別の掲示板で「17歳の事件頻発」について議論していて、私は「ガキでも凶悪犯は実名報道しろっ」と主張しました。そんときのやりとりです。
最近取材してて思うのは(「あんた、なんかやっとんかい」という声も聞こえますが)
社会性の獲得というのは一時的欲求とか、もちょっと高度な自己顕示欲とか、
そういう欲求の延長線上に必然的にあると思うんですよ。
自分がネットワーク・コミュニティの一員であると自覚した時点で、
社会性は自然に芽生えてくるのではと思うんですよね。
なぜならば、社会的に振る舞った方が、間接的な利得にありつけるからです。
やっぱ、「情けは人のためならず」ってやつですよ。
だからまあ、要するに切れるやつはバカなだけということでしょう。
威張れたもんじゃない。恥ずかしいことなんだけど、
なぜか理解を示したがる大人がいるから、ガキも甘えるんだろうな。
「どこまでなら甘えられるか」というぎりぎりの線を見つけるのがガキの仕事だから。
最近はこの防衛線が限度を超えて下がってますよ。
たぶん、親の方に生きることに対するリアルな飢餓感がなくなってるからだな。
「明日食うものがない!」となると、ガキにわがまま言わせないか、
ガキを捨てるか、どちらかにしますよ、きっと。
だからして、私が「実名報道顔写真付きがいいのでわないか」と言ってるのは、
それによって、この「自分がネットワーク・コミュニティの一員である」ということを
おバカちゃんたちにご納得いただくためなんです。
そうすっと、
「ああ、人を刺したり、殺したりすると、監獄に入れられて、日の光を浴びられなくなるんだな」
と、ポリゴンでないと物事が実感できないおバカちゃんたちにも
おわかりいただけるのではないかと。
だいたい、そーいうのは昔は童話で学んだもんじゃい。
最近じゃ、カチカチ山もさるかに合戦も死人が出ないからね。
そのうち「オペラは人が死ぬから野蛮だ」と言い出しかねない勢い。
で、私も問題児を抱える親のことは理解に苦しみます。
昔なら、キュウリ切って「勘当だっ」ってやつですよね。
たぶん、親は子供を自分自身の分身だと思ってるんだと思いますよ。
自分は破壊できないわけですな。
これは、親の「自己愛」が究極原因なのでは。
たぶん勘当って、自分の一部分を切り捨てることなんだろうな。
昔の人はその勇気をもっていたってことか。
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さらに考えを進めると、
日本の伝統的なコミュニティを考えると、
これはネットワーク・コミュニティじゃないんですよ。
閉鎖系なんですな。
分断されたコミュニティ。それが「村」っす。
自発的なイノベーションが進むにはやや中途半端な大きさなので、
進歩が止まるんですよ。
秩序の維持が最優先事項なので、わざと進歩を妨げる仕組みがビルトインされているのが
日本の伝統的なコミュニティです。
なぜ秩序を維持しなければならないかというと、前から書いているように、
日本人はうまく未知の相手と関係性を築く文化を持っていないから、支配=従属関係が必要なんです。
これ、ニワトリと卵の関係なんですけどね。
それで、この閉鎖系の秩序が時代に合わなくなってきて、
成立しなくなってきていることはガキにも感じ取れます。親も先生も混乱してたりして、
その「矛盾がある」をついて暴れたりしているのです。
近所のおじさんもハンパに注意して「なぜ?」と訊かれると返答できないですよ。
だって理屈なんかないんだもん。訊かないことが、ルールだったんです。
でもガキはそれを知ってるからわざわざ訊くんですよ「どうして人を殺しちゃいけないの?」って。
それも単なるわがままですし、この点についてガキに発言権なんかない。
でもより高度なネットワーク・コミュニティができたら(たられば話ですが)
そこにはもっと自由が増えるし、可能性も増えるけど、
基本的な最低限の縛りはもっと厳しくなるよ、バスジャックしたら射殺だよ
ってことでしょうね。
微温的な閉鎖系的秩序で世の中成り立っている限りは、
ガキの犯罪報道は匿名が続くのかも。
でも社会を変えるのはメディアの仕事だと私は思っとります。