イヴ・モンタンの「Z」。タイトルが一番短い映画の一本です。
どこか架空の強権的国家(モデルはギリシャらしい)で、反体制派の指導者が集会で暗殺されます。これは軍事警察による陰謀なのですが、それを立件しようとする判事、自分の利得と社会におけるメディアの使命を両立させるジャーナリスト、巧みに隠蔽をはかる軍事警察、自立心に富んだ市民と反体制派などが描かれています。そんなにできのいい映画ではありません。
学生時代にどこかの映画館で見て以来(白抜きの字幕がぜんぜん読めなかったことを覚えています)、ずいぶん久しぶりに見たのですが、今回思ったのは、「これって、今の日本にそのまんま当てはまるやないか」ということです。
この架空の国のおもしろいところは、全体主義国ではなくて一部の市民が自立していること、三権分立のしくみが、機能不全ながらも一応存在していて、不正の追及も「やろとう思えば」可能であるということです。戦前のドイツや日本ではそもそも不可能であったことです。
この映画の状況は、今の日本とまったく変わりません。「心から何とかしたい」と思っている改革派は、世界共通のルールを取り入れて、不公正をただそうと努力をしていますが、これまでそうしたルールを骨抜きにして利権に巣くっている体制派は、どんな手を使ってでも改革の芽を叩き潰そうとします。
不思議なのは、改革を潰しに回っている側の心理ですよね。現体制を守るためであれば、違法行為も許されると確信しています。それが「私益を守るためにルールを破っている」と自覚していたとしてもです。どーしてこうなんでしょうね。この辺、まったく測りかねるものがあります。
ヴィスコンティの傑作「山猫」は、孤高のシチリア老貴族の気高さを描いたものですが、この映画の冒頭に「現状を守りたければ、変わらなければならない」という言葉が掲げられます。蓋し名言です。変わることを避け続ける人間は、現状すらも守りきれないというあまりに単純自明なことを、変革阻止派の人間たちは知らないのでしょうか。そこまで頭が悪いとも思えないのですが。亀井静香が自民総裁選に立候補するようですが、えせ改革派の発言を分析する絶好の機会がやってきたなと思います。
で、何がおもしろいって、この映画は3月にNHK教育テレビで放送されたということです。私は、放送側の明確な意図を読みとることが出来ます。心から拍手を送りたいと思います。
NHK教育テレビは、意外と根性が座っています。私が密かに喝采していたのは、「視聴覚障害者の時間」の中のニュースでした。視聴覚障害者が求める明快な価値判断を提供することを大義名分に、ばっさばっさと権威を切り倒し、モノの本質を突く解説をしていました。最近はどんな感じか知りませんが。
心ある人間は、どんな組織にでもいるものです。
【追って書き】 先日は、「屋根の上のバイオリン弾き」を放送していました。ユダヤの陋習を墨守しつつ、娘たちを通して新しい世界を受け入れて行く老テヴィエの態度に学ばなければならない日本人は少なくないはず。この映画からも同様の意図を感じ取ることができます。「頑張れ世界名画劇場」!!