オリーブ・ブランチ NO.193
ベツレヘムだより(48) 2003年2月24日
トワーヌ・ファン・テーフェレン
1週間前、外出禁止令は前触れもなく施行されたり解除されたりしていました。いつもとさほど変わらないある日、ジープが午前4時に外出禁止令を知らせ、ムアッジンが早朝の呼びかけを始めるまでの30分もの間、ほとんど意味不明のお説教(「厳罰に処される」等々)を続けました。せっかく宿題を仕上げて、おおいばりで先生に見せたかったのに、学校に行けずヤラは泣き出してしまいました。しかし、しばらくして通りの車が増えてきました。地元のテレビ局は初め特に何も伝えていませんでしたが、外出禁止令の一時解除が明らかになり、10時半に今度はヤラは喜びの叫びを上げることができました。午前中の外出禁止令が解除されたら子供を登校させるようにと、他の学校同様フレール校からも父兄に指示が出ました。私はあわててヤラを連れて行きました。それからマリーと私はコーヒーを飲みました。それは苦いコーヒーでした。「苦いコーヒーと苦しい時代」とマリーは言いました。特に西岸やガザの「周辺部」にあるナブルスやヘブロンでの多数のパレスチナ人の死者について、ラジオが毎日伝えています。このニュースはいささか日常化していて、メディアの焦点はイラクにあるため、海外の注目を集めることはあまりありません。マリーが大学に出勤したとき、「失った時間を補うために、今度から職員は真夜中に出勤しなければならないかもしれません」と修道士の1人が冗談を言いました。「補う」というのが最近のキーワードです。スージーに電話で聞いたところ、聖ヨゼフ校では文字通り、過去と将来の時間の損失を補うために、1分も無駄にしていません。生徒たちは不平を言い、涙目になり、疲れ果てていますが、他に方法は有りません。ここ数日間もの長い間、少なくともベツレヘムの住民は自由です。もっとも、自由と言ってもそれはベツレヘムの包囲の内側に限ってのことです。
* * * *
ベツレヘムで話題になっているのは、ラケルの墓の近くに建設が予定されている新しい壁です。昨年イスラエル政府はラケルの墓をイスラエルに併合することを決定しました。この壁によってイスラエル(エルサレム)の領域が、細長い指のような形でベツレヘムの中に突き出して南側に広がります。ラケルの墓はその指の爪の部分にあたります。壁の内側に閉じ込められてしまう約500人の住民は、外出の際自宅とほとんど目と鼻の先にある検問所を通らなければなりません。また、それらの住民の多くは壁の建設のために土地を奪われます。アワド一家の店は、通りの反対側にある自宅から隔てられてしまいます。この店は、ベツレヘムの他の店では手に入らない食料雑貨の商品で有名です。
英国のインディペンデント紙によると、救急車を呼びたい時もイスラエルの行政当局に許可を取らなければならないと、壁の内側になる家族は告げられているそうです。「心臓発作だったら、救急車の通行をイスラエルが許可する前に死んでしまう」とアワドは言いました。ごみ収集のトラックを差し向けるにも許可が要ります。「考えてごらん。家を出てから何か忘れ物をしたことに気付いたら、また検問所を通って行ったり来たりしなければならないんだよ」と、市庁主事のマリーのおじは言いました。もちろんこれらの家族が今の場所に留まるとは考えにくいです。これらの住民が立ち退いたあとは、土地が収用され、ラケルの墓とエルサレムをつなぐために使われることが予想されています。ベツレヘム市庁は海外のすべての報道機関に知らせましたが、
イラクのせいでほんのわずかし注目を引きませんでした。イスラエルはメディア戦略を熟知しています。昨年イスラエルの内閣は、アメリカの国際貿易センタービルに対する攻撃の1周年にあたる9月11日にラケルの墓の併合を発表しました。ラケルの墓からさほど遠くないところに敷地がある応用研究所の地図を見ると、西岸のエルサレム近郊の新しい入植地を守るためのフェンスで、ベツレヘムが取り囲まれているのが分かります。ベツレヘムが自然に広がる余地はもう無いでしょう。「人口密度が高くなりすぎて、人々は大量に去っていくでしょう。わたしたちは移住を余儀なくされます」とイサク博士はインディペンデント紙に語りました。
