昭和48〜49年にかけて作られた「仁義なき戦い」。観たことなかったんですけど、今回友人にビデオを借りて、5巻分一気に観ました。たいへん面白かったです。
というのも、これはですねえ、何を描いているのかというと、実は「新日本人」的なモノなんですよ。
推測するに、この原作者は、文太兄いが演じている呉のヤクザですね。彼が最後に収監された時に北海道の刑務所で手記を書いたと4巻目に出てきます。それを元にして飯干晃一が週刊誌連載をしたんでしょう。東映としては、「ゴッドファーザー」のヒットをみて、新しい任侠モノのパターンを探していた。そこでこの話に白羽の矢が立ったという流れでは。
文太兄いは、主役であり、存在感が大きいものの、広島ヤクザの抗争、神戸=広島=山口のヤクザの抗争の中で、たいした働きをするものではありません。むしろ語り部なんですね。
で、彼の中で一貫しているのは、「情けない奴が上に立つから、抗争が発生し、若い奴が死んでいく」というこの一点です。その怒りのほとんどは、金子信雄が演じる親分に向けられています。こいつと最初に杯を交わしたがゆえに、彼の任侠人生はずっと金子親分の利己的で一貫性のない行動に振り回され続けることになります。
本来は、仁義や義理、メンツを守ることで、裏社会の秩序は守られていくはずである。それが建前なのに、実際には抗争が繰り返される。それは、無能で人の上に立つ能力のない人間、全体利益を考えない利己的な人間が、「親分」と呼ばれる立場になるからではないのか!
これが、原作者が主張したいことです。実は、かなり新しい、マネジメント的な発想です。それまでの日本の映画演劇に描かれてきた「義理と人情の板挟み」というのは、私的な感情に由来するものばかりでしたから。
だからまあ、原作者は相当まともな経営感覚を持っていたことがわかります。
で、これと同じことは、みんな感じているわけですよ、この日本では。年功序列で偉くなっていく中で、卑怯な奴、恥を知らない奴、冒険しない奴だけが生き残っていくわけですから。そういう旧日本人が仕事を差配していては、当然生産性が落ちますわな。だから、みんなが不幸になるわけです。それじゃあシェア争いに負けてしまうわけですよ。
高度成長期は、この矛盾に気づきにくかったけど、いまやその構造が、みんなの目に明らかになったわけです。
では、どーすればいいのかというと、
仁義による安全保障に信を置かないこと
年功序列による出世をやめ、人材を評価し、実力主義に移行すること
組織秩序の維持を目標とせず、損得を考えて行動すること
損得によって柔軟に組織構成の組み替えを行うこと
ひょっとしてヤクザ社会は、日本企業が気づくより遙かに早くこれに気づき、こうした組織風土変革を既に終えているのかもしれません。恐るべし!