エルサレムからのHOT NEWS
−イスラエル・パレスチナの紛争の解決を願って−

この記事はイスラエルより発信されている「NONVIOLENCE (非暴力)」のホームページより、製作者 ラエド・アブサリア神父様の許可を得て「聖地のこどもを支える会」で翻訳したものです。


オリーブ・ブランチ NO.191

ベツレヘムだより(47)    2003年2月10日
トワーヌ・ファン・テーフェレン

 パレスチナの教育に関する嘆願書について連絡をしていたとき、イスラエル軍が外出禁止令を行う理由を嘆願書の文面に示したほうがいいのではないかと、親切にメールをもらいました。パレスチナの学校は、暴力的な示威行動をする場所ではないでしょう?それどころか、ここベツレヘムでは外出禁止令や封鎖の理由についてはあまり知らされていません。ただ、「安全」についての一般的なことが言われているだけです。現在の状況でパレスチナでは、デモなどあらゆる種類の政治活動への関与を許している学校はほとんどありません。嘆願書への署名も許してもらえないと、知り合いの教師が私に不満を漏らしました。今学年度を混乱なく終えることにすべての努力が向けられています。

 外出禁止令の理由が分からないという問題について触れたのは、政治上の議論で相手に優位に立ちたいからではなく、そのことが、人々の暮しにのしかかる全般的な不安と専制的な支配を悪化させているからです。ヘブロン(この都市は現在ベツレヘムよりずっと悪い状況にあります)にいるイスラエル軍の大佐が、「住民に対し強い圧力をかけ、その中からテロリストを追放させる」とイスラエルのテレビで語っていました。このような政策は国際法で禁止されています。同時に、外出禁止令は、パレスチナ人から安全についての妥協を引き出すための政治的取引材料になっているという印象を受けます。新たな「ベツレヘム−ガザ」提案が用意されていると聞いています。これは、これらの地域からイスラエル軍が将来撤退するということを意味します。この提案は明らかに、広報上の得点を稼ぐと同時にパレスチナ自治政府に圧力を加え、武装勢力を抑えさせることを狙っています。

 今週は金曜日と土曜日の2日間、日中に外出禁止令が施行されました。夜間は外出禁止令が解除された日もされなかった日もありました。毎朝午前5時に、その日に外出禁止令が施行されるかどうか注意して聞くことに人々は慣れてしまいました。時として拡声器を通したキーキー声を聞き分けられることもあります−「おや、あのドルーズ人だ。何を言っているのか良く分からないよ」嘲笑し始めるのは普通若いイスラエル兵です。例えば「カリフ・シャロンが外出を禁じる」、「灯りをつけるのはだめだ」といった具合です。2週間前のある時外出禁止令を知らせている兵士が、あたかも早朝の祈りを呼びかけるかのように、「外出禁止」と歌い始めました。最近は、当日の外出禁止令の有無で混乱することが珍しくありません。これはその日の予定に悲惨な結果をもたらします。ある私立学校で、校長が状況がはっきりしないままその日の授業を行うことにしました。1限目が終わった時、外出禁止令が出ていることが分かりました。親たちは怒り、校長に対して怒鳴り始めました。車のキーの没収など多くの危険をおかして、子供たちを車で迎えに来なければならなかったからです。「どうして子供たちを家に送るのにスクールバスを手配しなかったのだろうか」と親たちは疑問に思いました。しかし、もちろんバス会社の責任者たちも、バスが止められバスの運転士と子供たちが危険にさらされるのを恐れました。また、運転に必要な書類を持っていないドライバーに対し、兵士が反則切符を切るのではないかと人々は恐れています。最近のうわさによるとこんなことが起こっているそうです。

 マリーは、金曜に仕事に行くかどうか決められず大学に電話をしました。(幸い電話はつながりました。普通このような場合はいつもお話中です。)「今日は95%外出禁止令が出ると思うとパレスチナ連絡事務所が言っている」とマリーは言われました。人々はこのような情報もとに動かなければなりません。午後に、イスラエル軍が町の外出禁止令の一時解除を知らせましたが、すでに授業や試験、職員会議をするには遅すぎました。ベツレヘム市外から来る学生や労働者は、目的地へ出かけるかどうか判断できません。外出禁止令の再開時間についての相反するいろいろなうわさや、地元のテレビ局からのそれぞれちがう「公式な」報告により、個人とコミュニティーの生活を意図的に混乱させようとしているのではないかという疑念が深まります。今日私は特に何も買う必要もないのに雑貨食料品店に出かけました。どんな隠された決定にも左右されずに、街に出て、何かありきたりなことをする心地よい気分を味わうことだけが目的でした。イスラエル軍は、家の外の空気を吸うことさえ自分たちの善意が頼りだと人々に感じさせたがっています。実のところ、本当に危うい場面もあります。2週間前に爆弾ベルトを背中に着けたロバがベツレヘム南部で見つかりました。言ってみれば、外出禁止令と道路封鎖は、だれが主人なのかを示すメッセージです。同じように、イスラエルの人びとが安全をどこかから1度でも手に入れられるだろうかとベツレヘムの多くの人々は空想を巡らしています。古典的な占領の力学です。驚いたことに、これほどメディアが取り上げているのに基本的な事実が部内者にも知られていません。西岸のパレスチナ人が常にビザの申請のために領事館にやって来ているのに、外出禁止令のためにパレスチナの学校が機能していないということを、東エルサレムに駐在しているヨーロッパの領事たちは信じられませんでした。外出禁止令は学校の時間外だけに施行されていると思い込んでいる領事もいました。東エルサレムの多くの人たちには情報が伝えられていません。それどころか、ベツレヘムにおいてさえ、西岸の他の都市での外出禁止令の状態についてほとんど知られていません。

