解題 ネット起業!01
   

解題 

『ネット起業! あのバカにやらせてみよう』

岡本呻也著 文藝春秋刊 10月17日発売


インタビュアー 田中裕士
文藝春秋(取材スタート時の編集担当者)

 

  ●IT革命の本質とは何か

田中 いやあ、岡本さん、『ネット起業! このバカにやらせてみよう』ですか。どえらいタイトルつけましたね。

岡本 誤解されるかなあ。
 これはですね、決して本のなかに出てくる人たちを揶揄している表現ではなくて、ベンチャービジネスを育てる社会の側から見た話ですよ。
 つまりペンチャーに出資する側、あるいはベンチャーと付き合おうとする大企業の人たちに対して、「ベンチャーは世の中を変えていくかもしれないポテンシャルを少なくとも持っているのだから、温かい手を差し伸べてやってくださいよ」という意味のことを書いている僕の文章の一部分から、担当編集者が取ってきてつけたタイトルなんです。
 僕は、ポッと出の新人ですから、編集者が決めたタイトルにどうこういうようなことは、はなからできないわけですよ。というか、編集者の編集手腕を信頼して、何事もすべてお任せしているということでして。

田中 まあ、「空手バカ一代」という例もあるし、ある意味、バカであるということは悪いことじゃない。本になった以上は、一人でも多くの人に手にとってもらって、岡本さんの意図を理解してもらうしかないですよ。
 というわけで、早速この本のテーマをお話しください。

岡本 インテルのアンディ・グローブは「パラノイアしか生き残れない」と言ったそうですが(やっぱり彼は確信犯だったんですね)、「パラノイア」じゃ、なんだかわからなくてタイトルになりませんからね。あるいは長野県民の新しい選択も、自分たちの持たないモノを、自分たちとは異なる文化を持った新知事に持ち込んでもらうという、社会の側からの一種の賭けですよね。

 それで、このノンフィクションは5章から成り立っています。各章で取り上げた対象は以下の通りです。

第1章 ダイヤル・キュー・ネットワーク
第2章 ハイパーネット
第3章 インターネット市民革命前夜
第4章 ビットバレー
第5章 iモードとコンテンツ・プロバイダー

 カタカナばっかりですよね。
 それで、僕がこの本を通して描きたかったことは、前書きの17ページにある以下の文章に尽きていますが、改めて申し上げますと、「IT革命の本質とは何か」ということです。IT革命というのは、携帯電話とかパソコンとかインターネットTV、情報家電ができることだ。それによって、生活が変わってくるということだと思っている人が多いですが、生活が変わるくらいじゃあぜんぜん革命ではないわけです(笑)。
 「革命」といわれるほどのものであるならば、どうあらねばならないのか。

田中 おお。歴史の教科書に出てくる市民革命とかと同じレベルだということですか。

岡本 そう、 それは社会システム自体が変わるというところまでつながってくるはずです。そして人の考え方自体が変わらないと、社会システムは変わらないはずです。
 IT革命によって生産性が上がるといわれていますが、ただパソコンや情報機器を使っただけで赤字企業が黒字になるはずがないですよね。社会参加の仕方とか、仕事に対する考え方が変わらなければ、生産性が上がるわけがない。普段とおんなじような働き方をしていて、パソコンを中心に成り立っているスキルと考え方を身につけ、仕事のやり方を徐々に変えていくことによって、「実は今までの仕事の方法では自分がもらっている給料に見合った働きはやっていないな」という事実に徐々に気がついていくという過程があるはずなんです。
儲かっていない会社の人は、自分の仕事に見合った収益を会社全体では上げていません。それは、ほとんどの企業において、これだけコスト構造が高くなると厳然たる事実なわけです。

田中 そこへ少子高齢化の波が追い打ちをかけると。日本の未来は悲観論が覆っています。

岡本 今言ったような状況が変わらなければ日本はもう立ち直ることはできませんよ。今後高齢化社会になってきて、介護システムが問題になったときに、そこからみんなが逃げていてはだめなんです。
 地域問題も同じです。自治体合併が話題になり始めていますが、零細な自治体については、救いの手を差しのべる以外にはない。日本社会は、互助的に助け合う仕組みを作り上げなければ、絶対に助からないところまで来ちゃってるんです。

