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「音と文明 ― 音の環境学ことはじめ」より抜粋

音と文明 ― 音の環境学ことはじめ大橋 力
岩波書店 2003.10.28 第1刷

第9章 知覚圏外の音 3. (p. 444-446)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1980年前後、PCM方式によるデジタルオーディオの実用化に先だって、どの周波数までの高周波成分が音質に影響を及ぼすかを評価する実験が日本を中心にしていくつも行われた。その中に、日ごろ20kHz以上の超高周波成分の効果を認めそれを活用しているスタジオーエンジニアたちを含む被験者群を使った厳密性の高い大規模実験かあった。世界的に権威を認められることになったその実験の結果は、音楽の中の高周波成分の有無が人間に音質差として検知されうる限界は14kHz 止まりであり、16kHz 以上の高周波成分の有無は人間には音質の差として感じられないというものだった(7)。同じ目的のもとにドイツで行われたホワイドノイズの高域を段階的に遮断して呈示する実験からは、10kHz 以上の高周波成分の有無は音質差に何の影書も及ぼさないことが示された。これらか、初めて登場した民生用デジタルオーディオにおける標本化周波数の規格(32 kHz、44.1 kHz、48 kHz)の根拠になっている。
 これらの実験およびその結果と、それを背景にした専門研究者たちの姿勢は、実験の被験考になったとりわけ優れた感覚をもつ一部の真摯なスタクジオ・エンジニアに対してその鋭敏な感寛を亊実に反して否定するという作用を及ぼした。その結果、忍び難い悩みにつき落とされ体調を崩すといったまったく不当で深刻な悲しむべき事例さえ導いている。そうした状況に身近に接していた私は、論文に掲げられたデータが十分に整備された実験から導かれ権威ある理論に裏付けられた知見であることを承知していながら、この鉄壁の権威に疑疑義を呈しそれを実験的に検証しようとすることにほとんどためらいを感じることはなかった。なぜなら、音の料理人としての私。(山城祥二)にとっては、20 kHzはおろか 50 kHz をこえ100 kHzになんなんとする「知覚圏外の音」こそ已に固有の味創りのエッセンスであり、非言語性の内観として、その効果は自明の真実に他ならないからである。同時にそれは、ある種の感覚感性をもつスタジオ・エッジニアやミュージシャンたちとの間で「以心伝心」で共有された体験知でもあった。

*管理人注 「事実に反して」と言い切るのは疑問である。その理由はここ