前2〜後5世紀の仏教の石窟寺院 (Cave Templles)


アジャンタ:Ajanta

   1月18日 晴れ


バスツアー      (150ルピー/\400)


 1月17日は月曜日で、アジャンタの石窟寺院が休日と言う事なので、1日待たなければならなかった。 アジャンタは、アウランガバードの北方100Kmのデカン高原の丘陵の中に位置し、バスで約2時間半かかる。 今回のバスツアーは14名で、私以外は全て欧米人で英語のインド人ガイドが一名付いた。

 アジャンタへ向かう途中のデカン高原は一面陸農地帯で、砂糖黍、小麦、トウモロコシや綿花の畑が雄大に広がった中に、ぽつんぽつんと椰子の葉拭きの粗末な農家が点在する。 しかし、貧しい農家と裏腹に、近代的なトラクターが牛に代わって農耕の主役になっている事は、以前のインドの農家と明らかに違っている。 又、大規模な灌漑も進められており、10億の民を養っているインド農業の底力を垣間見た気がする。(写真:アジャンタへ向かう途中の部落で)



 やがて、農耕地帯から丘陵地帯に入り、その丘陵を割って流れる馬蹄形に丘陵を抉った湾曲したワーゴラー川が造りだした谷間でバスは停まった。 ご多分に漏れず、この観光地も大人や子供達の土産物売りの群れにバスは囲まれた。 バスから降り、我々観光客はその群集をかいくぐって、石窟寺院の料金所に駆け足で逃げ込んだ。 ここアジャンタはエローラよりも石窟寺院の立地が素晴らしい。 馬蹄形の湾曲した谷の外側の崖の中腹に沢山の石窟寺院が隣り合わせに掘られており、#1石窟から#28石窟までが半円状に一望できる。 それらの石窟の前面にはどの位置からも前にワーゴラー川の谷が見下ろせ、素晴らしい眺望だ。 その馬蹄形の谷の内側も崖になっており谷川を挟んで、丘陵の丸い突端が28の石窟を一望に見下ろせる岬状になっている。(写真下:アジャンタ石窟寺院の全景)



 今日のガイドはなかなかの博識で、紀元前/後の石窟寺院を詳細に語ってくれた。 ここアジャンタは、7世紀には人が住まなくなり、1,000年もの間放置されたままだったとの事。 しかしながら、他の地域における、紀元前後の古代仏教建築が殆どが失われてしまっているのに、ここアジャンタは石窟なるが故に、殆どが昔の形のままで残っている。 日本では、7世紀に建立された法隆寺の日光菩薩像などの壁画が、その色彩をかすかに保っているが、驚いた事に、いくつかの保存の状態の良い石窟寺院の天井や壁には、鮮やかな色彩の緻密な宗教画が現存している。 ガイドからその絵に描かれた絵物語に付いて事細かな解説を受けながら、一方で、当時何らかの形で影響を受けたと思われる日本の仏教芸術を浮かべつつ、比較しながら聞き入った。 

石窟内でのフラッシュを焚いた撮影は、それらの色彩画に影響を与える為禁止されている。幸いな事に、ASA400のフィルムを持参してきたので、暗い石窟の中の薄暗い明かりでも何とか撮影ができた。(写真:悠久2000年の色彩) 






 これらの寺院は、作られた時代的背景から、エローラと違って全て仏教寺院である。 当時の僧達は眼前の谷川を眺めおろしながら、ここアジャンタの石窟の中で、座禅を組んで瞑想に耽った事を想像しながら、自分もまた、岩の上にあぐらをかいて瞑想し、静寂の2000年前の時間の止まった世界に身体が溶け込んで行くような錯覚を覚えた。



゛Curry゛というカレー:
 
 
インドに来たらカレーを食べる。
 これが先ずインドの旅の目的の一つでもある。 
 
日本のカレーと当地のカレーほど異なる料理も珍しい。
 
本場のカレーは、全く別物である。 
 マトン、チキン、フィシュ、スピニッチ、ベジタブルと色々なカレーがある。
 面白いのは、小さな椀に各種のカレーを一皿盛りにしたカレーだ。
 最初にRotiが出てくる。 これは、小麦粉のパン状のもので、
 次に焼き飯風のライスが出てきて、最後に白米が出てくる。 
 それらを右手でうまい具合につかんで、カレーと共に食べる。
 スプーンで食べるよりもおいしく感じるのは、中間に金物の異物が
 仲介せずに、身体の一部の親近感が通うためであろうか?
 但し、不浄の左手を使うと、白い目で見られる。
 なぜなら、インドのトイレには紙がなく、水壷がおいてあるだけだから。
 (どのように使うかは、食事の前には想像しないに限る。)



 
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