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AKIFUMI SHIBA 芝 章文
内なる視覚
二度目の1000年紀、20世紀最後の年を迎えた。大きな時代の変わり目は、僕達に何がしかの不安や希望を感じさせずにはいない。何かが終わること、何かが始まる予感…。この大世紀末から新世紀への変わり目に、僕自身の作品も含めて日頃思っていることや美術についての考えを述べてみたい。 まず、美術とは少し離れたところから話しを始めよう。アメリカをはじめとする諸外国のあらゆる場所に普及しているマクドナルドに代表されるようなファーストフード的文化について考えてみたい。それはお手軽で、なんでもすばやく手にはいり、よけいな気を使うことなく欲求が満たされてしまうシステムである。そのような文化が極端に進んだ結果、人間関係や社会全般が非人間的でだらしなく、安易な風潮が蔓延していると指摘する考え方がある。これは近代が生み出した究極の合理化システムが、究極であるがゆえに、その内部に非合理性を抱えてしまい、その結果不可逆的流れが生じてしまったことに原因があるといえよう。『マクドナルド化する社会』(註1)といわれるように、他人と自分との境目があいまいになり、みんなと同じものを食べて、みんなと同じブランドを持つことで安心を得る。自分の感性や個性、趣味といったこだわりを捨て、あらかじめ用意された価値にすがりつくのだ。そしてそれらにはお互いの「善悪」「良・不良」といった、はっきりとした差異がなくなり、漠然とした「好き・嫌い」や「快・不快」といったような、基準にならない基準が横行する。「画一化」を「個性化」と勘違いして、均質化してゆく社会がそこに見えてくる。 美術も当然このような社会に組み込まれてしまうのだが、すべてが情報に管理され、流され、動かされてしまう。情報の先取りが最重要となってしまったのだ。そして情報通信技術の発展により、情報に関する環境が急速に進化し、経済活動にも大きな変化をもたらした。21世紀の主要な産業は情報産業だけになるだろうといった、極端な説もある。従来型の経済活動や旧体制から脱皮できずにいる企業が、インターネットによって圧倒され駆逐されている。20世紀の産業化社会は、その価値観も含め電脳化社会へと急激に変貌しているのだ。次から次へと吐き出される情報は、即座に消費され新たな価値へと取って変わる。僕たちは、好むと好まざるとに関わらずその消費社会を肯定し参画せざるをえなくなっている。 美術においても同様の動きを見ることができるだろう。このような巨大な社会変動の受容の仕方を考えるとき二通りの対応が見えてくる。ひとつは、時代の変化を積極的に受け入れようとする態度、もうひとつは、個人主義的に自己に閉じこもることによって、とりあえず回避しようとする態度である。どちらにしても、日常性そのものが大きく変化していくなかで「意識の変革」を余儀なくされるのは、もはや疑いのない事実なのだ。 モダニズムの終焉とか、20世紀芸術の終わり、あるいはカント以降の西欧の芸術概念自体の崩壊が叫ばれて久しいが、僕たちにいま必要なことは日常性そのものの変化をうけとめて、新たな日常を組み立て直すことなのではないだろうか。それは芸術、美術の新しい枠組みを意識し、表現の根本にかかわる問題を見つめなおすことから始まるように思う。美術の規定的な眼差しをもういちど、疑いをもちながら修正していく作業が望まれているのだ。芸術、美術をもっと自分にとって自明のものとして、対象化し、肉体化し、日常化していくこと、それこそが「創ることの不可能性」を超えてゆく、最短の方法となるように思える。もっとも辛いのは知らず知らずの内に自閉的になり、自らの作品を自らが模倣していることに気づかない状態に陥ることである。作っていながら創っていないという矛盾した迷妄状態。このような思考停止の状態から抜け出すためにはより高度な自己改革が必要となってくる。もっとも、気づかないものにはその機会がおとずれることはないのだが…。「意識の変革」とは、自己の再生、再組織化へと向かうプラス思考の受容でもある。それは自分自身を見つめなおす柔軟な心性を取り戻すきっかけともなるのだ。開かれた思考は、究極においては自分自身をより深いビジョンへと導いてくれるだろう。 僕は、絵画を対象化するなかで、見えない世界を見ようとすることを想い描いた。 それは<内なる視覚>を呼びおこし、見える形にするために、そして絵画が進化する存在となるために、絵画の表層を人の成長になぞらえながら想像的組成を企てるという仮説を目論んだ。絵画とはひとつの仮象空間を想定した構成物である。その空間自体は形態と目に見える色彩の積量とで現わされた統一体とみることができる。画家はまるで、鏡の世界に出かけるかのように、現実と非現実とのあいだで交錯する。 