ニュージーランド政府への抗議文-1
ニュージーランド政府観光局
○○ピーアール 御中
6月16日
プレジデント編集部
岡本呻也
抗議ならびに質問書
1997年6月7日から14日まで、ニュージーランド政府観光局の招請によりニュ ージーランドへのプレスツアーに参加した。
日本を代表する雑誌として、本邦とニュージーランドとの友好親善関係に 鑑み、ジャーナリストとしてニュージーランドの魅力を伝えることに誌面を 割くことを良しと判断して、貴重な時間をやりくりして参加した次第であ る。
従って、今回のツアーに参加した私の目的は、いかに魅力的な誌面をつく るかにあった。当誌としては幸いにして、当誌のクォリティに見合うだけの 優れた素材の収集には成功したが、しかし私自身のニュージーランドに対する印象は、中国を含む今まで訪れたどの国にも劣る国としてしか残らなかっ た。「規制緩和を成功させた先進国」というイメージはもろくも崩れさっ た。
その理由は、所期の目的である取材が非常に困難であったところにある。 主催者はわれわれの仕事に対して根本的に無理解であるとしか思われない。 私は自分の誌面に責任を持っており、今回の取材行では最終日に至るまで、 この責任を全うできるか否かという不安に常に脅かされることになった。私 自身の仕事のスタイルとしては、実に不本意なあり方である。こうした経験 から、個人的には「ニュージーランド政府の招請には応じるな」と、良心に 従って知る限りのメディアの友人たちに伝えざるをえない。
とはいえ、相互の不理解は将来に禍根しか残さないし、またニュージーラ ンド政府側として示された何らかの意図を私が汲み取っていないか、誤解し ている可能性も捨てきれないところなので、以下に私を悩ませた問題点を列 挙する。
これらの諸点について、相応の理由があるならば、速やかにご回答を頂き たい。もしなき場合、私のニュージーランドに対する悪印象は決定的なもの になるだろう。
1. なぜ雨期を取材時期として選んだのか
グラビアを作る場合、天気は決定的な要素である。もし予め天候不順が予期されるなら、相応の対策が必要である。
オークランドでは通年降雨量の7割が6月を含めた3カ月間に降るという。しかしそうしたインフォメーションは事前に我々には与えられなかった。今回の旅程のうち、雨を見なかった日は最終日の13日のみである。自由取材日の 10日は午後1時までたいへんな土砂降りであり、日没までに日照時間はわずか に30分間であった。これで我々に一体何をしろというのか。
因みに時節は冬至に近づいており、日の出は午前8時、日没は午後5時であった。
2. なぜ2人部屋なのか
当社に対しては、2人部屋というインフォメーションは編集長と私が知る限る与えられていなかった。
2人部屋だとしても、寝室が二つに別れているというタイプの部屋ならば理解もできるが、どのホテルも単なるツインの部屋である。
取材の場合、カメラマンは機材を広げて準備する必要があるため、あの程 度の広さの部屋で2人が起居することはほぼ不可能である。
さらに、他誌の人間を同室にするということは、チームで行動している取 材者の行動の自由度を減ずるということにどうして配慮しないのか私には不 思議でならない。鍵は1部屋に一つしか与えられないのである。遅く帰って きた場合、就寝中の人を起こさなければならないのだ。あるカメラマンは、 同室者が早く寝ているため、ペンライトを使ってパッキングしていたという涙ぐましい話まである。
因みに実際の行動スケジュールは以下のようなものであった。
9日の夜のホテルへの帰着時間は午後11時。翌日は早いチームは早朝から活動していた。
11日のホテル出発時間は朝7時30分。
12日のホテル出発時間は朝7時30分(行動予定表では午前9時)
12日の食事終了時間は午後11時。翌13日の出発時間は午前7時30分。
14日の出発時間は午前8時30分。
このように早朝からの行動が要求され、睡眠に向けられる時間が極端に限 定されているということは、2人部屋の人にとっては精神的にも身体的にもかなりの負担が要求されることである。実際、私が観察する限り、ツアーの日 程を重ねるほどに参加者の疲労の色は濃くなっていったようだ。
自費での負担を覚悟して一人部屋を確保した我々が彼らに対して気遣いしなければならない苦労の、何層倍もの負担を我々以外の人々は負っていたの である。ジャーナリストの武器は観察力であるから、よしんば他の人が気づ かなかったとしても、私は十分これを察することができ、たいへん心苦しい 思いをした。
これでは決して取材活動にベストを尽くすことはできない。疲れた範囲内 で実行可能な中途半端な仕事をすれば許されるというのであろうか。こうしたことは、少なくとも日本で取材活動を行っている私の感覚からは信じられ ないことである。私には、クオリティ・マガジンにふさわしい誌面を作らな ければならない責任があるのだ。こうした無理な取材対応は、ニュージーラ ンドでは当然のことなのであろうか。