 いまはもうみんな利己的になってしまって、世の中ばらばらですよ。このままでいくとクラッシュすることは間違いありません。
 しかし、IT革命が真の革命であれば、こうした流れを変えることができるのです。個人の社会参加とか、ビジネス・センスを変えなくてはならない。それはすなわち、ネットワークにいかに対応するかということです。これが、IT革命の先にわれわれに求められていることなんだと思います。


  ●人々の意識変化を先取りしたネットベンチャー

田中 没落を目前にした日本をIT化の波が襲ったことは、天佑にも似た幸運だったわけですね。

岡本 そうですよ。 われわれにとってあまりにもラッキーなことだと思います。
この本に登場しているのは、その新しい日本人の生き方を先取りしているネットベンチャーの経営者たちなのです。

 彼らが持っている特色は2つあると思います。
ひとつは「ビジネスセンス」があるということ。もうひとつは「ネットワーク対応能力」があるということです。
 「ビジネスセンス」というのは、しっかりしたビジネスモデルを組み立てることができるとか、コスト意識を持つとか、完結したビジネスをきちんと組み立てる発想力運営力のことです。ネットワーク対応力というのは、自分に欠けているもの(能力や資源)を如何にして外から補うかという発送や手法、あるいは他者との関係をうまく構築して、自分ひとりの力を何倍にも重複させるというテクニックのことです。
 この2つの能力は、今までの日本人には著しく欠けていたと思います。この本の中に出てくる主人公たちは最初は勝負に負けるのですが、その失敗から多くを学び、かなり高度なテクニックと、ぎりぎりの綱渡りをして、最後には勝った成功者たちなのです。
 おそらく、彼らの発想は今のわれわれには見事なものに見えますが、10年後の人たちは、この本の主人公のような考え方を身につけて、さらに高度なことに挑戦しようとしているでしょうね。そうなっていれば日本は、アメリカやアジアのハイテク企業とも互角に渡り合えるような、世界と勝負ができる産業を持つ国になっているはずです。

田中 岡本さんの指摘する危機感はよくわかりますよ。これまでの日本では仕事というのは自分が作るのではなくて、いつの間にか与えられるものでした。会社の規模や仕事の規模は先祖伝来の田んぼと同じですよね。4町歩あるか1反しかないかで、名主か小作かが決まっていた。
 それが現代では、田んぼどころか、明日にはなくなってしまうかもしれない、いかにも苛烈な資本主義社会になってきたわけですから。
 そこで確認しておきたいのは、ITによる変革は日本独特のものなのか、という点です。ITの技術的な革新はアメリカからきたわけですが、今岡本さんが言ったマインドの変革は、アメリカでもインターネットが普及する過程で起こったことなのでしょうか。それとも、アメリカではごく自然なことであって、それがITに伴って日本に来ることで、日本が戦後ずっと培ってきていた文化に衝撃を与えることになったのでしょうか。

岡本 おそらく、アメリカには最初からオープンで、闊達にパートナーシップを組むことができる仕組みが存在しているんだと思いますよ。フロンティア精神があって、そこで助け合わないと生きていくことができないというところからスタートした国なわけですから。

田中 なるほど、私自身、岡本さんの言う感覚と同じようなことを、インターネットでメールをやり始めたときに感じることができました。
たとえば、岡本さんがまだNIFTYを使っていた頃に、自分が日ごろ感じたことをC.C.でガンガン送りつけてきましたよね。その時「へえ、こんなことができるんだ」と驚いた。自分が考えたことを効率的に人に伝えてやりとりをすることができる、その中では「だれが偉い」ということはなく、メーリングリストではみんなが情報を共有し合える、だれかがそこで突出して支配的なことしようとすると、そのコミュニティが崩れるということを非常に敏感に学習することができるモデルだったですよね。そこで「ああ、こういうことなのか」と勉強することができた。

