潜在下でバランスをとり懸命に生きようとしているのです。
 二人目、三人目の人格が内にいなければ、居場所、逃げ道がなければ現状がつら
 すぎて心のバランスが保てないほどにおいつめられてしまっていたからです。
 自分にはできなかったこと、いえなかったことが、別の人格がすべて代行してやって
 くれていることによって発散させていたのです。
  
  この現れた人格を無理に封じ込めようとすれば、主格である人格に必ずひずみが
 生じてきます。
 解離性は自分の心を守るために、心が必死に生き延びようとしている心の叫びだと
 思ってください。
 解離している自分は子どものころがまんにがまんを重ねてどんなときでもじっと耐え
 てきたもうひとりの自分なのです。だからはき出させてあげてください。
  今出ている症状はすべて自らの意思で、やっと意思表示でき、がんばってる姿なの
 です。

  この症状において、薬療法は一時的な情緒の安定にはなりますが、けっして根本的
 解決が得られるわけではないのでかえってその薬の効果が切れたとき反動が大きく
 なってしまう場合があります。
 心がバランスを保とうと必死にがんばっているときに、外部から安定剤という名のも
 とでそのがんばりを阻止されてしまうのですから、解決どころか足をひっぱってしまう
 ことになるのです。

  抑制されて育ってきた自我は修復するのに果てしない歳月と家族、周囲からの愛
 情が必要になってきます。からまってこじれた糸に向き合い、ひとつひとつほぐしてい
 く本人と家族の努力と愛情が必要になります。
  しかし、もともとそのように愛情のある家庭であれば、情の深い人間が寄り添っていれ
 ば解離性同一性障害などという症状はでなかったのです。
 ですから、理解できない、親や家族を説き伏せ、話し合うことから一歩を踏み出さなけ
ればならないので至難の業になります。
 ここには第三者の力が必要になってきます。
 解離した自分をどんなときでも見捨てず最後まで見守ってくれるもうひとりの他人の力
が必要になってくるのです。
 恋人でも友人でも兄弟でもカウンセラーでも治療家でもいいのです。
 本人が心を開いてくれる人が条件です。生身の人間で一心同体で取り組んでくれる
 人なら立場はだれでも良いのです。
  解離している自分のすべてを受け入れてくる他者がそばにいれば治癒のきざしは
 必ず見えてきます。人は生きていく上でひとりの力ではどうにもならないときがありま
 す。それが心の病におかされた時なのです。
 解離性同一性障害は心の病、精神の病です。

  まず自分自身が今の現状を認知することです。
 つらかった要因の糸をひとつひとつたぐりよせ、受け入れ認めていくことです。想い
 をはきだせなかったから心が耐え切れず解離してしまったのです。
 どんなささいなことでも思いをためないで吐き出して行くことがこれからは大切になっ
 てきます。 
                                    
 
こうして幼少期から抑圧された人格は、もうひとりの人格を形成することによって