三岸せいこ先生


プロフィール
1978年 「スパンクさんのにわとり小屋で」でりぼんデラックス春の号でデビュー

萩尾望都と、大島弓子のイメージをあわせ持つ作家さんと、どこかで紹介されていました。
まさに、そういうイメージ。

繊細でやさしい画面と物語で大好きな作家さんでした。

漫画家として活動していた期間は短く、コミックスはぶ〜け時代の2冊だけ。
2冊とも今は絶版になってしまっています。

私が持っているのは「ヴィクトローラきこゆ」
表題作の他に、「スパンクさんのにわとり小屋で」「夏の扉をあけて」「水曜日 微笑の森にて」「眠り娘と夢男」「ブルーベル小路へいこう」5編が収録されています。

表題になっている「ヴィクトローラ」とは「○○社製蓄音機」だそうです。
主人公、「ヴィクトローラの音にのって旋回す」という一文を読んだ三岸先生は、それが夢のようにきらめき響く弦楽器と信じて疑わず、予告を出してから調べてみて(まあ、おちゃめ)事実を知って驚愕したそうです。(コミックスのなかがきより)

「ヴィクトローラきこゆ」のストーリーを読む→




  ここだけの話・・・私と三岸せいこ先生

そ して・・・実はこの作家さんが私にとって忘れがたい方であるもう一つの理由は・・・私が生まれて初めて色紙をいただいた方だからです。

それは 私が漫画家をめざす(多少怖いもの知らずで礼儀をわきまえない)お子様だった頃。

友人が 漫画家移動教室(東京から、編集さんとプロの漫画家さんがきて地方に住む漫画家志望の子どもたちに直接プロの原稿を見せたり、指導をしてくれる)というのに参加しました。


そのとき、いっしょにきていた先生が三岸先生です。
友人は先生に自分の境遇(親が漫画家になるのを反対してるとかそういうこと)を相談したらしいのですが、先生は親身に聞いてくださったうえ、「できるだけ相談に乗りますよ」と言ってくださったそうです。

そして、彼女に自分の住所を書き込んだ色紙を渡してくれたそうなのです。
その友人は(当時、私と同じくお子様です)「友達の分もください」とさらにお願いしたらしく、三岸先生はそこで見も知らぬ子どものために もう一枚、住所いりの色紙を書いてくれたのでした。

なんて、親切で優しい方でしょう。
当時、青森かどこかで教師をしていた、というようにきいた気がします。
申し訳なくて、私のほうではその住所にお手紙もなにも出しませんでしたが、お礼のお手紙を出しておかなかったことがいまでも悔やまれます・・・。