ラケルの墓の併合は、西岸とガザのすべてのパレスチナ人が直面する、空間の減少という継続的プロセスの一環です。パレスチナ人の生存空間は、検問所とコンクリートのバリケード、電流フェンス、さらに壁によって閉じ込められています。先日マリーは、遠い東エルサレムにある店の、珍くてとても美しい靴の夢を見ました。夢の国は塀の向う側です。
ここ何週間か私たちも、壁のようなもの、一種の時間の壁を感じています。この壁はイラクでの戦争が開始されると考えられている瞬間です。その壁の背後にはあらゆる種類の不快な予測不可能な事柄が潜んでいます。その中でたった1つ確かなことは、長い間外出禁止令が実施されるだろうということです。特に大切な用事や買物はそれまでに済ませなければなりません。わが家の貯蔵室には、2ヵ月は生存するのに十分な薬や乳児用ミルクがずらりと何列にも並んでいます。多くの家族が長期の停電に備えて照明器具を買い求めています。ガスマスクは手に入りません。イスラエルは、民生と軍事の両方で管理下に置いて
いるC区域だけにガスマスクを配布しています。(ガスマスクはイスラエル軍の散布する催涙ガスに対しても使えるという理由からも、ガスマスクをパレスチナ人に渡すのは難しい決断であると、イスラエル人の専門家がイスラエルのテレビで言っていました・・・。)しかし戦争の開始は先送りになったようです。国連の安全保証理事会の投票が3月中ごろに行われるという予想が強まっています。
* * * *
パレスチナの町同様、ベツレヘムは困窮状態に留まっているだけではなく、衰退の道をたどっています。毎日のように盗難事件を耳にします。マリーのいとこの車が白昼盗まれました。泥棒が車を運転しているところを運良く隣人が見かけ、ベツレヘムの南にある盗難車の部品を販売している所で警察が犯人を逮捕しました。私たちは警察の行動の手際良さに驚きました。今や制服を着たパレスチナ警官を街で見かけることはめったにありません。イスラエル軍がパレスチナ自治政府に対して、警察を街で行動させてはならないと警告したからです。これを知って泥棒が増えています。一昨日ベイト.ジャラの入り口のあるガソリンスタンドで強盗があり1万1千シェケル(約30万円)が奪われました。その前にはベイト・ジャラにある銀行がイスラム教徒の女性の衣装で変装した強盗に襲われました。また、パーティー会場として有名なルーフ・レストランの設備が盗まれました。私も自分の持っている電気器具を盗まれたと思っていましたが、幸いにもそれはオランダにあることが分かりました。ドアに内側から鍵をかけて、見なれない人を家に入れないようにと再三マリーに言われています。「知らない人と話しをするな」という、ヤラの持っている童話『赤ずきんちゃん』の中の有名な文章を思い出しました。
窃盗事件は貧困の悪化と明らかに関連しています。2、3日前マリーは家の近所で10歳の子供に止められ、金を出さないと、タメルをベビーカーごと奪うと脅されました。マリーが「往復びんたを食らわすわよ」と怒鳴ったところ、少年は逃げて行きました。けれども夜中にマリーはタメルが深い穴に落ちて行く夢を見ました。
* * * *
タメルは穴には落ちませんでした。その代わりに、テーブルの上に手を突いて1人で立ち上がろうとしているところです。また、最新のアラブのヒット曲に合わせて一生懸命に手をたたきます。そして私たちの友人の車に乗せてもらうと、茶色いひとみを輝かせて、初めて目にするものに大喜びします。タメルはちょうど新しい歯が生えてきているところですが、今軽いかぜをひいています。日曜は思いがけずお天気が良く、ヤラと外出しました。背後では通りを走る車の心強い音がしていました。数ヵ月ぶりで平和な気分にひたっていたところ、「外出は禁止されている」ごっごをしてとヤラにせがまれました。
ヤラが外で遊んでいてかぜを引いたことが昨日分かりました。雪が降りそうなので、少しの間でもヤラを外で遊ばせるように医者が気をきかせてマリーに言ったのです。さもないと家にいなければならないという欲求不満から、ますます疲れてしまうかもしれないからとのことでした。診療所で順番待ちをしていたときに、そこにいた人たちが、雪は暗い世界を真っ白にしてくれるだろうと言いました。つかの間の夢の世界です。そしてそのとおり、今日雨戸を開けたとき雪がしっかり積もっていました。雪は数日間残りそうです。ヤラは踊り、タメルは驚いて外を見つめました。学校は休校です。でも休校はいつまで続くのでしょうか?
|