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 マリーは通りの商人たちのことを気の毒に思っています。以前は仕事がありましたが、今は無一文の住民たちを相手に商売をしなければなりません。家族がベツレヘムにいる海外居住者たちが、私立学校に通う子供の学費を払わなければならない親に送金しているそうです。貧困は至るところで広がっています。先週、ベランダに置いていた私の靴が盗まれました。隣人は夜間外出禁止令の間に車を盗まれた後、家の入り口に大きなフェンスを建てました。仕事を世話してもらえないかと、たくさんの人から電話がかかってきます。 最近ベツレヘム−エルサレム間のメインの検問所でイスラエル兵と雑談をしました。その兵士は、ベツレヘムのキリスト教徒はまだ失う物があるので「おとなしくしている」と思っていました。しかし私はもうそうは思いません。キリスト教徒の中流家庭のほとんどはお金を使い果たしています。家族の中に海外に住んでいる裕福な人がいない、多くの人たちはコミュニティーの神父に施しを求めますが、ほとんどの場合神父にもその人たちを助けることはできません。海外に移住することも簡単ではありません。資力が無く、海外に住む家族がいなければなおさらです。イスラム教徒に「迫害された」と当局に訴え、ヨーロッパの国に亡命する少数のキリスト教徒のことを聞いています。明らかに事実に反していますが、この作り話は西側の反イスラム感情をうまく利用していて、イスラエル当局もこれを否定しません。

 さし迫っているイラクでの戦争の危機が雰囲気を一層暗くしています。戦争が起これば、その間外出禁止令が厳しく施行され、そして多分エルサレムのアラブ地区まで拡張されるでしょう。ラマラにあるオランダ代表部の安全担当官から電話があり、ベイト・ジャラにおける安全に関する説明会に招かれました。その場でオランダの公式な態度が説明されるということでした。地元のテレビで、アメリカは自らの行為の報いを受けるだろうと、ある族長が断言していました。その族長が喋っている間、字幕で「アメリカの没落がコーランに預言されている」ということが強調されていました。そのほかの所では、人々はほとんど気にかけていません。今でさえ多くの心配事があるのに、これからのことなど思い悩む必要は無いと言っています。大学のマリーの同僚も怖がっておらず、前もって買いだめしておくことも考えていません。マリーはというと、少なくともタメルのために十分な粉ミルクと水を買って置こうと気を使っています。一方、私は簡潔で痛烈なジョークに慣れてきました。別れ際に手を振りながらマリーは言います。「さようなら。よい外出禁止令を」、「浜辺でまた会いましょう (See you at the seashore)」、「今日は雨かしらそれとも外出禁止令かしら」。隣人は、不正を描いた映画を見ることができなくなったそうです。至るところで、人々はドリーム・テレビの軽音楽番組やリバティー・テレビの流す旅行風景に病みつきになっています。しかし同様にアルジャジーラや地元テレビ局のイラク関連の最新ニュース番組に夢中になっています。聖ヨゼフに勤めているスージーは、自分自身では完全に絶望していて、戦争と起こり得るパレスチナ人に対する移送や民族浄化の噂ばかりで、見通しに明かりが見えないと言っています。しかしクラスの生徒の前に立ち少女たちを見ると全く気分が変わります。自分は教師で生徒たちにとって数少ない希望の源の一つであることを自覚しているので、精いっぱい希望を振りまきます。

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 娘のヤラは近所の結婚式にしきりに出たがります。結婚式はおそらく最近では子供たちにとっていちばん大事なお出かけごとでしょう。結婚式で子供たちは踊り、そして現実の世界にある美を垣間見ることができます。娘は最近悪い夢を見ました。夢の中で娘は、祖母と叔母のジャネットといっしょに野原でイスラエル兵に追われていました。娘は軍用ジープと軍用犬は恐いけど、戦車は恐くないと言っています。恐れなければならない、あるいは恐れなくてもいい人や動物、物、場所について娘は時々思いを巡らしているように見えます。娘はパレスチナの気候が気に入っているのでここに住んでいたいと思っていますが、「兵士たちから逃れるために」オランダに旅行に行きたがっています。「シャロンは私たちに勉強させてくれないから失礼だ」と型どおりに娘は言います。公式見解に従うことを知っているからです。しかし、最近まで娘は他の多くの子供たちと同様、学校の休みが続くことに喜びを隠しきれませんでした。子供たちをどうやって学校のリズムに戻すかということが親と教師にとっての最近の問題です。イスラエル軍がいっそ「学校を消して」しまえばいいのに、と生徒が文句を言っているのを最近ある教師が耳にしました。教育の根絶です。生徒たちは、自分たちの間では強がりを言っているものの、同時に無力さを感じています。

 こんな中でも、ヤラはこの上なく美しい絵を書きつづけます。そこには、黒い雲と輝く太陽が空で平和に共存しています。タメルはベビーカーに乗せられると、声をあげて体を動かします。雨降りだろうがお天気だろうが、私たちみんなと同じように息子は外出したがります。「目をつむって一緒に夢を見ましょう」とマリーは言います。子供の世話に手一杯で、気分が高揚しているので私たちはまだ大丈夫です。



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