中国で学校を出た後に職業を自由に選択してもよいとなったのは、今から5年くらい前のことらしい。私は、これは革命的なことだと思う。
その後、自由に個人営業を始める人が増えた。それでもまだ、企業も、商店も、国営のほうがボリュームは多いのだが、個人が自由に、利益を求めて行動することで、社会の成り立ちは根本から変わって行くだろう。
国営企業の赤字問題は、中国政府が頭を抱えるところだ。赤字体質は、構造的問題だ。工場などの生産単位は、住宅から学校、福利厚生に至るすべてを抱えており、この部分の生産性は顧慮されていないからである。
大学も同様で、敷地の中に系列企業から住宅まで抱え込んでいる。運営費用を捻出するため、学生たちは外国企業から頼まれた設計やプログラミングに精を出しているという。これは、彼らにとって本当にメリットのあることなのだろうか。
社員が住宅に入居した場合、その住宅を使用する権利は、孫子の代まで継承されるという。中国は、これを外資系企業にも延長しようとしており、外資は戦々恐々としている。根本的に、社会単位のシステムが違うのだ。しかも文化大革命という、文化的な大分断によって、基礎的な学力のない人間が、社会の中枢を占めるに至ったばかりでなく、社会の核となる指導的な理念、価値観が失われてしまった。その結果、文革世代の行動を支配しているのは、利己心のみとなっている。
これでは、基本的な共同作業すらできないし、ましてや近代経営などできるはずもない。しかも開放経済政策によって、全く新しいモノと情報が氾濫している。価値観の混乱を収束させるためには、社会の中核世代が基礎的教育を受けていないというのは、致命的なことなのだ。
それだけに、無責任な言い方をすれば、新しい商売を興す人たちは、ほかの理念的しがらみにじゃまされることなく、純粋な自由主義経済のあり方を追求できるということができるかもしれない。利益のためにのみ人々が集まり、機能的集団を運営することが可能である=人間がそうした絶対的合理性を備えた動物であれば。
それはそれでいいとして、国営企業の疲弊は深刻な問題である。O社は、国有企業の工場長を集めて、企業経営のノウハウ、工場のマネジメント、品質管理の方法などを伝える研修会を、夏以降、北京や上海で開くという。国務院も経済研究所を中心に、国有企業の体質改善プログラムを描いているらしい。O社の研修担当者は、中国人の反応から、逆に「われわれ自由主義の構成員が持っていて、計画経済の構成員に欠けているモノはなんなのか」その純粋形を知ることができるのではないだろうか。私は、そんなことを考えた。
というわけで、今回の出張では、
1.覚醒した中国とアジアの胎動を身を持って感じたこと
2.進出日本企業をとりまく現実、企業における国際戦略の視点を得たこと
3.社会体制の変化が人々の行動にどのように影響するか見聞したこと
4.中国人のシステムを観察することで、自由主義経済に必要な要件がわかる
といった成果を得られたと思う。
次回、私が中国を訪れる日までに、日本と中国の関係が建設的に発展することを切望している。
(この項終わり)