現代の医学では精神の病は、その人の心をみることより先に
  まず症状を改善することだけに着眼してしまっているため
  どうしても薬療法を取り入れざるを得ないのが現状です。
  精神安定剤や抗うつ剤、睡眠薬や抗不安薬などを服用すれば
  症状は一時的には緩和、完治されたようには感じます。
   しかし根本的な心身内の解決には、なにもなっていないため
  薬がきれたときの焦燥感、歳月をかけて治療したにもかかわらず
  症状が戻ってしまったときの絶望感、それはリバウンド現象のように
  ものすごい重圧となってその人の心に重くのしかかってきます。
  まさに死にたくなるほどの絶望と孤独感にさいなまれます。
   症状が再発すれば医師はまた、より強い薬治療を再開させます。
  自ら自然に備わった神経、感情は薬によって果てしなくコントロールされ
  完全に自分というものを、自然治癒力というものを
  人は失ってしまうのです。 これが実際に行われている心の病に
  対する病院での医療なのかもしれません。
   病院は薬や注射を投与しなければ点数になりません。
  いくらメンタルな部分に時間と労を費やしても、対話療法だけでは
  経営がなりたたないのが現実です。
  保険がきかないカウンセリング診療所では歳月のかかる治療だから、
  ものすごい膨大な費用がかかってしまいます。 そしてまた
  いくら名のあるカウンセラーや名医に出会えたとしても患者自身が
  信頼し心開かなければ対話療法、精神療法はけっして成り立ちません。

   心の病のむずかしさを私は感じます。
  眠れなければ眠らなければいい、、、
  なぜなら傷ついたり何かが気になってしかたないとき
  人は眠らぬことによってこれもまたバランスを保っているからなのです。
  体が本来必要とする睡眠をとれないとき、 人は極度な疲労感におそわれます。
  体の循環が衰え、脳への血流も滞り頭もぼんやりして思考能力が
  停滞していきます。   意識が遠のくという感じでしょうか。
  でも最低限働かなければならない思考回路はむしろフル回転するのです。
  極度の睡眠不足のときにものすごいひらめきや発案が浮かぶのは
  無駄な思考に気をまわす余力と気力がないから瞬時にして気が一点に
  集中するからなのでしょう。
   死にたくなるほどつらいことがあって不眠になったとしても
  無駄な思考が働かなければ死を決断して実行している場合ではなくなるのです。
  眠らぬときほど生命のカン(感、勘、観)は極度にさえるのです。
  生命のカンは生きる方へ、少しでも生き延びる方へと自然に働いてくれるのです。
  むしろ睡眠薬を服用し、ぐっすり眠ってしまった人にこそ自殺者は多いのです。
  (薬という外部からの力によって生命のカンがくるってしまうのですから、、、)
  家猫よりも、眠りの浅い外猫の方がちょっとしたことにも敏感に察知し
  カンがするどくなっていくのと人間も同じなのかもしれません。
   
  眠れないときは無理して眠らなければいい、、、
  この自然さを無理に変えようとすればするほど
  ますます心の病は内へ内へと、よりもっと気づかない部分に進行していくのです。
                                 次のページへ