岡本 そういう文化は、NIFTY以前は日本にはなかったんですよ。日本人は相手との関係を作るときに支配=従属関係に必ずしなければだめなんです。そこんところが幼稚でね。そうしないと安心できない。それはアジアン・バリューでね。支配=従属関係を組み合わせて社会システムを作るわけです。それは静的で自律的に変化することができない構造なんです。新しいものも作るときにはすべてを崩すしかない。ミツバチの巣の崩壊みたいなものですよ。非常に柔軟性を欠いていて変化しにくい、ダイナミズムを内包しない仕組みなんです。

 一方、ITというのは結局その特性として、個人個人が情報を発信し、個人個人がそれを受け取って判断しなければならないですから、自分がシビアに価値を判断していくということが求められる、同じことを繰り返していくことによって、また回転速度を上げていくことによって、ネットワークを広げていく、自分が主体的にネットワークに参加しなければまた得られるものも少ないわけです。

田中 メーリングリストでも、自分が発言しなければ、それはただ受け手であるだけで面白くないですよね。

岡本 そこがフラットな関係性であって、支配=従属関係と違うところなんです。

田中 NIFTY以来、パソコン通信が普及しましたが、それが一般的になったのはウィンドウズ95が発売された95,6年以降ということで、そのころからそうしたフラットなコミュニティのあり方がみんなに認識されてきたわけです。ところが当時の日本にあっていち早く新しい構造に気がついた人たちが、この本の登場人物たちで、新しいことを手掛けて成功するわけですよね。


  ●旧体制に見切りをつけ、新しい価値を創る

岡本 僕は、ビジネスの文化では、ベンチャーの方に正当性があるんだと書いていますが、当時その人たちはどのように見られていたかというと、大企業の中あるいは社会の中で、横紙破りというか、元気だけれども上司や目上の人たちがコントロールすることができない困ったちゃんだなと思われていたわけです。僕も似たようなものでしたから、彼らの気持ちはよくわかります。

田中 日本の組織はみんな均質でなければならないですからね。
 一緒に取材に行った、ハイパーネットを立ち上げて破綻した板倉雄一郎氏が常にエネルギーが余っていてそれを消耗する対象を探していたという話は印象的でした。自分でも持て余すようなエネルギーをもった人間っているものなんですよね。

岡本 組織の中でじっとしていられない人々。彼らは才能があって、自分は自分単独でも仕事をすることができるという自信があったんです。実は、組織の論理に縛られている人間というのは、自分がベンチャーをやるなどということは考えることすらしない。そういうことは理解できないですよ。

 彼らは、そういう中で新しい世の中を作ろうとした人たちだったですよね。
 ビットバレーなんかを幕末の維新の志士にたとえるステロタイプな見方がよくされていますが、ある部分僕は合っていると思うんです。つまり幕末の志士は何を見ていたかというと、「これは幕藩体制は死んだ」と。徳川の世というのは終わったのだから、次にくるものは何かということを見据えて、その方向に向かって走ったわけです。まっすぐに、確信をもって、虐待されつつも。家絶対の時代に脱藩しちゃうわけですから。
 そうしてことを起こして、実際に新しい世の中をつくっていった。ある種、そういうふうに目が利いた人間が90年代の初めに僕は出ていたと思いますよ。それがまさにIT革命の前夜の話だったと思うんです。

 あるいは、体制側にも勝海舟のような人が出てこなければならない。
 今まさに、僕の目から見ると、そういう維新の過程なんです。ネットベンチャーブームの衰退というのは安政の大獄かもしれませんね。あるいは第一次長州征伐とか。でも、この動きは絶対に止めることはできませんから、体制変革側が必ず勝つでしょう。

田中 既存の会社の側にそういう文化を受容する人たちが出てくるでしょうね。

岡本 出てこなければ、勝てないですよ。大政奉還が起こったときには、経済の主権は消費者に引き渡されるわけですから、消費者が財やサービスの価格を決めるわけですよ、その中で消費者が望む価格で商品を提供できない会社は潰れるしかないということになるでしょうね。

