AKIFUMI SHIBA  芝 章文


かわさきIBM 市民文化ギャラリー さまざまな眼139 芝章文展


会場エントランス 
MA0シリーズ 会場風景 
MA0シリーズ 会場風景 
MA0-4760704 220×300cm キャンバスに油彩 2004年 MA0-4690704 75×110cm キャンバスに油彩 2004年
MA0-4740704 240×180cm キャンバスに油彩 2004年 MA0-4750704 240×180cm キャンバスに油彩 2004年
MA0-4730704 200×150cm キャンバスに油彩 2004年
MA0-4720704 200×150cm キャンバスに油彩 2004年
  さまざまな眼139 芝 章文展 2004年9月16日(木)〜10月12日(火) かわさきIBM市民文化ギャラリーにて開催

芝章文「素白なる悩み」をめぐって
                                  谷川 渥
「わが船の帆の素白なる悩み」−『マラルメ詩集』(鈴木信太郎訳)の冒頭を飾る「礼」(salut)の最終行の詩句である。ここでマラルメは、航海に出る船の帆(トワール)の白さと、詩的エクリチュールを待つノートのページの白さとをかけ、孤独で苦難にみちた創造的行程を前にしたみずからの心境を「素白なる悩み」(1e blanc souci)と表現しているわけである。
 詩人にとって、この行程は、白い空に黒い星を置く宇宙論的ともいいうる作業にほかならなかったが、たとえば、わが谷崎潤一郎は、白い紙の表面に黒い文字を並べて物語世界を現出させる小説家の第一の主題として、「刺青」を選んだ。皮膚に色料を注ぎこみ図柄を浮き出させる刺青と、小説は行為としてパラレルな関係にあるというわけである。皮膚が、両者をつなぐ特権的なメタフアーとなる。小説家にとっては、エクリチュールがとりもなおさず女の白い肌を主題化することにほかならなかったから、「素白なる悩み」は「素白なる喜び」でもあったかもしれない。
 いずれにせよ、マラルメの表現を、まだなにも描かれていない真白な画布を意味するために用いることができるだろう。「素白なる悩み」は、ひとり詩人だけのものではない。それはまた、すぐれて画家のものでもあるはずだ。いったいなにを描いたらいいのか。
 こうした原理的な問いは、芝章文の四半世紀に及ぶ仕事をあらためて振り返って見るとき、おのずから生起するものである。いや、これはなにも芝章文というひとりの画家だけではなく、「抽象」画家すべてに関わる本質的な問題であるにちがいない。なぜなら、「抽象」とは、「なに」に当たる部分をさしあたって抹消することだからである。これこれと名指すことのできる対象を伝統的な言葉で「主題」と呼ぶなら、「抽象」とは「主題の排拒であるにはちがいない。だが、主題(sujet)という語には、対象的な題材という意味のほかにも、絵を描く人の主観、主体の意味もあるから、「素白なる悩み」は、この十全たる意味における主題=主観に関わるはずだ。
 セザンヌは、「モティーフ」という言葉を好んだ。「モティーフ(を探し)に行く」「モティーフにもとづいて」仕事をする、というのが彼一流の表現である。モティーフと主題とは微妙に異なる。「動機」の意味としては精神の内部にあるものだろうが、同時にそれは知覚のうちに与えられる外的対象とも不可分である。セザンヌの作品世界の特質は、モティーフという語のこの両義性と無関係ではない。とはいえ、セザンヌも「モティーフにもとづいて」仕事をしたのであり、モティーフを描いたのではない。モティーフと主題との、さらには主題と「なに」との微妙な差異、距離のうちにこそ、画家の本当の「悩み」があるというべきなのかもしれない。
 芝章文自身がこうした言葉をめぐって思考を展開したわけではないにしても、画家としての芝の起点が、こうした言葉にかかわる問題圏にあったことはたぶん間違いないだろう。白いページに黒い文字を置いていくことが、女の肌に図柄を浮さ出させることになるような、そうした行為が画家に可能だろうか。それこそが、おそらく「抽象」画家の起点であり、また到達点であろう。いうなれば、「なに」と「主題」と「モティーフ」とが究極的に一致するような画面を創出すること。野心というなら、これ以外に画家の野心はないはずだ。
 1970年代末の芝の作品群が、「磁力線」と名づけられていることは、この点できわめて象徴的である。宇宙空間に無数の磁力線が飛びかい、そこになにか形ならざるものとしての磁場が現象する、そうした場面を描こうとした作品だが、「発生」とか「放出」とかいったサブタイトルがついているように、画家はここで白い画布に絵具を置いていくことが、とりもなおさず「磁場」の「発生」であるような、つまり描く行為と描かれる世界とが不可分であるような絵画の成立をもくろんでいるように見える。そしてこの「磁力線」シリーズ(*1)は、結果的にははるかに90年代の「MAO」シリーズを予告するものとなっている。     
