外資の論理vs.ムラ社会的管理法

 

木村 代表取締役名誉相談役
KPMGファイナンシャル・サービス・コンサルティング代表取締役   2000.1.11

運営者 アメリカの金融機関の狩猟民族型の経営と、日本の銀行の経営と、一番違う点は何でしょうか? そしてそれを裏打ちしている経営思想の一番の違いはいったい何なんなんですかね?

木村  ざっくりしたお答えですが、"お金を儲ける"という目的に徹しているということでしょうか。

運営者 日本の銀行の目的はそうではないわけですね。はっきり言ってしまうと、個々人が偉くなることを目的とした人間の集合体であると(笑)。

木村  外資系でも、同僚を蹴落として上に上がろうという行動の傾向は変わらないのですが、ただ、仕事の目的は"儲ける"ことができたかどうかだし、それで評価されますから。ところが日本の銀行の評価は"総合評価"ですから……。

運営者 利益が出ようが出まいが、日本の株主は静かにしてますからねえ。社内でどんな不正をして、株主に損害を与えても誰からも怒られない。

木村  外部から怒られなかったですからね。そういうメカニズムがない。ところが今、ヤクルトの社長に、デリバティブで1000億円近い大損失を出した熊谷副社長の管理責任があったかどうかで裁判になってますね。私はこの裁判に注目しています。そこまで司法判断が踏み込めるかどうか。
 きちんと社内で管理ルールを作っていて、善意のある管理者としての役目を果たしていたと認められれば、社長は罪に問われないわけで、これが善管注意義務です。だからとにかく外資系企業は、ルールをきちんと作っている。これに対して日本企業では、形としてのルールは作るんだけれども、中身がほとんどないことが多んいです。

運営者 一応、コンプライアンス・オフィサーを置いてますよね。

木村  でも、プロセスやどういう権限を持っているかについてはかなりあいまいです。マニュアルや通達は出すのですが、それを全員に配っただけで安心してしまって、チェックしたり管理するという発想があまりないようですね。

運営者 それでは、ウソの報告をされたらもうアウトです。悪さしてる人がホントのことを言うはずがない。
 それと、外資の経営にはスピードを感じます。それと比べると日本の銀行がちんたらしているように見えるのはなぜでしょうか。

木村  それは、スピードがすべて利潤に跳ね返ってくるからです。やらなければ誰かが責任を問われる。各個人に収益目標や責任が与えられていますからね。儲からなきゃあ責任を問われます。

運営者 日本だとどんぶり勘定で、だれも責任をとらなくていい。そのほうがみんなハッピーですからね。

木村  そこがうまく変わっていかないとスピード経営にはならないですよ。

運営者 結局利益を出して株主に還元するという、株式会社の本道に立ち返らないと、日本企業の行動はこのまま変わらないということですね。

木村  でもまだ、株主からそういう要求が来ていないということでしょう。
 なぜMIS(マネジメント・インフォメーション・システム)があまり普及していないかというと、日本企業のトップが必要としていないということがある。日本だと手書きの稟議書を書きますが、外国企業はあまり人間性を信頼してませんからマシーンでやっちゃうんです。システムにしてしまえば、改竄が防げるしチェックする手間も省けます。コストが1/3になる。日本ではそういう発想がないし、ニーズもないんですよ。

運営者 「○○君、あの件は大丈夫なんだろうねえ。任せたよ」で終わり。すべての責任は部下が負うというのが日本のメカニズムですからね。監督責任なんて意識してる人はあまりいないでしょうねえ。

木村  "責任"は部下にとらせるんだけど、"管理"がないわけです。

運営者 とりあえずやらせるだけ。

木村  いや、やらせもしないんですよ。"やらせる"というのは、「命令の範囲をはっきりさせて権限を委譲し、結果が出たら報奨する」という三拍子そろって、はじめて"やらせる"と言えるのですが、日本の場合は権限はよくわからないまま、「とにかく頼むよ」。で、うまくいっても報酬も変わらないわけだから、これじゃ"やらせる"ことにはなりませんね。

運営者 「それでも、俺は仕事に賭ける」という人は、どうかしてるような気もするなあ(笑)。

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