田中 自分と違う他人の存在を需要するということは、自分の資質はどこにあるかを見つめる第一歩だと思いますが。

岡本 そうなんです。
 ビジネスモデルの競争というのは、如何にして自分が仕事を通して価値をつくっていくことができるかという世界なんです。
 自分が属する社会の中での自己同定(アイデンティファイ)の話になるのですが、「自分が社会の一員であるということは、各々自分の長所を世の中で発揮して生きていくのだ」ということです。
 この本の中に出てくる人たちは非常に単純で、「このビジネスをやるしかない」と旗幟鮮明なんですよ。


 仕事を通して価値をつけるということはどういうことかというと、A4の文章に目を通して、赤ペンで添削しただけでも、そこにはちゃんと付加価値があるわけです。要はその積み重ねなのですが、ではその朱を入れた価値というのはカネに換算するといくらなのか、が重要なのです。
 そう考えていって、一番高い付加価値をつけることができた人間が最大の利得を得るということですよね。日本の社会の中で突出していく人間というのは、ある程度そこのところがわかっている人たちです。だから、本の中で板倉氏が無料プロバイダー「ハイパーネット」のシステムを考えたときに、「これで1兆円ビジネスをつくる」と言うわけです。動機はそれでいいんです。あとはビジネスがそれについてくるかどうかという問題です。新しいことをするということは、新しい価値をつくるということなんです。そこに対価が支払われるんです。

 

  ●人は如何にして「社会性」を獲得するか

田中 ビジネスを続けていくうちに、有象無象のベンチャー企業の経営者たちにも、社会性を身につけていく瞬間があると書かれていますね。

岡本 そうそう、それはひとつ重要な話で、ベンチャー経営者たちは、最初は結構純粋な動機で、何か新しいことをやろうと考えて事業を興すわけです。ところが、ビジネスが大きくなってくると、社会の中における自分たちのビジネスの位置を意識した行動をしなければ、そこよりもさらに大きくなることはできないという壁に突き当たるんですよ。
 Qネットなんていうのはそういう意味では滅茶苦茶分厚い壁に突き当たって、そのためにだめになってしまったという珍しいケースだと思うんですけど、そうでなくても、どんな商品やサービスを提供するにしても、自分たちが利益を手にすることを第一に考えるのではなくて、「世の中の人たちに利便を提供する」という目的が第一でなければならない。
 だから反社会的なことをやってはならないし、 ひとつでも顧客に害を与えるものを提供してはならない、そこを意識しなければやっていけなくなる時期がくるんですよ、いつか。
 これってはっきり言って、そんなに偉そうに言うほどのことではなくて、当たり前のことですよね。ある人が自分の属するコミュニティで存在を認めてもらおうとすると、全く同じことがあるわけです。ある程度他人を気遣った役割を果たさないとだめなんです。

田中 3月に岡本さんが集中して取材してましたね。その中では、今言った認識を持っているベンチャー、持っていないベンチャー、いろんな段階のベンチャー企業がいたと思いますが。

岡本 そうですね、とにかく最初は何も考えずに話を聞きに行ってました。面白かったですよ。
 「こういう本にしよう」というふうに構想がはっきりしてきたのは、だいたい4月の初めごろのことでした。
僕はそれまでかなりベンチャーの取材はやっていましたから、経営者の性格やその企業のビジネスモデルや、現状においてどのくらいのレベルにあるのかなということはなんとなくわかるんですよ。
 で、ネットベンチャーについては2つのピークに年齢が分かれていて、ひとつが35歳を中心にする層、もうひとつは25歳を中心とした層ですね。実は、35歳ぐらいのネットベンチャーの人たちいうのは、ある程度素性がわかっている人たちにしか取材をしてないわけです。
 25歳の人たちというのは、なかなかまだ社会性の獲得のレベルまでには至っていないですよ。ただ、ひたすら仕事の面白さを追究している。それはそれでいいんです。その中でいろいろ勉強していくという過程です。その中で、彼らがどのようなものの見方をしているかとか、彼らのビジネスのスタイルや特色は何かということを、ざっくばらんに聞いて行って、ネットベンチャーの持つ特徴は何かということを浮き彫りにしていこうというのが当初の構想だったわけです。

