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AKIFUMI SHIBA  芝 章文



日の目を見ないエスキースのために 

    
 眼の前に積み重ねられたおびただしい数のエスキースやドゥローイング、メモなどのなかから任意に数枚を拾い上げてみる。これらは実作品が完成へと至る周辺で描きためられた「思考の覚え描き」とでもいった、ほとんどが表舞台に現われることのなかった営為である。また作品の生成途上に浮かぶアイデアや衝動的な幻想が、消えゆく儚さを免れ、「記憶の断片」としてとどめられた微かな存在と言うこともできるだろう。こうして改めてこれらを見直してみると随分生々しく、また多様なひろがりを含んでいたことに気がつく。捨てていくことと拾い集めていくことのなかから立ち上がってきた僕自身の思考のプロセスが、再度みつめ直すことにより、その頃は気にもとめていなかった手法がはじめて体験するかのごとく思えたり、自分が描いたはずの紙片を手にして、まるで他人の顔を繁々と窺うかのように、「こんなことも考えていたのか」と忘れていた記憶がしだいに蘇ってきたりする。エスキースやドゥローイングの持つ役割が本画のための下絵にとどまらず、なにげなく蓄積されてきた想いの断片がひろく心の原風景を現わすかのように、再び僕自身に向かって静かに語りかけてくるように思えるのだ。そしてそこから、未完であるが故に合わせ持つ期待と不安をともなった独特の感情が導き出される。神経系に薬物によって直接影響を与え、未知の形態を創出したアンリ・ミショーのメスカリン・デッサンはあまりにも有名だが、このような幻覚ともつかない形態創出の現場が確実にそこに存在し、かつ記録されてゆくのだ。ドゥローイングやエスキースを描きながら試行錯誤をくり返すうちにまた新たな想いが刻み込まれてゆく。うつろい過ぎてゆくような一瞬一瞬の揺蕩う光景がゆっくりと固定化され集積されたイメージとなり、次の作品を生み出す契機となり得るのだ。いま永遠という時間の闇に埋もれたイメージのかけら達は、そのときが訪れるのを静かに待っている...。
                        
          

                                (しば・あきふみ)

平成12年6月20日/PARFUM ESQUISE欄に掲載

MAO - D3404298 藁半紙に鉛筆
17.2×12.7cm 1998年

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