プロローグ


 インドという国は私にとっていつも心の片隅に存在し、何か遠い世界だが、いやに親近感を感ぜざるを得ない不思議な国である。 
33年前に一度3週間程北インドを旅したが、その為だけではない。 おそらく、仏教が紀元前5世紀にインドで生れ、紀元後6世紀に日本に伝導されて以降、今日まで日本文化に深く染み入っている為ではないかと思っている。 日本に伝導される前の仏教のある形跡が、今も残っている遺跡がある事を娘から知らされ、時間ができたら是非訪れてみたいものと思っていたが、運良くその機会が巡ってきた。

    今日のインドは、ある先入観をもって日本では理解されており、その為多少食わず嫌いのところが有るのかもしれない。 その先入観とは、インドと聞いた時最初に思い浮かぶ言葉は、人口の多さから来る「貧困」と「不潔」に代表され、その事がインドを旅しようとする人を敬遠させているのではなかろうか? あれほど沢山の人が訪れる欧米より、はるかに近く物価の安いインドであるが、その先入観の為か、インドを訪れようとする最初の一歩を踏み出せない人がけっこう多いのではなかろうか?

   
しかしながら、現実のインドは歴史的遺産の宝の山である。 ハラッパーとモヘンジョ・ダロ遺跡に始まる4000年前のインダス文明の遺跡に始まり、紀元前6世紀に誕生したブッダにより唱えられ始めた仏教が、それ以降数々の古代遺跡を石窟寺院という形で残し、更に、その後西方からイスラム教がインド進出してきた事や、ジャイナ教、そして、今日のインドに置ける最大勢力となったヒンドゥ教などの沢山の宗教が、古代、中世、近世と亙って沢山の遺跡を残してくれている。 特に、中世の石彫寺院や、石積みの石造寺院は、古代の石窟寺院と並んで素晴らしい歴史的遺産の数々で、インドを訪れる私達の目を楽しませてくれる。 今回は、ボンベイ北東350Kmに位地するエローラとアジャンタに現存する紀元前2世紀〜後9世紀頃までに作られた古代の石窟寺院と、マドラスの南方100Kmぐらいに位地するマハバリプラムとカンチープラムにある後7世紀から12世紀の中世の石彫寺院、石造寺院を中心に訪れてみようと思う。

    他方で、今回の旅ではも一つ欲張って、21世紀に世界のコンピュータ・ネットワークの最前線基地になる事が予測される、南部インドのバンガロールを訪れるのも楽しみの一つでもある。 今やドット・コム(.Com)はインターネットの代名詞となっており、それらのソフトウェアの多くが、ここインドで生産されていることを知る人は余り多くない。 「アメリカのソフトウェア産業を支えているのはインド系アメリカ人だ。」といわれて久しい。 インド人は、英語と数学に秀でた人が多いと言われている。 それらの人たちが、PCの高性能化とインターネットの普及により、もはやアメリカにいなくともソフトウェア産業に従事できるようになり、インドに帰って、沢山のソフトウェア・ベンチャー企業を起こしていると言われている。 ドット・コムの世界では、既にアメリカは英語の不得意な日本と中国を飛越して、インドとの協業関係を確立しつつ有り、21世紀を展望する時、インドの存在はもはや好むと好まざるを得ず、無視できない存在になりつつある。

    そんな訳で、サブタイトルのごとく、この旅は「古きを温めて、新しきを知る」事を願いつつ、真冬の成田を軽装で真夏のインドに向かった。

2000.01.14

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