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ベタニアの町を分断する9mの壁
一昨年に続き、今年も《聖地のこどもを支える会》のスタッフとしてパレスチナとイスラエルに子どもたちを訪ね、多くの人と会って話し、彼らの人生をかいま見た。苦しんでいるのはパレスチナ人だけではない、自爆攻撃の犠牲者の家族や平和を求めるイスラエル人の心の痛みも想像を絶する。もちろん現在もパレスチナ人の悲惨な状況は変わりない。外出すればいくつものチェックポイントがあって、隣の町や村に移動するのさえ困難であり、時には不可能だ。病院に行くのさえままならず、救急車を下ろされ、道端で出産を余儀なくされるなどの屈辱を味わわされている。今回のベツレヘム行きもチェックポイントで完全に通行を遮断され、大回りをして長時間を費やし、別の入り口からやっと聖誕教会にたどり着いた。しかしこんなことは、通学をする高校生や大学生にとって日常の出来事である。通行を拒否された場合の迂回路での危険や苦労、所要時間と費用の増大は全く大変なものだ。
今回パレスチナで、ベタニヤ近くのアブディスに行き「分離の壁」を見た。シャロン首相が2002年6月にヨルダン川西岸に建設を始めたもので、計画では全長687キロ、そのうち第1期工事として約150キロが北西部に昨年完成した。イスラエル市民を「テロリスト」の侵入から守るというのが根拠だ。しかし壁はグリーンライン(1967年以前の国境線)に沿ったものではなく、西岸に深くえぐるように切り込んでおり、いわば既成事実としてのイスラエルの拡大を固定化しようとしているものと見られ、入植地の多くをイスラエル側に取り込んでもいる。そのため多くのパレスチナ人が土地を接収された。農地や近隣のコミュニティーへの交通を遮断されて、生活の糧を奪われ、生きてはいけない孤島の存在となった。今回訪れた壁のそばにある女子修道会の経営する老人ホームで、聖職者を含む大勢の高齢者と会ったが、壁の建設によって、身寄りや知人の訪問は激減したという。ベツレヘムのテラ・サンクタ学院で会った16歳の高校生が言った。「あるところでは、分離の壁が高く、一日中太陽を見ることができない。家の中に閉じこもって、ただ食べて寝る生活を余儀なくされている。果てに食べ物が底をつけば、死ぬしかない。これでは檻の中の動物と同じだ。我々は檻の中の動物ではない。おそらく、自爆攻撃をする人を止めさせることはできないと思う。毎朝起きたら太陽を見ることができず、壁だけしか見えない生活をどう思うか?」
パレスチナの若者たちは将来について大きな不安を抱いている。
勉強しても将来役に立つかどうかわからない。家を手に入れることは至難の業、だから結婚できるかどうかわからない。結婚しても家族を養うことができるかどうかわからない。勉強して外国に出る若者は多い。
若者のいない民族に将来はない。若者がこの地にとどまり、外に出ている若者がこの地に帰ってくるためには、この地に平和がなければならない。
イスラエル軍の攻撃による、パレスチナ人の死傷者は、この数年で推定約3万人になっており、イスラエル側も自爆攻撃による多数の犠牲者が出ている。
ベイトサフール(羊飼いの野)にギリシャ正教の学校を訪ねた時、わたしたちを温かく迎えてくれたのは、サアデ校長だった。彼はかわいい女の子の写真をわたしたちに見せながら、この最愛の娘を昨2003年3月25日にイスラエル軍の誤射によって失ってしまったことを、とつとつと涙をこらえながら話しはじめた。その時わたしたちは気がついた。彼こそ昨年わたしたちがその悲劇的な死を《オリーブの木》で取り上げたクリスティーナの父 親であることを! 妻と娘2人と一緒にベツレヘム市内を車で通っていた時、パレスチナ人過激派の乗った車を攻撃しようとしたイスラエル兵達が、たまたま車種が同じだった校長の車にも機関銃を発射したのだ。
12歳のクリスティーナは即死、自分ももう一人の娘も重傷を負った。その校長は娘を殺されたことについては“赦します”と話した。彼はペアレンツ・サークルに入会したそうだ。そして生涯この地を離れず、平和の為に尽くすことを心に決めている。
私たちが訪れた子供たちの大半は目がきらきらして輝く顔をしていた。ベツレヘムの大学生や高校生は自由と平和について真剣に考え、堂々と自分の思いを語り、実に生き生きとしているように見えた。しかし長引く紛争の中で身も心もむしばまれている子どもや若者も大勢いる。彼らが平和に共存する社会はいつか必ず来るに違いない。しかしそれにはどれほど道のりは遠くとも、彼らの教育こそ必要不可欠だと、わたしたちは確信したのだった。若い世代にこそ希望があるのだから。
山崎榮太郎(聖地のこどもを支える会スタッフ)
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