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AKIFUMI SHIBA  芝 章文


毎日新聞(夕刊)文化 批評と表現欄 [厚みのあるイメ−ジ表現]三田晴夫  2002年10月8日
文化 批評と表現          2002年(平成14年)10月8日(火曜日)

厚みのあるイメ−ジ表現

イメージは人間や物の影をはるかな起源に持つが、だからといって、実在の何かに似ているということがその本質なのではない。絵画を例に取れば、ある必然的な契機を伴って描かれ、未知の知覚経験を励起するようなものを、さしあたってイメ−ジと呼ぶのが妥当だろう。そして、その強弱や深浅こそが、絵画表現をはかる尺度といっても誇張ではないのである。芝章文の油彩「MAO」シリーズは、すでに10年以上にわたって描き継がれている。しかし、そのイメージを成り立たせる主要素は、ほぼ一貫して変わることがない。一つは、最も強く画面を特徴づけているであろう、波形に縁取られた白っぽい雲状のだ円形や矩形などである。次いで、雲形の内部に散在する明暗とりどりのドット(丸点)群。そして最後が、雲形を取り囲む黒や暗色の外縁だ。
つまりここでは、限られた色彩・形状の対比やバランスが、イメージの導火線にほかならない。ともすれば過去のシリーズは、これらの対比やバランスばかりに意識が傾いてか、いくぶん図式的でイメージの流れが滞った印象を与えなくもなかった。しかし、今回のセキを切ったようなその流動に接すると、かつてのためらいも無意味ではなかったことが感得される。何よりイメージの深まりを決定づけたのは、自在にほぐれ始めた雲形だろう。破調のダイナミズムもさることながら、たとえばほぐれ目に現われた鳥影めいた暗黒面が、無数のドットともども、多種多様な視覚の進退運動を促してやまないからである。とりわけはじめて取り組んだ横長の大作は、見る者を銀河のごとく果てしないイメージで包み込む。1956年生まれ。

三田晴夫

毎日新聞(夕刊)文化 批評と表現欄 [厚みのあるイメ−ジ表現]三田晴夫  2002年10月8日


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