたくさんの患者さんがいました。やっと来てくれたお医者さんは,心臓マッサージをするように言うとすぐに別のところに行ってしまいました。やったことのないマッサージをどれくらい続けたことでしょう。私は、心臓マッサージをしながら、将くんに、ずっと話しかけていました。「パパが、もうすぐ来てくれるよ。将くんの大好きな新幹線のおもちゃをたくさん持ってきてくれるよ。10 時ぐらいには、来てくれるから、頑張って・・・」と、何度も何度も話し掛けました。私自身、パパがすぐに新幹線に乗って、ここに来てくれると信じていました。そして、将くんも必ず目を開けてくれると・・・・だから、途中何度も何度もパパの話をしました。目を開けてくれたら、パパがたくさんのおもちゃを買ってくれるとも言いました。」(原文)』
●午前8時50分,お医者さんはマッサージを止めなさいとお母さんに言うと,将君の手の甲に黒いマジックで,8時50分という時刻を書いて行きました。そうです,将君はお星様になってしまったのです。1歳と6ヶ月を過ぎたばかりでした。将優ママさんはこのときの心情を「私の幸せな人生が、終わった日です。」と書いています。一番初めにみなさんに見てもらったこの写真は,地震に遭う前日に家族で撮った写真です。これが家族4人でとった最後の写真となりました。将君のページとひまわりとあさがおとチューリップ(資料7 将君への手紙)
●将優ママさんはそれから5年後の平成12年1月17日に,「将君のページ」というホームページを公開しました。そして,そのページの中で「はるかちゃんのひまわり」と「いのちのアサガオ」の生長の様子を公開しています。「将君のことを書くのはつらいけど,たくさんの人に地震のことや将君が生きていたことを伝えたい,いつまでも,あのときのこと忘れないようにしたい」と,地震のことや将君との思いで,それに双子の兄を失った優ちゃんへの手紙など,たくさんの思いをホームページに記しています。将君と同じ4年生のみなさんとお家の人だったら,将優ママさんの気持ちがよく分かるのではないかと思って,今日,手紙を書く前に将優ママさんのことを紹介しました。【BGMA】この曲はみんなが知っている「ありがとうさようなら」という曲です。将君のお葬式のときに流した曲の一つです。将君の棺には将君が唯一知っているチューリップをたくさん入れたそうです。川口小学校でも毎年今頃チューリップを植えますよね。今年植える時に,将君のことを考えながら植えてくれるとうれしいです。最後に,千珠さんが将君に宛てた手紙を松村先生に読んでもらいます。どんな気持ちから種を交換しようと言ってくれたのか,考えながら聞いてください。
◆しょうくんへの手紙 【資料7】
○しょうくんへ

いま、どうしていますか?

しあわせですか?

おともだちは、たくさんできましたか?

ママは、いちばんにしょうくんにあやまらなくてはなりません。

しょうくんをおじいちゃんの

おうちへつれていってしまったこと。

しょうくんが、てんごくへたびだつそのときに、そばにいながらも、

だいてあげることも、てをにぎってあげることもなく、

くるしいおもいをさせているのに

ひとりぼっちで、てんごくにいかせてしまったこと。

そして、なによりも、しょうくんの、いきるはずたったじんせいを

いきさせてあげれなかったこと。

こんなにもうしわけなくおもっているのに、

いまもこうやっていきていることを…。

ごめんなさい・・・・

いまでも、てんごくにいくのが、しょうくんではなくて、

「ママだったらよかったのに」、なって、おもっています。

かわれるものなら、かわってあげたい。

そばにいってあげれなくてほんとうにごめんなさい。

しょうくんとゆうちゃんは、あかちゃんがほしくて

まっていた、ぱぱとままのところに、きてくれました。

パパとママをえらんでくれてありがとう

ふたりがママのおなかにはいったとき、

パパとママは、とってもとってもしあわせだった。

(中略)

なのに、あのひ、とつぜんしょうくんだけが

てんごくにたびだってしまうなんて、

とってもかなしくて、どうしたらいいかわからないまま、

たくさんのじかんが、すぎました。

しょうくん・・・・・いま、どこにいるの?

パパやママ、そしてゆうちゃんのことはみえていますか?

さみしいおもいはしていませんか?

おともだちはできましたか?

しょうくんのところにいってあげれないままは、

しょうくんのことがしんぱいでたまりません。

しょうくん、あいたいよ、そして、おもいっきりだきしめてあげたい

ママはね、たくさんのひとにしょうくんのはなしをしています。

きこえて、いるかな?

これからも、しょうくんのことをしってもらうために

たくさんのひとにしょうくんのおはなしをしていくからね。

しょうくんにあえるひをたのしみにしているね。

そのときはおもいっきりあまえさせてあげるからね。

てんごくでは、きっと、かほごなおかあさんたちが、

たくさんいるだろうね。

しょうくんにたくさんのおともだちができるように

たくさんおねがいしておきます

ママは、たくさんわらってあそんだりできるようになってしまったけど、

しょうくんこのとをおもっているきもちは、かわらないからね。

いつかあえるそのひまで、てんごくのおともだちと

たのしいことたくさんして、まっててね。

ママより(原文一部省略)

3.将優ママさんに手紙を書き,紹介し合う1 5分
○将優ママさんはどんな気持ちから,みんなの育てたひまわりの種と交換してもいいよと言ってくれたと思いますか。それを考えながら,お礼の手紙を書きましょう。
○できた手紙を何人かの人に発表してもらいたいと思います
4.今日の活動の振り返りと感想を発表する10分

●今日の活動の振り返りをしましょう。それから,今日の学習の感想を,何人かの人に発表してほしいと思います。

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