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AKIFUMI SHIBA  芝 章文


芝 章文と絵画

小林 等
                        

 芝章文氏は近年知り合った年長の友人であり、したがって本稿はそのような関係の下に書かれるものである。芝氏本人を知ったのは近年のことだが、氏の作品は以前より見ていた。しかし、その頃、作品から受ける印象は必ずしも肯定的なものでは無かった。その頃、とは80年代の後半であり、芝氏はやまと絵風の抽象とでもいうべき作品を制作している。
 
 80年代後半、いわゆるバブル経済期の文化は、広い意味でのエグゾティシズム〔異郷趣味)とノスタルジア(懐古趣味〕がイデオロギー的と言ってもよいくらい強調され、美術の領域では、それらのイデオロギーのイメージ化に長けた者たちがアーティストなどと呼ばれていたように記憶するが、琳派風に箔なども貼られていた芝氏の作品「自然の異形」シリーズも、日本的なエグゾティシズムとノスタルジアの平面的な造形のように思えたのだ。今は無き某アパレルメーカーが所有していたギャラリーの、コンクリートを打ち放した壁に和風抽象が掛かる、という意図されたミスマッチは当時としてはありふれていた。無論、芝氏が好況期に軽薄才子としてジャポニカの作品を量産していたというつもりはない。氏と知り合ってすぐの頃、過去の作品ファイルを見せてもらい、大学院生の頃の習作から先述のシリーズを経て現在まで、塊状の形態とその分裂といったモチーフが一貫していることに気づかされた。しかし、この了解は事後的なものにすぎない。重要なのはバブル時代が終った90年頃を境に、芝氏の作品が変化したことだ。すなわち「MAO」のシリーズが開始され、今回の展観にまでいたる。

 それを見逃したことを筆者は今でも後梅しているが、図版で見たMAOシリーズの最初のバージョン(91年、ギャラリーマニン)は、縦位置のキャンバスの大部を乳白色の雲形の色面が占め、その周囲が黒く塗りつぶされた異様に単純な構成である。同じ頃、映像の領域では台湾の侯孝賢が『恋恋風塵』などのフィルムで、山間電車の操縦席から撮影したトンネルの入出を初期サイレント映画のアイリス・イン/アウトに擬し、近年では磯田智子の写真が、やはり地下鉄のカーブするトンネルの向こう側から現れる、光に満ちた駅のプラットフォームを捕らえ、地下道を巨大な暗箱に見立てていたが、映画にせよ写真にせよ、いずれも20世紀末のジャンル各々の極まりを自己言及的に体現していたといえる。それならば黒に囲まれた芝氏の絵画はいかなる変質であったのか。1990年前後の時点で、絵画がアド・ラインハート的な黒に呑込まれ物体化するというのもあまりに時機外れというものだろう。事実、以後十余年のMAOシリーズの展開は真逆である。平面的な造形にとどまり、ひっきょうフェテッシュ=物であったかつてのシリーズを超えて絵画の空間が現出した。光が闇を覆い続けてきた。芝氏はあの頃、80年代的なアーティストから画家になったのではないか。画家とはアーティストではなく、アーティザン=職人でもない何者かのことだと思う。
 
 さて、画家は思わぬところから想を得るもので、MAOとは時ならぬ毛沢東のリバイバルと思いきや、一を聞いて十を知る神童ぶりを発揮したという空海の幼名“真魚”から採られたそうである。これまでのMAOシリーズをいくつかに分類してみれば、それらは仮にドットと呼ぶ小円が、乳白色の色面に対照したり親和する色彩を伴いながら、画面上にさまぎまに配置されるスタイルを基本とする。仮に、というのはこのドットが、かつての瑛九の作例のように図/地のヒエラルキーの構成要素とは必ずしもならないからだ。

 ドットの多くが有彩色で色面へ均質に配置される場合、前のシリーズとは異なるが単純に装飾的な画面となる。したがって色面と同系色で、より高い明度のドットが配される時、図/地の静的なヒエラルキーは揚棄され、ドットは地の上の図である以上に前出し、色面はより後退する。「押しと引き」(ホフマン)が明度差において現象し、カオティックでありながら明晰な、複数化された空間が経験される。また前出/後退の感覚においては画面隅の波状線も横から巻き込まれ、それはあたかもあの気のシンボル が実際に生動しているかのようだ(そうした作例は、これもまた今は無き京橋のオオヌキ・アンド・アソシエイツにおいて展観された)。しかし、そこにはもう、いささかの日本趣味、東洋趣味もない。逆に、ドットが低明度の場合は部分が黴びたかのようで、全体として朦朧とした表現にとどまる。また、画面隅で雲状の形態がヴォリューム的に表現される場合、波状線はその輪郭となってしまい、空間が旧套的なものになってしまうきらいがある。

 ともあれ芝章文氏はこの十余年、画面のスケールとドットの大ささの関係、それらの配置をめぐり、さまぎまな探求を行ってきたのだと思う。無論、画家はあらかじめ定めたフォーマットに従って描くわけではないだろうが、ひとまず今回は、あの明度差による空間を維持することと、それゆえの彩度の抑制を巡る試行が引き継がれるのではないか。我々は弘法大師ではないから一を聞いて十を知ることはない。描く者はさまざまに試みたあげく、ひとつ=絵画をまとめ、見る者は絵画から幸運な場合、複数性の視覚をうる。MAOとはその試行と経験の謂れのように思う。

   2002.9.14 (こばやしひとし/美術批評)
          

2002年9月30日〜10月12日 コバヤシ画廊個展カタログに掲載


MAO-4520902 綿キャンバスに油彩 2000×1500mm 2002年

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