自分さえよければいい。自分さえ、いやな状況にならなければそれで
 いい。今の自分だけしか見えなくなってしまうのです。

 せっぱつまったときこそ、とんでもない出来事が生じたときこそ、自分の
 意志、信念はつら貫きとおすものなのです。
 たとえおどされたって、殺されたってかまわない。そんな強さが心になけ
 れば、 自分の意志なんてあっというまにもろく崩れ落ちていきます。

 人はみなこころにもうひとりの自分をもって生きています。
 もうひとりの自分は自分の内の他人です。
 今まで自分を応援してきてくれた人の内にひそむ、もうひとりの他人が
 現象に現れたとき、その言葉の綾(あや)を解そうともせず、聞く耳も
 もたず、自分を防ぎょすることだけに精いっぱいになってしまうことは、
 まことに愚かなことです。 「けんかしたうし」と同じですね。

 人を心から信じていれば、いくら別人に強く言われたとしても、相手の
 こころが読めるのです。心の綾がみえてくるものなのです。
 自分に弱い人間はそんなときにこそ本性が露呈されてしまうものなの
 です。

 一瞬にして、今まで読んで感じたイソップのすべてを身をもって体感した
 のでしょう。
 まだまだ未熟です。でもこれからです。
 たいせつなことは、人を裏切ってはならない。信念を曲げてはならない。
 人を傷つけてはならない。そんなことではないのです。

 その失敗、あやまちをしてしまったときに自分がどう感じたかが大事な
 のです。
 人を 傷つけたら自分が同じように傷つけばいい。その人のくるしみの
 何倍もくるしめばいい。
 信念を自分のもろさでまげてしまったら、絶対つぎはやらない。
 その目標に向かって今まで以上にがんばる。  
 人を裏切ってしまったら、信用を形に表し、とりもどしていく。人から裏切
 られたら、その人を恨むのではなく、その絶望から血へどをはいてでも
 はいあがる。
 絶対自分に負けない。

 これが人のいたみを我が身のごとくに感じるということです。この自分の
 ごとくに感じられる強さ、優しさを学んでいくことが、いちばんたいせつな
 ことなのです。

 体感したということは、負い目を感じたり、恥じたりすることではありませ
 ん。
 がんばる力を与えられたということです。

 

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