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安土城趾散策 2002年5月20日

私の非常勤の職場(彦根市)の途中にある安土城趾に立ち寄ったときの記録です。
石垣や石段などの石像物以外何も残っていませんが、秀吉や利家の役宅跡が示してありNHKの大河ドラマを見ているものにとっては結構興味深いところです。 
車で行くと安土山の麓、大手入り口付近に比較的大きな無料の駐車場があり、すぐに石段の登り口があります。石段の両側に家臣の役宅跡があり、石碑や案内板がたっています。入ってすぐ左手に羽柴秀吉の、右手に前田利家邸の跡があります。なお、少し上った左手にもう一つの秀吉邸の跡があり、位が上がるにつれ、天守により近い所に土地をもらったものと思われます。石段は一段が50cmはありそうな大作りなもので、天守跡まで上るのは結構疲れます。

本丸跡や天守閣跡は平地となって敷石が一部残っている程度で、木で囲まれているので見晴らしはききません。しかし、木の間から見える近江平野、琵琶湖の眺めはすばらしく往時が偲ばれます。頂上付近には織田家の親戚筋の邸跡や森蘭丸などの近臣の邸跡があります。また、信長廟が少し離れたところにあります。聡見寺は3重の塔など建物も残っています。(後のものとおもいますが)


安土城趾案内板再録

安土城を象徴する道 − 大手道 、
 目の前まっすぐ延びている幅広い道が、安土城の大手道です。安土城の正面玄関である大手門から山頂部に築かれた天主・本丸に至る城内では最も重要な道です。大手道は、その構造から、直線部分、横道・七曲がり状部分、主部外周路部分の三つの部分によって構成されています。
 大手門から山腹まで、約180mにわたって直線的に延びる部分の道幅は、約6mと広く、その南側に幅1〜1.2mの岩敷き側溝があり、さらにその外側に高い石塁が築かれています。道の東西には、複数の郭を雛壇状に配した伝羽柴秀吉邸跡、伝前田利家邸跡等の屋敷があり、これらは番院造りの主殿を中心に厩や隅櫓等、多くの建物で構成されています。まさに、安土城の正面玄関を飾るにふさわしい堂々とした屋敷地と言えるでしょう。
山腹部分は、傾斜が最も急なところで、ジグザグに屈伸しながう延びています。この付近は踏石や緑右に石仏が多く使われている他、跡地部分に平担な踊り場を造ることなく、踏石列を扇状に展開させていることが特徴です。
武井夕庵邸跡の北東付近から大手道は東へ屈曲し、上郭部の外周を構成している高石垣の裾を巡り、本丸に直接通じる本丸裏門に至ります。屈曲部は幅4m程に狭まりますが、本丸裏門近くでは6mを超える広い道になります。
安土域の正面を通る下街道か見える直線的な大手道とその延長上に聳えるる天主は、街道を行き交う人々に信長の力を強く印象付けたことでしょう。

大手道入り口付近

(クリックすると大きくなります。以下同じ)
左 秀吉邸跡(2つ目の大きい方)

右 前田利家邸跡
大手道の石段

右 所々に石材として使われている石仏


信長の無神論者ぶりを示す?
上級家臣の役宅跡

右 森蘭丸 織田信澄邸跡
左 信長廟

右 総見寺3重の塔
左 本丸 天守跡への道

右 天守跡
左 本丸跡付近から北近江方面

右 総見寺付近から近江八幡 西湖方面