 で、相対的にその中で思うことは……、みんなしっかりしてますよ。

 これはね、やっぱりサラリーマンの20代の奴とは違うということです。それは言えると思うんだよな。だって、自分は一国一城の主で、責任があるんですから。サラリーマンだと部長だか課長だか、責任者とか監督権者という上司がいるわけじゃないですか。じゃ監督権限者が責任をとるのかといったらとらないわけですよ。部下は敏感にその事実を感じているわけです。そうすると組織においては責任はどこにもないわけ。その時点で、考え方とか価値観がものすごく甘くなってしまう。
 サラリーマンには、聞いていて、こちらが恥ずかしくなるような社会認識とか、自分の仕事に対する認識しか持っていない奴が多いですよ。かなり学歴が高くて、ちゃんと外国にも1年ぐらい行っていたりして、社会的には結構うらやましがられるような仕事をしている人間でも、「こんな甘い社会認識でやっていけると思ってるのかお前」というレベルの人が、大企業にもいたりするわけですよ。
 それに比べると、ネットベンチャーの20代の人間は、たとえ学歴がなかろうが、海外経験がなかろうが、絶対優れていますよ。二本足ですっくと立って歩いている。立派なもんですよ。「好感が持てる」というと取材対象に対して価値観が入ってしまいますが、実際のところそう思いましたよね。

田中 一緒に取材に行ったベンチャー経営者の若者で、重厚長大産業に就職した友達に電話をして、「インターネット時代が来たんだ、おまえそんな鉄鋼会社なんかに勤めている場合じゃないぞ」と言った人がいましたけど、あれはおもしろかったなぁ。

岡本 うん、でも僕はあの気持ちよくわかるな。だって、そうじゃなかったら、こんなお節介な本なんか書いてませんよ。
 「自分はこうだと思うんだけれど」と人に対して発信する気持ちがあるかどうか。そこのところで足踏みしている人が結構多いわけです。それは「一国平和主義」でね。自分がどんなに賢くたって、自分が持っている知識やノウハウを人に伝えなければ何の意味もないでしょう。日本の優秀な人の中には、スタンド・アローンな人が多いですね。それは、ネットワーク対応ができていないことです。これから生き残ろうと思ったら、ネットワーク対応ができていなければ絶対にダメです。

田中 メディアという仕事として情報を発信する業種にいても、自分の情報を発信したがらない人って結構いるんですよね。

岡本 まあ仕事に自信がないとか、ちゃんと勉強していない自分にコンプレックスを持っているとか、そういう人は委縮してしまうでしょう。
 滅茶苦茶バリバリ仕事ができて、情報も持っているんだけれど、それを発信しようとしない人というのは、これはもう「悪」です。そういう人が多い会社は、総合力を発揮できないでしょう。情報は共有しないと。

田中 でもだいたい、日本の会社ってそうでしょう。
 岡本さんには気の毒だけど、人材的な潜在能力は、従来の企業のほうが圧倒的に高いです。


  ●面白い仕事、進歩する仕事、勝てる仕事

岡本 そう、そうなんです。ネットベンチャーなんて、人材なんかいないんですから。ないものをフル回転させてやっているわけです。カツカツでやっている。あるモノは使う。すべてにおいて恵まれている大企業の人間は、そこを考えないとね。
 僕は思うけど、自分が働くんだったらそっちの方が面白いじゃないですか。大企業にいてぼーっとしている人というのは、なにがうれしくてやっているのかなと思いますよ。人生短いわけじゃないですか。僕自身、随分回り道をして、時間の無駄ばかりしているから、それを取り戻したいですよね。
 ましてや働くということを「強制されている」と思っていたらだめですよ。それじゃあ絶対、いい仕事なんかできない。自分の時間なんだから。仕事を通して、遊びを通して、価値をつくりだし、みんなと一緒に前進するという気持ちがなかったら、それはやっぱり生きていて面白くないんじゃないかな。