 しかし80年代に入って、画家はやや別の位相に立つことになった。絵画の平面性により即した、構成的意識の勝った「分割」シリーズに始まり、この画家ならではの否定すべくもない装飾的配慮に支えられた「起源説」シリーズ(*2)や「天明」シリーズ(*3)の制作を続けることで、画家は現代版琳派のような様相を帯びるにいたったのである。金箔や銀箔を大胆に用いることが、そうした印象を生み出すのにあずかって力があったわけだが、社会的に大いに需要のあったらしいこうした作品群は、芝章文の画家としての職業的メチエのありようを十二分に証しているといっていいだろう。とはいえ、画家はこうした「装飾的」作品を、「磁力線」シリーズを起点とする「本来的」作品と、かならずしも使い分けたわけではない。「磁力線」シリーズに見られた自在な線の遊動は、「分割」シリーズ以降も存続し、それはときにうねうねとした帯となって画面を走り、またときに鋭角的にそうした曲線を断つ役割を果たしている。曲線および直線の帯と細かな線分群とによって、基本的に画面は構成されているのである。画家ならではの絵画的諸要素の組み換えと選択的な強調によって、こうした作品群が生み出されたのだ。
 ところが1989年から90年代にかけて、芝の作品は劇的な変化を見せる。「MAO」シリーズの登場である。いっさいの線が消えて、まことに名づけようのない、もやもやとした雲か霞のような不定形なものが画面の枠に内側から抗するがごとく身をさおさすがごとく現前する作品群である。80年代の作品とは、あまりに非連続に見える。いや、あの「装飾的」作品群の画面をよく見てみれば、錯綜する線たちの背後に、あるいはそうした線たちを包むように、ちょうど日本の俯瞰構図の古典的絵画に見られる、あの「霞」のようなものを再確認することができるだろう。支那の画論にいうところの「気」の可視化だといっても差し支えあるまい。いずれにせよ、劇的な変化と見えるものの根底には、やはりある種の連続性があるのであり、80年代に抑圧されたように見えたものの回帰が起さたのだ。そしてこれは、ある意味で、あの「磁力線」シリーズの装いを新たにした復活ともいえるものである。
 とはいえ、「磁力線」シリーズのいかにも表象的な、イリュージョニスティツクな線と面の効果は、「MAO」シリーズにはない。やはり似ているようで異なる、その茫漠たるありように画家の資質が賭けられているのである。さまざまなシリーズの試行を経て、画家はいよいよ、絵具を置き重ねていくことが、とりもなおさず独自の絵画空間を創出することになる、そうした困難な道にあえて踏み出したといっていいだろう。日本絵画に特有の朦朧体が、アメリカのカラー・フィールド・ペインティング(色彩の場の絵画)と呼ばれるところのある種の絵画の傾向と強引に手を結んだ、そういう見方もできないわけではない。
 画家は、しかし、もやもやした不定形のものが、たとえば空に浮かぶ雲や空間に出現した穴といった、名ざすことのできる表象と受けとられることを恐れるかのように、その上に小さな色斑や亀裂のようなものを描き加えることで、当のもやもやを画面の向こう側とこちら側のいわばあわいに引さ止めようとする。地と図、窪みと浮きといった二元性を肯定も否定もしないその曖昧なありようこそ、画家のめざすところだったといっていいだろう。
 青を用いることは、おのずから空や水や宇宙といったイリュージョンを引きつける。そのことを避けるためのように、画家は明度も彩度も低い、茶とも紫とも赤とも黄土色とも見えるような鈍い色彩で画面を覆ったことがある。ある種のイリュージョンを避けるための試みが、しかしまた別のイリュージョンを呼びこむことになった。皮膚の、それも病変をこうむったような皮膚のイリュージョンである。白い画布に絵具を置き重ねることが、「刺青」ならぬ病変の皮膚を生成することになったわけで、これはこれで「素白なる悩み」から出発するところのひとつの必然的な帰結ともいえる興味深い現象ではあった。いわくいいがたい閉塞感のようなものを与えないではいないこれらの作品は、確かに「MAO」シリーズの負の部分に相当すると見ていいだろうが、ある意味でこうした作品こそが画家の真撃さの証しになっていると私には思われる。
 さて、今回の展覧会で画家はまた新たな展開を見せる。同じ「MAO」のシリーズだが、地と図の二元性を云々させることになるあのもやもやした楕円形のようなものが消えたのである。画面の周囲にあった「地」が消失したといってもいい。画面全体に「気」が満ちたとも見えよう。青が主体だが、赤や黄土色も用いられている。なにか突き抜けた感じがする。拡がったのだ。絵画空間が拡がった、そういう印象を与える。
 眼の前にあるものを、たとえば「雲」と名づけようと名づけまいと、それは人の自由である。しかし、そのような「なに」と名づけることを超えて、画家の拓いた空間が観者の前に拡がり、あるいは観者を包みこむかもしれない。だとすれば、そのかぎりで画家の試行は正当化されたのであり、その努力は報われたのである。
                                            (たにがわ・あつし/美学)

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