エルサレムからのHOT NEWS
−イスラエル・パレスチナの紛争の解決を願って−

この記事はイスラエルより発信されている「NONVIOLENCE (非暴力)」のホームページより、製作者 ラエド・アブサリア神父様の許可を得て「聖地のこどもを支える会」で翻訳したものです。


オリーブ・ブランチ NO.198

<インタビューシリーズ>
Hayder Abdel Shafi博士とのインタビュー

イスラム教徒とキリスト教徒間の尊敬は過去に遡る
Katharine Maycock

Hayder Abdel Shafiはガザの赤新月会の会長です。1991年、マドリッドでの平和会議の折、パレスチナ政党代表団を率いました。また、有名なパレスチナのスポークスマンです。

パレスチナ人イスラム教徒とは、あなたにとってどんな意味を持ちますか?

パレスチナ人イスラム教徒として生まれることに選択の余地はありませんでした。私の両親はイスラム教徒でした。けれども私は宗教的アイデンティティの問題一般に、寛容な態度を持っていました。イスラム教徒であることで悩んだことはありません。宗教の所属には積極的でした。イスラム教徒であること、キリスト教徒であること、その他何であれ、それは誰にとっても問題にはなりません。もし宗教における倫理の本質を忠実に信奉していさえすれば。

あなたの宗教的アイデンティティは攻撃されましたか、あるいは、パレスチナでそれが争点でしたか?

全然。私はカイロのAl Ashar大学を卒業したSheikh(教主)の息子です。父は生涯を通じ宗教的地位にありました。ガザの宗教所有地の管理人でした。最後はパレスチナのイスラム教最高評議会のメンバーでした。イスラム教家族の子どもとして、家やガザの学校でも、どのような差別的態度にも晒されたことはありませんでした。この件でイスラム教徒ということは私にとって何の問題もありませんでした。そして私には、キリスト教徒の友達が大勢、ユダヤ人の友達もいました。

ここでイスラム教徒トキリスト教徒が共に住む状態をどのように見ますか。

ガザはイスラム教徒が圧倒的で、キリスト教徒はごく少数です。成長期の子どもとして、キリスト教徒とイスラム教徒の間に何か実際問題があると感じたことは一度もありませんでした。反対に、人々はごく自然に過ごしていました。子どもの頃、ここのキリスト教共同体はいつも祭りの際、私たちの家に来たり、父を訪ねて来ていました。敬虔なイスラム教徒だった父と、キリスト教共同体の間には暖かい関係があることを感じることが出来ました。

その暖かい関係は今でも同じですか?

はい、そう思います。大体本当です。たまにとても個人的な問題がありますが、一般的に、常に寛容的な態度は変わりませんでした。キリスト教徒とイスラム教徒間に築き上げられた関係はどのような状況的な違いよりもはるかに強いと思います。

ですから、複数のパレスチナ人、複数の社会という理解があるわけです。

ときどき、イスラム教徒とキリスト教徒の間に争いごとがありました。父は立場上、特にイスラム上院議員の立場上、土地とか資産とかの争いごとによくかかわりました。これらに対し、父は厳密にイスラムで、非妥協的立場を取らなかったけれども、イスラム共同体を守りました。彼の書類をよく読むと、彼がイスラム教徒の忠実な擁護者だったことが分かります。イスラム教主として申し分ありませんでした。これ以外のときは、キリスト教徒に大変客観的に接していました。ガザのイスラム教の友人より、キリスト教の友人の方が多かったと思います。イスラム教の経歴のほかに、父は法学を勉強し、実践していました。盲目的にイスラムの主張に従うのではなく、心から法律を守る人でした。

パレスチナではあちこちで、争いごとの申請があったと思います。例えばナザレで、イスラム教徒はバジリカの横にモスクを建てたがりました。状況は残念なことに感情的になりました。もし人々が法律的本質を甘んじて受けるなら、そうすれば争いは宗教間の違いのレベルまで悪化することは決してないと思っています。

宗教は厳密的に個人的なものです。他の事柄に反映される必要はありません。それは自分の信念で、望むことを決定し従う、全ての個人の権利です。「宗教的所属」は決して実際に問題ではありませんでした。人々が偏見に身を晒すときにのみ、問題となります。

ではこれらの論争の殆どは、実際に宗教的アイデンティティについてではないとおっしゃるのですね。

そうです。けれども一般にイスラム教徒キリスト教徒の関係の問題に関する限り、パレスチナの例は他の地域に比べ、肯定的だと思います。パレスチナではイスラム教徒トキリスト教徒の間で、めったに争いの実例がありません。

