この文章を書くために芝章文の資料を見ているうちに、僕にはひとつのことが気にかかった。それは、彼はこれまで二つの寺の障壁画(襖絵)を描いているのだが、以前に画廊で見た、たとえば四枚を一点としてくっつけて展示したものと、資料で眼にする、寺にじっさいに襖絵として入っているものとでは、どうもたたづまいが異なっている、という点だった。前者には枠がなく、後者は現実の生活空間にある。その点が違うのだけれど、資料では比較ができないので、和歌山市雑賀崎の極楽寺と日高郡印南町の専福寺を訪ねて、見せてもらった。
そこでは、彼の絵は襖絵として日常の生活空間のなかで使われている。そういう形式だけをみれば、彼の作品はいわば装飾として用いられているわけなのだが、しかしそれは工芸作品ではない。ここでは、工芸とか用ということから離れて言うのだが、昔の襖絵にしても、いまでは僕たちは美術館や展覧会で見るものと決めてしまっている。また現実的にも、ほとんどの作品がそのようにしてしかもはや見ることができないこともたしかである。二つの寺の芝章文の作品は、だから、本来そうあるべきかたちで僕の眼の前にあったのだ。これは現在では珍しい、ほとんど稀有というにちかい例だろう。しかも、そういう彼の作品を前にして僕にやってきたのは、なんと言ったらいいのだろうか、うまく場所を得た安らかさというのか、自由さ、自在さ、といった感じだった。画廊で見たときには四枚をくっつけて一点にしてあったが、寺のなかでは、襖の枠で別々に仕切られており、襖を開ければ重なって、全体は見えなくなったりもする。だが寺のなかでは、それで自然なのである。
すくなくとも彼の作品は、あるいは、特に彼の作品は、それで自然だった。
それは、繰返すが彼の作品が工芸的な装飾だからではない。そうではなくて、おそらく彼の作品の本質にかかわっていることである。
彼の絵の構造を分析することは、そんなにむづかしいことではない。また襖絵ということで安土・桃山から江戸の障壁画や水墨画から彼が多くのことを学んでいることも、はっきりしている。しかしそれを言うだけでは、彼の絵の核のところには手がとどかない。すくなくとも彼の絵から伝わってくる、ある軽やかさ、エーテル(気)のようなものが漂う感じを、説明してはくれない。たぶん、芝章文の作品は画廊のような無性格的(ニュートラル)な空間ではいくらか損をする。意図とか理念とか構造とか、そういうものが強調され、抽象的に浮き上がってしまって損をする、そういう作品である。
画廊という一種の純粋空間で彼の作品を見る。そのとき僕の眼には、彼の作品は、エーテル(気)とかエネルギーのようなものの大きな流れが全体に充ちていて、それがところどころで何か形に生成しようとしている、そんなふうに見える。背景と、そのなかのすこし暗い河のような部分が全体の流れをあらわし、そのエネルギーが、雲、雷光、天翔る龍のような形をとっている。宇宙的な背景での形態の生成(起源)−それが被の絵の本質だとおもうのだが、彼の本意ではないにせよ、画廊空間だとそのことがいくぶん図式的に見えてしまうという気がする。
だが寺のなかでは、現実空間というある種の磁場のなかでは、その図式性は消え、のびやかなひろがりが絵をつつむ。襖を開ける。すると、絵全貌は見えなくなるのに、襖のこちらとあちらに風が通ることで、かえって絵が息をする。文字通り三次元のひろがりが、絵の平面のひろがりと交わる。そして、ある宇宙的なひろがりがいわば手に触れうるものとなって、僕をつつみこんでひろがるのだ。
しかもそのとき、襖絵の平面空間が現実の空間の侵食をうけ、三次元の現実空間がまた襖絵の空間を内にかかえるとき、空間全体が、一瞬、揺れるような感覚を、僕はおぼえた。一瞬、空間のありかが判らないような、あるいは、なにかしら違うもの(空間)が一瞬垣間見えたような、そんな感覚に襲われたのだ。
いったい、僕は何を見たのだろうか? 僕たちが空間と呼んでいるもの、僕たちの周囲にひろがっているこの空間は、普通、変容するとかしないとかいうものではない。だからこそ僕たちは空間のなかに存在していることができる。その空間が、なにかきしむような気がしたのだ。空間は僕たちがかんがえているより、ほんとうは脆いものなのかもしれない。脆いというか、僕たちの眼の前にこれ以外にはありえないようにしてある、そんなに定まったものではないのかもしれない。何かを見たというよりは、見たとおもった、のだろう。こうい体験は、絵画の枠をこえている。だが、芝章文の絵があるから起こりうることである。絵画に由来し、そして絵画をこえる。彼が絵を制作することによってなそうとしていることも、いちばん遠くでは、そのような場所を迎えるだろう。