オリーブの木 

聖地のこどもニュース NO.12から

アイーダ難民キャンプ訪問記

−聖地の子ども視察旅行−.

磯部 雅子(聖地のこどもを支える会会員)

 私たちは、エルサレムで起こった一つの自爆攻撃の直後にアイーダ・キャンプを訪れた。このキャンプは1948年設立。住民は5000〜6000人。人口は増えている。50年以上もここに住んでいるので、今はキャンプといってもテント住まいではなく、にわか造りのコンクリートや石の家がギュッと押しつけられて立ち並んでいる。国連が学校も建てた。だが80〜90%の住民は何も仕事がない。誰も外に出て来ない。以前はイスラエルに出稼ぎに行っていたが、今はそれも不可能だ。

 車を出てキャンプ内を歩く。いつ爆撃があるか、兵隊が来るかわからないので、皆家の中に隠れている。狭い路地は無人だった。子供が数人姿を見せ、暇そうにしている。家々の外壁には顔写真を引き伸ばしたポスターが貼ってある。「殉教者」たちだそうだ。その一枚。銃を持った若者の名前はアリ。自爆攻撃の殉教者。2週間前エルサレムで自爆。家がつきとめられ、イスラエル軍に爆破された。その跡を見た。

イスラエル軍に爆破された家 壊れたコンクリート塊の山。突き出た鉄骨。このように1000軒以上壊されてきたという。呆然と立っていると、子供たちが数人来た。瓦礫の山に軽々と駆け登る彼らにカメラを向けると、ポスターを高々とかざす子がいる。アリの弟だ。Vサインをして笑っている。大変誇らし気だ。別の写真はリヤド。父親もすでに自爆、弟は捕らえられている。子供らはこうして殉教者たちの写真に囲まれ、憧れて育つ。

自爆攻撃の殉教者アリのポスターとアリの弟 「大きくなったら何をしたい?」と問われ、にっこりして「兄さんのような殉教者になりたい」と言った。壁のスプレーの大きな落書きは殉教者をほめ賛えるアラビア語だ。いくつかの家の外壁にびっしり散っている残酷な水玉模様はマシンガンの弾痕。案内してくれた運転手さんは、爆撃された家の隣に住んでいて、爆風でそちら側のガラス窓がみな吹き飛ばされたそうだ。時間があれば、キャンプの人たちと話しあい、子供たちと遊びたかった。


その日の夕べ イブラヒム神父のお話

 「今日ベツレヘムに入れたのは、イスラエルからであれ、外国からであれ、あなたたち一行の8人だけだ。今朝、ベツレヘム近郊ホサン村出身のパレスチナ人が自爆攻撃したので、警戒が一挙に厳しくなり、誰も入らせてもらえない。あなたたちは早朝出発したので危ないところをすり抜けてきた。エルサレムの集会に行っていたシスターたちは戻れないそうだ。いつ帰れるかわからない。

 状況は残念ながらどんどん悪くなっている。希望はますます小さくなっている。失業率は85%くらい。お金なし、食物なし。この状況は慢性化している。ベツレヘムを囲む《壁》も建設中だが、完成すればベツレヘムが一つの町ごと大きな監獄になる。壁のない今だって既に監獄だが。今日ベツレヘムから我々が出ようとしてもかなり難しい。あなたたちは間一髪でベツレヘム入りを果たしたが、あなたたちの少し後で来ようとしたシスターたちは昼からずっと検問所で止められている。誰も、どこからも入れない状態にある。」

 パレスチナでは衣食住すべて不備。親は子に食べさせてやれないと嘆く。長びく紛争のため仕事もない。「私たちは自由と仕事がほしい」ベツレヘムの父親が言った。生活は危険と背中あわせ。いつ弾丸が飛んでくるか。境界線をぐっとはみ出し、パレスチナ側に食いこんで建て回された醜悪な「分離の壁」。これが日々の生活を分断する。仕事。農作業。通学。通院。・・・・町を村を私有地を、壁が貫く。例えば高校生の通学もチェック・ポイントで止められ、IDカード(身分証明書)を提示。黙って通されるか、カードを取りあげられるか…は当番兵士のその時の気分次第。一女教師は「どうせインティファーダのことを教えるんだろう」と通されなかった。出稼ぎに行かれず失業する人たち。観光が主産業であるパレスチナの町では、おみやげ用のオリーブ細工職人や建設業の人が多い。観光客、巡礼者はほとんど来ない。製品は売れない。ホテルは閉鎖。やはり失業する。


教皇大使サンビ大司教のお話

 「クリスマスに説教をしたが、誰も聞いてくれなかった。皆心がすさんでいて、耳を傾けることができないのだ。それで最後に言った。皆さん、あなた方の子どもたちは戦争の中に生まれ、戦争の中に育って、戦争の世界しか知らない。だから、どうか子供たちに愛を注いでください。『自分たちは戦争の中に生まれたけれど、愛の中にもまた生まれた』ということがわかるように。」

 このことばは訪問する先々で共鳴して響き、また現実の形となって動いている姿も見ることができた。

 振り返って、日本はどうだ。むこうの子らに欠けているもの、すべて持っている。あり余っている。しかし彼らがしっかり握っているもの  家族のつながり、友情。師弟の絆、草の根の信頼と助け合い。 日本の子らはそうしたものを見失って、荒れはてている。

 豊かさの中の飢え。これが日本の焦眉の問題だった。日本のメディアは、おぞましい事件がおきるたび、危機感を煽り、小さな範囲での因果関係をほじって、堂々巡りの報道をする。テレビの前で人々は、他人事として怯えながら、世の不快な匂いに眉をひそめる。これらの事件にぴったり続いて私たちの日常があるのに。この時代、この空気は、他でもない、私たちが作りだしているものなのに。

 パレスチナの時と、私たちの時が、つながってくる。

磯部 雅子(聖地のこどもを支える会会員)


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