目次へ戻る   

歴 史 散 歩 (9)

大和三山と藤原京跡サイクリング紀行 2008.4.22 実施 5.2製作

藤原京は、飛鳥の北に隣接し、畝傍(うねび)山、天香具山(あまのかぐやま)、耳成山(みみなしやま)と、いわゆる大和三山に囲まれた土地に天武天皇か計画し、没後その皇后であった持統天皇が大和朝廷の新しい首都として建設した、日本で初めての中国風の碁盤目状の道路、いわゆる条坊制に基づき設計された都城である。首都として機能したのは、持統、文武、元明の三代16年間の短命であったせいか、目につく遺跡なども少なく、訪れる人も少ないが、遺跡調査は進んでおり、当時はかなり大規模な都市であったことが明らかにされつつある。今回近鉄橿原神宮駅でレンタサイクルを借り、天香具山、耳成山に登り、途中にある主な遺跡を見て回った。

ルート(左地図赤線に沿って)

近鉄橿原神宮駅東口を出て右手にあるレンタサイクル店で自転車を借りる(¥800/日)

国道169号線を北上し近鉄畝傍御陵前駅付近で右折し直進すると、右手に本薬師寺の標識があり小道を入ると小さなお堂と基石が残る本薬師寺跡@がある。

さらに東へ進み飛鳥川に沿って50mほど南東に進み橋を渡って東に進むと左手に香具山の美しい山容が望める。道標に注意し香具山に至る道に入り、麓に進むと天の岩戸神社Aの小さな祠が見える。

このあたりに自転車を置き、登山道に入る。標高152mなのですぐ山頂Bに至る。山頂には少し広い平地があり、国常立(くにのとこたて)神社という小さな祠がある。木立に囲まれておりほとんど眺望はきかないがわずかに西方に畝傍山が見える。

山頂から北に向かう道を下山すると麓に香具山神社Cという少し大きな神社にいたる。ここには、柿本人麻呂の歌碑などがある。ここから山麓の西斜面を迂回する農道からは畝傍山や耳成山、遠くには葛城山、二上山も望めすこぶるいい眺望が楽しめる。

香具山を一巡して登山口に戻り再び自転車で少し北にある奈良文化財研究所の藤原宮跡展示室Dを見学する。特に見栄えのする出土品がある訳でなく、どちらかというと玄人向けの施設である。

さらに北西に向かい集落を過ぎると田畑が広がる平地に出る。このあたりが藤原宮の中心部で、その中の、少し土盛りをし木が茂っている所が大極殿があったところとされている大宮土壇Eである。その北側に広がる長方形の池の側を通り北進すると、耳成山の美しい山容が目に入る。

JR桜井線、近鉄線を越えると耳成山に至る。南側山裾は池の広がる公園になっており、耳成山Fへの登山口がある。登山道は、山麓を周回する遊歩道があるが、頂上付近にある耳成山口神社への参道を登る。残念ながら頂上からの眺望は望めない。

耳成山から南方へ引き返し、近鉄橿原線を横切り橿原神宮方面に向かい、神武天皇陵を見学して元の橿原神宮駅に戻る。なお、残る三山の一つ、畝傍山と橿原神宮は、以前に行った時の記録を下に収録しておく。

本薬師寺跡@

天武天皇が后の持統皇后の病気平癒を願って建てたという薬師寺。平城遷都に伴い、現在奈良西の京にある薬師寺に移転し、最初に建てられた藤原京のこの地にあったのは本薬師寺と呼ばれている。当時は、現在の薬師寺に匹敵する大伽藍だったそうだが、今は一部の建物の基石などが残っているのみである。

この写真は金堂跡とされている場所で、民家?の庭に当時の柱の基石が置かれてる。

少し離れたところに、東塔の跡とされる心柱の基石が残っている。 付近は一面田畑となっている。

本薬師寺点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


小さなお堂

基石群

東塔跡

説明板


天香具山 B

道中にある小さな公園から眺めた天香具山。

香具山は他の2山が休火山で孤立した山であるのに対し、東方から延びる峰の端のにある小高い山で、きれいな円錐状に見えるのは南側から眺めた場合のみである。

百人一首の2番目の歌 持統天皇の

春過ぎて夏来にけらし白妙のころもほすてふ天の香具山

はこの季節に詠んだものか。

天香具山付近点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


A天の岩戸神社

天の岩戸?
(ご神体)

頂上から畝傍山を望む

B
頂上にある
国常立神社

山麓の農道から

説明板

C天香具山神社

柿本人麻呂歌碑

歌碑説明板

藤原宮跡 E

藤原宮のあったあたりはこのような畑地になっている。

後方の山は耳成山

左手木の向こう側に見える木立は大極殿があった大宮土壇。

ここは、畝傍山、香具山、耳成山を頂点とする正三角形のほぼ中心に位置する。


藤原宮跡付近点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


大極殿跡
大宮土壇

記念碑

説明板

D藤原京資料室

資料室内部

耳成山 F

南側から眺めた耳成山

(醍醐池)の向こう側は耳成山公園。小さな小屋(トイレ?)付近に登り口がある。


頂上の直下に耳成山口神社がある。

頂上からの眺望は望めない。


耳成山付近点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


藤原の宮から眺めた耳成山

耳成山口神社


最後に訪れた神武天皇陵 畝傍山の下、橿原神宮の北隣に神武天皇陵Gがある。さすがによく整備されており広い参拝所がある。

畝傍山と橿原神宮 2007.11月

ルート

今回登らなかった大和三山の一つ畝傍(うねび)山は昨年秋に登ったので、その時のルート。

近鉄橿原神宮駅参道口を出て広い参道を少し歩いたところで左に折れ、近鉄の線路を渡ってすぐの所に久米寺@がある。

久米寺の北門から直接橿原神宮Aの境内に入る。

広大な神域の奥に、これまた巨大な拝殿がある。本殿はその内部にあり外からは見えない。

北神門を出て北参道を少し行くと、左手に畝傍山への登山口がある。畝傍山は標高199mと、三山の内では最も高い。頂上には広場があり眺望はそれほどきかないが、西には葛城山系の山々、東方には木の間越しに、耳成山の秀麗な山容が望める。帰りは、ほぼ直線的に麓へ降りる道から下山した。かなり急勾配の道でちゃんとしたシューズを履いていないと危険な箇所もある。

麓には旧海軍の戦没者を顕彰する施設があり公園となっている。

その公園あたりから神域を出て東へ少し歩くと橿原考古学研究所の付属博物館Cがある。さすがに、飛鳥から平城京に至る日本一遺跡の豊富な土地にあるだけに大変見事な展示品が見られる。この日は特別展として、「金の輝き、ガラスの煌めき」と称して藤ノ木古墳出土品展が開催されており(この日を選んだのはこの展示会を見るためであった)、被葬者が着用していたと見られる、金銅製の靴など見事な展示品が見られた。

参考:http://www.town.ikaruga.nara.jp/ikaho/kouza/f41.html (藤ノ木古墳)


橿原神宮拝殿 後ろは畝傍山

祭神は神武天皇で、明治初期に国家神道の拠点として建立された。この地が選ばれた理由は、日本書紀にBC660年(紀元元年)神武天皇が畝傍山の南東橿原の宮で即位したという記述があることによる。



橿原神宮付近点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


橿原神宮
南神門

久米寺

畝傍山頂

畝傍山頂より
葛城山方面

木の間から見える耳成山

麓の公園

海軍軍人顕彰碑

橿原考古学研究所附属博物館

畝傍山説明パネル


Topへ