DIARY



四方山ひとりごと
2002年5月22日(水)
水の写真を撮ろうと思って毎日水を捜しているのだが、いい水に出会わない。意外と気に入った水がみつからないのだ。一週間前からの急ぎの作品を二点、やっと今日納品してきた。もうクタクタだ。さすがに徹夜はこたえるね…。今日は水どころじゃない。

家猫のレオがうちをとびだして夕方まで帰らなかった。やっと帰ってきたと思ったら近くのノラネコに傷つけられたようだ。ネコの世界では家猫に対して世間の水は冷たいらしい。赤チンをつけてやった…。

2002年5月23日(木)
そろそろ10月の個展の準備にとりかからなければならない。時間がまさに矢のように過ぎてゆく。それでいて制作は遅々と進まない。矛盾した身体と心を抱えながらいつものような焦燥感に苛まれている。できるのかなあ〜。

2002年5月26日(日)
今日は朝から星和空手の春季交流試合でした。みごとに4位入賞です(運がよかったのかもね。賞状と記念メダルをいただきました。)でも体中の節々が痛みます。もっと鍛えなければ…。

2002年6月5日(水)
左脛の関節がまだ痛む、肋骨あたりもしびれたままだ。(笑うと痛いから笑えない。)空手の試合の後遺症で、完治するまで結構かかりそうだ。さすがにフルコンタクト空手はきつい。有段者に本気で打ち込まれた日には、とてもじゃないが想像すらしたくない…。今、ハリックスを体中に貼って絵を描いてます。悲しい姿だね。

2002年6月10日(月)
視ることを誘うようなしずかな絵を描きたいと思っている。それは昨今言われるような、受動的な癒しではなく、能動的な癒しである。絵画は積極的に見ようとしなければ理解できないものだと思う。抽象画を見ると多くの人はまず最初に“わからない”という言葉を発するが、本当は何がわからないのかがわからなくて混乱しているのだ。ていねいに説明することでたいがいは理解できる。低いところに水が流れるようにわかるのだ。

2002年6月29日(土)
小さい頃よく遊びに言った和歌山の海岸です。朝はやくから地元の漁師や、ちかくの村びと達がちからをあわせて網をひきます。当時はシラスがたくさん捕れました。小魚はみんなに分けてくれました。

煙樹ケ浜海岸/和歌山県日高郡美浜町

音楽を聞きながら視覚を遊ばせる。そんなときに眺める風景は海がいい。遠い波の向こうにうっすらと霞みがかかり、ボンヤリとただ時間だけがすぎてゆく…。

そういえば海を見ているといつも思い出すのだが。天気の良い日、海の向こうに微かに島かげが見えるとき、ここの漁師町のお母さんたちは「ほら、あれがアメリカよ」と指さして子供を育てているらしい。知ってか知らずか、ホントは淡路島がときどき見えるだけなのだが…。この漁師町出身のともだちが高校の頃そんな話をしてくれた。ちなみにこの村はアメリカ村と呼ばれていて、明治の頃、村人達がカナダへ移民してサケ漁業に従事した…。当時はカナダもブラジルも外国はみんなアメリカと呼ばれていた頃の話しだね。

アメリカ村

2002年9月3日(火)
忙しさに追われてついつい日記から遠ざかってしまった。今年の夏はひたすら制作に励んでようやくメドがついてきたところかな…。絵画にのめり込むと言葉がはなれてしまう。思考の回路が断ち切れてしまったように言葉に空白がうまれるのだ。どうやら絵を描くときに使う頭と言葉を扱うときに使う頭は異なるようだ。

2002年9月13日(金)
個展のための作品が完成した。というか、むりやり完成させたのだ。筆をおかないと、いつまでも終わらない。そろそろ潮時なのだ。このまま描き続けると取り返しのつかないことになってしまう。いまはゆっくりと眺めている状態だ。でもついつい手を入れたくなってしまう。日々見え方、感じ方が変わってしまって、どこか不安がぬぐいされない。悪くはないのだが、まだ目の前の作品に自身の目がなじんでいかない。描くことと視ることのおりあいを頭のなかでつけていくタイミング、それは前触れも無くやってきて突然、開けるのだ。あやうい戦いが今日もつづく…。

唐突ですが我が家の住人 レオ 1歳 近影

2002年9月14日(土)
MASCが作った美術雑誌FACEがようやく完成した。5ケ月おくれと随分時間がかかったが、仕事の合間を見つけて進めてきた苦労の結晶と言える。過ぎてしまえば、なんのそのである。3号雑誌と揶揄されぬよう次号も気を引き締めて更に良い雑誌を作り続けていきたいね。こういうものは続けていくことに意義があって、それがいつか大きな力となり得るわけで、何よりも失速しないよう、同時に強力な結束を築いていかなければと考える今日この頃です。作家にとっても言葉を残していける場を獲得するということは、作品をつくり発表することと同等の意味があると思う。むかしと違っていまは作品だけ作ってればそれで十分なんて、やわな時代じゃなくなった。本気で生き残りを考えていかないと、気づかないうちに過去に追いやられてしまうヤバい時代なのである。

MASCが刊行した美術雑誌『FACE』
JAPANESE ART MAGAZINE 『FACE』

2007年2月17日(土)
ひさしぶりの日記である。いつのまにか5年が過ぎてしまった。この5年間に色んな事があった。上の記事MASC(都市芸術実際会議)はNPO法人アート農園(http://www.art-nouen.jp/)に昇格?するし、もっと上の記事、愛猫レオは田舎のおばあちゃん家に疎開中。(息子達が猫アレルギーになってしまったのだ。)それから去年の5月、子供の日の翌日、親父が急逝してしまった。辛く悲しい別れだった。18で東京に出てきて、ずっと別れてくらしてきたから。もっと話したいこと、してあげたかったことがいっぱいあったのに、何もしてあげられなかった。ただただ親不孝な息子だったように思う。絵描きになるといって上京して30年、いつかこんな別れ方をしなければならないだろうと覚悟はしていたものの、いざその日がやってくると、とてもやりきれない・・・。親父が逝った日、一体何が起きたのか、頭がボ〜として何も手につかなかった。心の中でごめんなと呟くのがやっとだった。やさしい親父だった。色んなことを教えてくれた僕にとっては偉大な親父だった。書かなきゃならないこと、書いておきたかったことはいっぱいあったはずなのに、今となってはすべて過去の記憶になってしまった。合掌。


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