イスラム教徒とキリスト教徒間の相互尊敬の関係は、古代に遡るのだと思います。つまりイスラム教徒がパレスチナに来て、カリフ・オマールが宗教(彼はキリスト教徒とその遺跡を尊敬しました)に対する客観的な態度を支持しながらエルサレムに前例を定めたときまで遡ります。現在の寛容ある態度はそこに根ざしているものと私は考えます。カリフが二つの宗教間の相互の尊敬を強調した事実は、実際人々の精神や感情に根を下ろしたのでした。そのような態度がすっと昔の事柄に根ざしていることを皆が分かるのは難しいかもしれません。物事は普通そう長く続きませんから。けれども私は、本当のことだと思います。勿論、たまに例外はありました。しかしそれは、決して全体の態度を変えませんでした。イスラム教とキリスト教間の摩擦は直に抑えられました。決してそれはきわどい場面にはなりませんでした。

パレスチナのキリスト教共同体は、東洋のイスラム教徒と西洋のキリスト教徒との仲介者だと思いますか?

パレスチナのキリスト教徒は、一般のキリスト教徒の中にあって、大変寛容な構成要素だというのが私の感じでした。世界の他の場所では、キリスト教的偏見があると聞きます。これがキリスト教の人々の特徴なのか、彼らの経験してきた環境のせいなのか良く知りません。けれどもここでは、キリスト教徒はむしろ客観的で、偏見を持っていません。

けれども彼らは、ただキリスト教徒であるというだけでは仲介者にはなれません。かれらは多分にイスラム教徒ですから。(笑い)文化レベル、国家レベルでは、彼らはキリスト教世界より、イスラム教世界とより団結しています。

イスラム教アイデンティティとキリスト教アイデンティティという表現がパレスチナ国家統一を支えると思いますか、弱めると思いますか?

私は、支えると思います。国家の問題では、イスラム教徒、キリスト教徒は緊密に手を取り合っています。パレスチナのキリスト教共同体は、イギリス統治の間であろうと、1948年又はそれ以降であろうと、パレスチナに起こっている事柄に対して、イスラム教徒と団結しています。今日の両イスラム教徒、キリスト教徒の国家的所属が統一の源だと思います。
宗教的所属は、国家的所属を妨げたり、弱めたりしません。

ここではキリスト教徒はとても少数派なので、誰も彼らを国家的闘争の中で見ることを期待していません。たまに国家のために貢献します。彼らの間には自己犠牲がありました。犠牲の良い点がイスラム教にもあるという事実が、イスラム教徒とキリスト教徒間の関係に否定的影響を及ぼさなかったのです。

パレスチナの宗教的複数性を強調するPNAの戦略をどう見ますか。

アラファトのやることにはあまり満足していませんが、PNAは、偏見だという印象を与えるものを決して採用しませんでした。全体的に、宗教に対し非常に客観的な態度を取っていると思います。

特に2001年9月11日以後、イスラム教徒とキリスト教徒について西欧人の恐ろしく偏った精神状態をどう思いますか?

9月11日以後、米合衆国はイスラム教徒キリスト教徒の問題を爆発させてしまったのだと思います。私の意見では、9月11日以降のアメリカの行動は非常に無責任だと思います。それは状況が真に必要とするものと合致しません。宗教的感情や偏見によって心を奪われない、通常の道理を弁えた人々の態度でなければなりません。合衆国の態度は、全く道理と正常の全てを逸脱しています。私は毎日アメリカ人がイスラム教徒を扱う様や、イスラム教徒だというだけで違う方法で弾圧したりする様を見たり読んだりしています。これは、ひどいです。

9月11日に起こったことは確かに、イスラム教徒の標準とか、イスラム教徒が従ったりまねをする傾向のある事柄の象徴とは、かけ離れています。私の考えでは、アルカイダとそれにより代表されるものは、いまだイスラム教とはみなされていません。イスラム教徒はアルカイダを考えていますが、イスラム世界はまだ、アルカイダを受け入れていません。多分彼らを受け入れざるを得ないかもしれません。特にことが起こってきた状況を考えると。けれどもアルカイダを支持しているからといって誰もイスラム世界を非難できません。

最後の問いです。モスクや時にはイマームがキリスト教について言っていることについてコメントいただけますか。中東の他の地域ではモスクははっきり敵対しています。

そのようなことがあるとすれば、イスラムの精神に反します。イスラムは寛容と相互理解を唱っています。もしどこかのイスラム教世界で異なっていたら、それは他の要因、特別な要因に影響されて来たのに違いありません。国家的な問題とか、態勢の違いとか。けれどもそのようなことは、パレスチナでは決してありませんでした。


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