 十年一日、進歩のない仕事をやってるんだったら、そんな単純労働、マクドナルドですよ。ぼくはそれには耐えられない。


田中 いつまでもまずいラーメン屋とか。疑問を感じないかね、本当に。
  岡本さんによれば、こうした自己埋没した人材がネットワークに目覚めることで変化が生まれるということかと思います。結局、岡本さんがこの本の中で書いているのは、総てネットワークについてなんですね。それは岡本さんが、B&Bというきわめて質の高い勉強会を運営したり、メディア関係者の集いをつくったり、遡れば早大出身者の勉強会の運営に関わったりと、10年以上前からネットワーカーをやっていて、その経験から得られたことなんですか。

岡本 それはどこから学んだかというと、やっぱり本の中の真田哲弥氏が東京に出て来てから参加した東京円卓クラブみたいな、当時の会社からはみ出ていた若者の持っていた文化から学んだんですよ。

田中 真田氏というと、第一期のダイヤルQ2事業者として「第3のメディアを作る」を旗印に学生ベンチャーを立ち上げ。一時我が世の春を謳歌した後に失敗した男ですね。後にiモードの発展の中で生き生きとした活躍をするわけですが、彼の事業失敗後の地に堕ちた底辺生活と、そこから立ち上がる力強い過程は、胸に迫りますよね。よく書いたなあと思います。
 板倉氏、真田氏に限らず、この本に出てくる人物たちは個性的で面白いですよね。常に何か新しいものを発想しようと努力している。読んでいて「新しいビジネスというのはこういうふうにして思いつくのか」と関心させられるし、そこに一貫してネットワークあるいはポータルという考え方が流れています。

岡本 ポータルというのはビジネスの中核なんですよ。ネットワークの入口であり、ネックだから、そこを押さえていれば勝てるわけですよ。ポータル=玄関と訳されていますが、僕は「うちは他者と違う価値をまとめて提供しますよ」という意味だと思うんです。

 だからネットで儲けようと思ったなら、どの次元でも良いからとにかくポータルの部分を押さえる。サイバードはコンテンツビジネスなんだけど、実はすべての携帯端末に対するポータルになっている。彼らの商売の舞台はiモードだけではないんです。単純にコンテンツを提供するだけだったら、儲かるけれども、彼らはさらにその上を目指したわけ。やっぱりこのへんの考え方が、一段先に行けるかどうか、勝てるかどうかの境目なんでしょうね。


  ●「価値」は混沌の中から生まれてくる

田中 そういうビジネスの源流が、バブル期の猥雑なディスコにあったというのも興味深いところですよね。

岡本 価値というのは、混沌の中から生まれてくるんですよ。これは非常に重要なことで、カオス理論なんかで80年代の初めには言われていたことですが、混沌の中に秩序ができてくるということが科学的に解明されているわけです。猥雑さは、エントロピー増大でどんどん膨らんでいくわけですが、その過程で、秩序すなわち価値が生まれるんです。複雑系の発想もこういうところから出てきているはずです。

田中 なんだか、難しい話になってきたな(笑)。

岡本 基本はね、「損して得取れ」という考え方だと思うんです。例えば、この本の中でバンダイの林さんが、コンテンツを作るときに企画会社から企画を買い取るのではなくて、「リスクを半々で取ってくれ。そのかわり成功したら利益を割り戻すから」と言って、製作費用を企画会社にも分担させたわけです。そうすると、より企画会社もコミットするようになる。
 決して直線的な考え方ではなくて、相手の参加をそういうふうにして引き出すようにする方法、それをいくつかのプレイヤーの中で掛け合わせたのが、ドコモの夏野さんがつくってiモードを成功に導いたポジティブ・フィードバックの仕組みなんです。それはある部分、自分自身が、その「場」で発生する利得の独占をあきらめるところからスタートするわけです。
 それから、iモードは、インターネットの中にあるんだけど、インターネットの中にありながら「iモードですよ」と言っているということは、ある意味インターネットを否定しているわけです。インターネット自体が混沌だとしたら、その中に秩序ある空間をつくっているわけです。何でもそうなんだけど、そういう形の価値の作り方なんです。物事というのは、そんなに単純じゃあなくて、このへんのセンスを掴むことができるかどうかというのも面白いところなんですけどね。
 なかなかうまく説明できないな。