ルネッサンスの巨匠、『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』(註4)に次のような言葉がある。ダ・ヴィンチは、鏡を画家の師匠に喩えたうえで、「鏡も絵も、光りと影とによってかこまれた物象の映像を示す」、そして「画家の心は鏡に似ることを願わねばならぬ」と書いている。美学者の、谷川渥氏はその『鏡と皮膚』(註5)において、アルベルティの『絵画論』(註6)ダ・ヴィンチの手記を引きながら、鏡を絵画の喩えとして用いた説を、「画像の検証の道具として」、「映像の似姿ゆえの絵画の隠喩として」、そして「<画家の心>つまりは画家自信の喩えとして」、明解に論じている。「鏡像と画像」、「鏡と絵画」、からもたらされるイメージは多様であるが、「画家の心」、画家自信の喩えとして鏡を用いたくだりに僕は深く共感する。それは「世界を写す鏡」としてルネッサンス以降の絵画論、ひいては絵画のパラダイムを構成することになるのだ。「何を描くか」から、「いかに描くか」へと移行してきた絵画史をひもときながら「絶対的な平面性の不可能性」を僕は想う。「絵画の死」(註7)と囁かれた時代を経て、再び絵画の生成を考える時、僕はかつて、「空気を描く工夫はないか」と問うた岡倉天心の時代、日本が近代化の波にさらされた当時の、大観や春草の没線描写による作品に想いをはせる。 西洋において古くはダ・ヴィンチによるスフマート(註8)に始まる陰影法、あるいはホイッスラーのトーナリスム、ターナーの雰囲気描写などと見紛う朦朧体は、一方で逆に桃山期の金碧障屏画に見るあの霞みや金雲の意匠、雪舟から等伯、へと繋がる水墨画に見る余白が示す空間、そして中国宋代の山水画による「気」の表現に至るまで遡ってみることができないだろうか。僕が描こうとした「見えない世界」とは、その「余白」や「気」に漂う不思議な<もや>を指すのである。どんなに目を凝らして見ようとしても、しっかりとした象をきり結ぶことのできない、恒常的な不明の空間、常に流動的で震えるように揺れている空間。それは白い光りのなかに包みこまれたような、ガンツフェルト(等質視野)(註9)と呼ばれる<触覚的視野>とでもいうほかない、感覚世界を意味している。 以前みた、映画『惑星ソラリス』(註10)の1シーンに<渾沌の海>がひろがる風景がある。時間や空間、色彩や形態といった、この世のあらゆるものが、未分化な状態で霧のなかに溶け込みうずまくイメージが、僕の記憶に深く焼きついている。 曖昧で不確かな、つかみどころのない現実がそこにあった。 僕は作品を創るという現実のなかで、冒頭に記した絵空事のような現代社会に寒々とした思いを抱く作り手のひとりである。永遠性、普遍性といった幻想を信じられなくなった現代人の、細胞を分け持つひとりでもあるのだが、しかし僕は美術家であることにおいて、かろうじてその純粋性を保ち、かつ、それを糧に、制作をすすめていきたいと願っている。かつてベンヤミンが「散漫な気晴らし」(註11)と芸術の受容の状態を語った時代は、いまや極限に達し、技術的再生産と量産化の洪水のなかで一回性、あるいは唯一性といった意義を失いつつある。それは決して特権的な排他的独占性を指しているのではなく、最高のものを求める表現性の喪失を危惧しているのである。 芸術は決して「散漫ななぐさみ」を追うものではなく、本質的なものを追求するものである。時代を超えた不滅の力と人々を結びつける役割をになっているのだ。芸術がたとえ、かつてあったもののようではなくなり、そのアウラを失いかけていたとしても、現在・過去、そして未来はひとつの連続体であり、生成と消滅を繰り返すなかから新たな希望を育むような時代を、つねに夢みているものなのだ。人は最初どのような絵を描いたのだろうか。そしてこれからどのように描いてゆくのだろう。 (註4)レオナルド・ダ・ヴィンチ、『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記(上)』「<繪の本>から、」 杉浦明平訳、岩波文庫、1954年、所収。 (註8)イタリア語で(煙の如く)の意、物体の境界線を軟らかい調子でぼかして描く技法。 (註10)アンドレイ・タルコフスキー、(映画監督)、1972年、ソ連映画。 (しば・あきふみ/画家) 2000年1月17日〜2月5日 オオヌキ アンド アソシエイツ 個展カタログに掲載 |
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MA0 - 340299 2000×1500mm 1999年 キャンバスに油彩、 | |||
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