オリーブ・ブランチ NO.193
エルサレム、バクダット、サラエボの教会は、戦争に"反対"です
2003年2月24日
ミシェル・サバー エルサレムラテン教区大主教(パックスクリスティインターナショナル長)
Vinko Card. Puljie枢機卿(サラエボ大司教)
Raphael Bidawid(イラクChaldeansのバベル教区大主教)
「世界で戦争への関心が高まる中、平和の贈り物を請い願うため、私達は緊急に神に向かわなかればなりません。」
エルサレム、サラエボ、イラクのキリスト教会の司祭として、私達はこの教皇の粘り強い言葉を私たちへのものとみなし、この世の全ての人が求める、神の贈り物である平和を願って、私たちの声を教皇の声に合わせたいと思います。
私たちの声はか弱いものですが、不正義と抑圧、戦争にずっと苦しんできて、これからも苦しみ続ける人々、そして私たちの土地に住み、悲しいことに過去だけでなく今もなお苦しみのシンボルとなっている人々の声になり続けたいのです。
私たちの町は全てがエルサレムのように聖なる町ばかりではありません。たとえ聖なる町でなくても、カトリックの町であり確かに殉教者の町です。
戦争の悲劇をずっと生きてきて、これからも生き続ける私達は、世界中に、特にこの世の権力者にこう言いたいのです。"戦争への道をたどらないように。なぜなら、その道は行き止まりだからです。平和こそがたどるべき道であり、とるべき方向です"と。
どんな暴力もテロも戦争も、更なる暴力、憎しみ、破壊、苦しみ、死を必ず伴うのです。
キリストは私たちの平和です。それは私たちの心を照らし、私たちの選択が、暴力や戦争を完全に退けることであるように舵を取る、平和のみことばです。
皆さんに、信仰のある人にも、無い人にも、そして善意の人々に懇願します。特に官職に就き将来を決定する権力のある人々、"戦争は取り返しのつかない冒険である"事を心に留めて、論理と対話に重きを置く人々に懇願します。私達は又、教皇に一致してこう言います。"戦争はやめましょう。戦争は人類にとり、常に敗北です。"
もし戦争が破壊と死であれば、間違いなく結果は悲惨です。分裂、憎しみそして膨れ上がる難民の数。世界全体にとり、難民とは、ボスニアや旧ユーゴスラビアからの難民、パレスチナ人の耐え難い生活状態、自分の土地での難民、または外国の土地での難民のことです。もし戦争になれば、戦争と数年前の制裁によって血を流しているこの地を放棄して新しく生きる望みを他に探す人々に、更にどれほどのイラク難民が加わるのでしょうか?
私達は世界のいたるところで、祈りの集会や、平和を訴えるための市民による平和的な戦争反対運動が増えているのを知っています。これは、希望がある証拠です。常に柔和な人、弱い人、無防備の人に耳を貸してくださる神への希望です。
私たちを見捨てないでください。何故なら、世界は今、この希望を構築する必要があるからです。
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