 いっぱい人がいるというところ想像してください。渋谷の雑踏を見ればわかるでしょう、混沌以外の何物でもない。でも、その中を区切って、「はい、じゃあこの中の人たちを1カ所に集めますよ、メンバーリストも作りますので、後は勝手に喋ってください」というような場を作ると、そこでまた新たな秩序が生まれわけです。それは時間の経過とともに、また拡散してしまうのですが。そういう形で生産されていく価値もあるんです。それが、ビットバレーがやったことですよね。

 

  ●その他、泣き言

田中 それにしても、ゴールデンウィークもずっと働かせて、日比谷公園のビールぐらいしか奢らなくて申しわけなかったですねえ。

岡本 いやあ、田中さんにこの本の構想をお話ししたのが2月2日で、その日の夜にマネックス証券にいる友人から「今日ヴェルファーレでやっていたビットスタイルに行った。凄かった」というメールが入っていて、「しまった、取材に行けば良かった……」と思ったのを憶えてますよ。

 僕は今度の本を取材して書いてる時は本当に苦しくて、まだこんなに苦しいことが残っているとは思ってなかったですよ、わたし世の中なめてますから。いろいろ泣き言も言いましたが、でも、すごく苦しくてつらいことがあった場合、その時こそ自分が成長している時なんです。苦労はするもんです。
 この年になってまだ先に進めるとは思わなかった。そうすると、まだこの先があるかもしれないと気が付きますよね、じゃあそれに挑戦しなきゃ。

 だから、今何かを書いたりつくったりするときにも、またレベルが上がっているなあと思うし、次に何かを書くときはすごく楽になっているはずだと思うんです。壁を乗り越える闘いだったんですよね。でもやってるときはそういう意識じゃないから、ただ苦しいだけなんです。「何のためにこんなことをやっているんだろう」と思いましたよ。逆にそれだけ追い詰められるということは、それを切り抜けられれば確実に力がついている。

田中 それはノンフィクションを書くときには、すごく大切な過程です。
 僕が、オウム事件の取材をする時も常にそうでしたね。オウム事件の被害者に会うときは、岡本さんがこの本の中に書いてある倒産の話を聞いて打ちのめされるのと同じで、取材者側として、被害者の置かれた状況にすごく打ちのめされるわけです。それをどう自分が受けとめたらいいのか、どのように書いたらいいのか。
 自分が混乱していると、読者にわかる文書は書けないわけだから、自分の中で価値観の折り合いをつけて、何が重要かということの意味付けをしていかなければならないわけです。その中で、だんだん自分が正しいと思えるものとか、重要とも思えるものがはっきりしてくるわけです。

岡本 たぶん、「これでいい」と、パッと飛びついたらダメなんですよ。ずーっと疑問に思っていて、何が正解かというのを常に考えていて……、そうすると時間がある程度かかるんですよ。

 いや、ほんと。偉そうなこと言ってますけど、この本のテーマの本質の部分がはっきりしてきたのって、実のことをいうと7月くらいだと思うんです。元々書いていた第1章をさっぱり切り捨てて、スコーンと抜けた地点で、見えてきたものなんです。だから、もし夏前に本を出していたら、その点が見えないままに出すことになっていたかもしれません。読者に対して不親切になっていたかもしれませんね。

 本業とは別に本を書いている友達と飲んでいて、彼が「やあ、本を書くのってつらいよね」と言うわけですよ。それで私も「いやまったくです」と合わせることができるようになったわけですな。彼にしてみると「やっとこいつもわかるようになっただろう」ということでしょうね。毎回毎回、新しい挑戦を続けなければならなくなってしまった、そういう因果な商売だと覚悟を決めるしかないでしょう。


