一月の章

何もない台所から、絞り出すことが精進だといったが
これはつまり、いまのように店頭へゆけば何もかもが揃う時代とちがって
畑と相談してからきめられるものだった。
ぼくが、精進料理とは、土を喰うものだと思ったのは、そのせいである
旬を喰うこととはつまり土を喰うことだろう
土にいま出ている菜だということで精進は生々してくる

一月の軽井沢は、朝夕の凍てる時は零下十五度という寒気である
したがって、土もねむり樹も草もねむっている。
ねむっているというよりは、死んでいるといってもいいだろう。
それでは何を喰うか。
ぼくは、秋末から、この冬のために財えてある野菜どもと相談するのだ。
小芋、馬鈴薯、ねぎ、すべて、地下のコンクリートのせまい所だが、
食料貯蔵所に入れてある。
真冬の貯蔵庫から、芋一つ撫でさすりながらとり出す気持をわかって
ほしい。手にした芋のありがたさ。
旬を喰う日々の楽しみはまだやってこない。