今日はクリスマスですね。
 東京ミレナリオの灯りがともりました。早いもので今年でもう4年目になる
 そうです。年々有名になり華やかさが増してくるように思います。 
 とってもきれいです!わたしは大好きです。
 あそこだけは幻想的な空間かな。
 いつかクリスマスに大好きな人と行けると 素敵ですね。。。
 
 今日はいろんなことに傷ついて、もうだめだと思って、でも自力でここまで
 はいあがってきたひとからのお便りを貴女に贈ります。 
 15才は一番多感な時期。 
 黒い羽を嘆き悲しむのではなく生涯、心をみがいていきましょう。

 私へのお便り〜
  等身大の自分を偽ると相手が居心地悪くなるばかりでなく、だれよりも 
  自分自身が落ち着かなくなるのだと思います。自分を偽るということは
  自分で自分の首をしめることになるのだと思います。
  自分を大切にする、、、それはこれまで私がいちばんないがしろにして
  きたことなんだとあらためて思いました。
  今こうして、子ども時代からの記憶をたどり思いだして、ひとつずつ、ふり
  返ってみると、いつもそこには我慢して自分を偽り、感情をおし殺して
  いた、幼いころの自分の姿がはっきり見えてきます。
  友達から、みんなからよく思われたい、絶対嫌われたくない。そんなこと
  ばかりに頭をめぐらせて生きていたように思います。そうしたらほんとうに
  自分はなにがしたいのか、なにが好きなのか、だれが好きなのかわから
  なくなっちゃったんです。
  今もまだなんにもわからないままです。でも前とちがうのははっきり自分の
  今がみえてることです。何も解決はしていないのかもしれません。
  何も変わってもいないのかもしれません。

  自分の精神状態と闘いはじめて、長い長いトンネルをぬけようとして、やっと
  ゴールが見えたと思ったら、そのゴールが自分の心の醜さ、あさましさだった
  のです。私が家庭環境や両親のせいにしていたもとが、すべて自分自身に
  あったのです。まだショックです。

  みんなから好かれていたい。愛されたい。という欲は変わりません。自分から
  はなにひとつ人にはたらきかけようとしないで、人を思ってあげたり愛そうとも
  しないのに、でも人からは好かれたいのです。 子どものときから、親に嫌わ
  れたくない、嫌われたらおしまいだと思って、ごきげんばかりとって私は生きて
  きました。 
  人の顔色をみてひとのごきげんをとることが、もう完全にしみついてしまって
  いるのです。
  なさけないです。
  こんな自分がまだ大嫌いです。
  自分のほんとうの姿、ほんとうの心を人に見せたら嫌われます。だからいや
  なのです。理屈ではわかっているのにやめられません。
  こんな人間はだれだって嫌いに決まっています。自分のことしか考えられない
  のですから人から愛されるわけがありません。 
  
Dear  Takamina
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