  ●川の流れのように

田中 編集者から、物書きへ生まれ変わったわけですね。ご苦労さまです。
 その後はちょっとは休めたんですか。

岡本 いえいえ、編集者としての仕事は続けますよ。少なくとも編集的センスを生かした仕事を今後もやるつもりです。

 それでね、9月の初めに奥入瀬渓流に行ってきたんですよ。会社を辞めてから初めて、一息ついた瞬間でした。
 奥入瀬は十和田湖の水が青森県側に流れ出すところにある14キロメートルほどの渓流です。そして、僕はここが日本で一番きれいなところだと思っているんです。
 その理由というのは、あそこには京都の庭園を20個くらい一度に回ったくらいの自然が作った箱庭的な景観があるからなんです。何が面白いかというと、あの景観をつくっているのは十和田湖から来る水の流れ、風、雨、気温、日差しといった、外的条件がまずあって、そこに植物が生え花が咲き、カワセミやら日本カモシカやらがやってきて、それらがつくってきたものなんです。
 そうして自然にできた景観なのに箱庭になるのはどうしてなのか。それは実は逆でして、庭のほうがあれをマネしているわけです。
 奥入瀬の自然がつくった箱庭が表現しているものはいったい何なのか。
 それは、「そこにあるものを、あるようにならしめているものは何なのか」ということについて表現しているわけです。つまり真理を表現しているわけ。時間が経つにつれて自然がつくり出していく造形は、「ものごとがこのようにあるのはなぜなのか」ということ、即ち「ものの理」を表現しているわけです。

田中 あるがままに、見れば分かると。

岡本 そう。
 何でもそうなんだけどいい仕事というのは自然の法則が織り込まれていなければならない。そこまで到達していなければならないんです。
 僕の本の中では、例えばポジティブ・フィードバックとか、WIN-WINパートナシップとか、あるいは資本の回転速度をなるべく上げるためにはスピードやアライアンスが必要だとか、そういうカタカナ言葉を使って説明していますけれど、実のことを言うとそれは自然法則に逆らうことなくそれに巧く乗っかって、労働の効果を最大化するにはどうすればいいかということを書いているわけであって、それは奥入瀬の自然の中で見ることができる自然のつくった造形の姿とぴったり重なるものだと思うんです。あるいはあの景観の中に含まれていて、透かし見ることができるんです。

田中 なんだ。休みの時も本のこと考えているじゃないですか(笑)。
 何か突き抜けてやっている才能のある人というのは、どういうものか、どういう生き方をすればそうなるかというのを僕はよく考えているのですが、そのためには実際に何かをやった人を見るのが一番なんですよ。百万遍の書を読んでも、最後はやるかやらないかしかない。実在の人間を見れば、その人の潰れた理由、今後足を引っ張りそうなダメな点もわかるわけです。しかし、過去、あるいは今現在一つのモデルとして成り立っているという存在感が大きいわけです。
 岡本さんの本の中に出てくる人たちは、やはり圧倒的にこの見ればわかる才能のある人たちですが、この本を読めば彼らが人と違う部分や、その限界が見えてくるという表現になっていると思いますね。

岡本 結局人間、無理があるとダメなんですよ。ビジネスでもそうだと思うのですが。この本の中で、最初に失敗をした人たちは、その時は無理をしていたのかもしれません。自然法則に逆らっていたかもしれない。
 でもその経験から何かを学び取って、さらに大きくなってきますよね。彼らは真理を知る者になっているんだと思いますよ。

田中 あやしげな整体師みたいなこと言ってますね(笑)。 最後に今後の予定を聞いておきましょうか。

岡本 僕が今現在思っているのは、僕は寡作になるだろうけれど、一作一作ごとに、他の人では絶対に盛り込むことができないであろうような価値を織り込んでみせる、ということです。

 ここまでごちゃごちゃと事実に対する意味付けを書かなくてもいいだろうと思う読者もいるでしょう。でもまあ、そこがやっぱり僕のスタイルになるんだと思います。それと今後のテーマというのは、実は決まっていて、一つは「ビジネス・センス」。言葉にならないから「センス」という言われ方をしているものを、明示知にしてみたい。じゃないと、みんなわからないじゃないですか。
 
田中 次回作も頑張ってください。まあ、その前に処女作のプロモーションをよろしくね。


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