インドのハイテク産業の前線基地 バンガロール:Bangalore
1月19日〜21日 晴れ
ハイデラバード――>バンガロール 飛行機・400Km:(4,244ルピー/\11,000)
バンガロールは「21世紀の世界ソフトウェアの前線基地」としてのキャッチ・フレーズにふさわしい近代的な町だ。 ハイデラバードの400Km南、東海岸のマドラスから内陸部に入った標高900mの高原に位置しているカルナータカ州の州都だ。 ハイデラバード空港で飛行機が遅れた時間を利用して、バンガロールのホテルを電話予約していたので、ホテルの迎えが空港まで来ていた。 案内されたホテルも近代的で、およそインドらしくない。 この町に来るとさすがにリクシャーが極端に少なく、タクシーも4輪車が圧倒的に多い。 その分、近代的な感じがする。 他の町で見掛けた女性は、皆サリーを纏っていたが、ここバンガロールでは、若い女の子はジーパン姿が主流になっている。 ジーパンをはいた女の子をバイクの後ろに乗せて、街中を走りまわるのが流行らしい。 サリーを脱ぎ捨てた女性は、インド女性という感じがなくなり、まさに欧米人的である。 ちょっぴり色は黒いが。 町の中心はBGロードの周りで、ここに沢山のソフトウェア関係の会社が集中している。 町の中にも沢山Cyber Cafeがあり、皆インターネットを利用している。 やはり、インドでは個人でPCを持つのは、かなり経済的に豊かでないと無理らしい。 その分E-Mailなどは、Cyber Cafeで済ませている。 試しにCyber Cafeに入ってYahooをアクセスしてみた。 Yahoo.co.jpは残念ながら「日本語ソフトウェアがインストールされていない為、大半の情報はアクセスできません。」というメッセージが出てきて、日本の情報を得る事ができなかった。 この点でも、日本は「情報の孤島」化現象の中にあるようだ。 ここは、「インドの庭園都市」と呼ばれるだけあって、大きな公園が沢山有って、まるで公園の中に街が有るようだ。インドに来て以来、アウランガバードで1回だけジョギングしただけなので、ここの朝のジョギングは快適だ。 未だインドではジョギングは殆ど普及しておらず、アウランガバードではジョギング姿が珍しがられ、至る所で振り返られた。 しかし、ここでは沢山の人がジョギングやウォーキングをする為に、早朝の公園に集まってきている。 街の中心にあるガボン公園は一周が5Kmぐらいだから、2周してホテルに帰るとちょうどいい。 しかし、2日目はコースを変えて、西にあるウルソール湖を一周し、その後1,000エーカーあると言うバンガロール・パレスまで25Km位走ってしまった。 ここに来た目的は、インドのソフトウェア産業の実状を知ろうと言う事であったが、事前の下調べも無く伝も無いので、Cyber Cafeに出向いて情報を検索した。 あるウェブ・サイトに入ると、バンガロールの全ての会社の事業内容やパートナー関係、そしてインド人に対する求人情報などが入手できると言う。 そのサイトは有料で、契約を結ばないと必用な情報が得られない。 URLだけを書き留めて、すごすごとアクセスを諦めて街に出た。 本屋に入ったらインドのサーチ・エンジンの雑誌とそのCDが入手できたので、「よし、日本に帰ってインターネットで調べよう。」と言う事で、目標は半分達成。
インドのCybarabad: ハイデラバードとバンガロールを合わせて、 インドでは今年から“Cybarabad”と命名した。 “Cybar”とは「コンピュータ・ネットワーク社会」の通称であり、 “Abad”とはイスラム語で「街」の事を意味する。 この命名は、内外に対して、インドがこのCybarabadを中心として、 「21世紀のコンピュータ・ネットワーク社会」をリードして行く宣言にも聞こえる。 私がハイデラバードとバンガロールを訪れたと全く同じ日に、 シンガポールのGoh Chok Tang 首相も、 40名の経済使節団を引き連れて、当地を訪れている。 新聞によると、この経済使節団の目的は、シンガポール政府の音頭の元に、 民間の使節団がインドのこの地域に大規模な投資をしようとしているとの事である。 特に、この地域のソフトウェア産業の隆盛に着目し、 コンピューター・ネットワークのインフラ整備の他に、 空港施設の拡充と流通センターの整備や住環境の整備などが進められようと しているとの事である。 「何故今、シンガポールがインドに投資をするのか?」と言う 疑問が解ける日本人がどれほどいようか? その解はインドのソフトウェア開発の実力をシンガポールが認めたからだと思う。 従来、「アメリカのソフトウェア技術は、インド系アメリカ人が支えている。」 と言われてきた。 90年代になって、インターネットが普及し出し、 PCの費用対比性能が極端に改善されるに連れて、 働く場所は必ずしもアメリカにいなければならない必然性が薄れてきた。 そしてそれ等のインド系技術者がインドに帰って、アメリカ社会と連繋を保ちながら、 ベンチャービジネスを起こし始めた。 アメリカの1/10 以下の賃金で、優秀なSEが確保できると言う事で、 インターネットを通じて大量のソフトウェア開発がインドで行なわれるようになった。 一説によると、マイクロソフトの50%以上のソフトウェアが インドで開発されているといわれている。 PCハードウェア産業が台湾に起こったのもほぼ同じ現象だが、 その理由は別のようである。 インドでは約10億人の人々が、現在49の言葉を使っていると言われている。 彼らにとっての共通語はヒンドゥ語であり、準標準語が英語である。 教科書は英語が使われており、リクシャーのおじさんでも、 自分の言葉以外に英語を話せる。 よく異なった出身地の人どうし会話には英語が使われる。新聞も英語が使われる。 イギリスの植民地支配のプラスの遺産として、 インド人は英語と言う国際標準語を得られた。 おそらく世界で、英語を話せる人口の最も多い国はアメリカでなく、インドであろう。 ソフトウェア産業には、重工業や製造業のように、大規模な設備投資や、 裾野の広い下請け部品メーカーなどは必用ない。 インターネットにPCが結ばれていれば、後は英語の理解できる頭脳だけでいい。 まさにインドにぴったりの産業である。 どこかの国の首相が同じ時期に東南アジアを訪問しており、 「相変わらずのビジョンのない援助のバラマキ外交」とこき下ろされていた。 他方、シンガポールのGoh首相は、シンガポールの税金は一銭も使わずに、 民間使節団に政府の裏書きを与えて、将来への投資を促している。 シンガポールは既にほぼ成熟した国であり、更なる発展は、 水位の低い国の力を借りざるを得ない。 その相手として、インドのソフトウェア産業に焦点を当てて、 成長の便乗をしようとしている。 次へ(マドラス)
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