エルサレムからのHOT NEWS
−イスラエル・パレスチナの紛争の解決を願って−

この記事はイスラエルより発信されている「NONVIOLENCE (非暴力)」のホームページより、製作者 ラエド・アブサリア神父様の許可を得て「聖地のこどもを支える会」で翻訳したものです。


オリーブ・ブランチ NO.190

システムに開いた穴

トワーヌ・ファン・テーフェレン

 前回お送りした、報告書の第一部でイスラエルが西岸地区とガザで施行している外出禁止令の様々な影響をリストアップしました。外出禁止令は、個人の移動を制限するほかの手段、特に地理的な封鎖や市民の中の特定の集団に対する移動制限(例えば35歳未満のすべての人は居住する市や地域の外へ出ることを禁じられています)と一緒になってその効果を現します。要するに、外出禁止令は支配のシステムの一部であり、その実施とそれがもたらす結果は計り知れず抑圧的、暴力的です。今回このシステムに入ったひびや穴を検討するのは、このシステムは結局あまり厳重ではないという安心感をもたらすためではなく、それとは全く反対の理由によります。つまりこのシステムはとても非人間的であるがゆえに、本質的に不安定であり長続きしないからです。

 人々にとって利害関係の乏しいシステム 初めに収拾がつかなくなることが明らかな主な分野は経済です。70%の失業率にもかかわらず、西岸とガザのパレスチナ人社会がどうにか生き延びているのを見て多くの人は驚きます。育児と教育関連の仕事、農産物の販売、貯蓄、小企業、非公式市場などで、かろうじて生活をつないでいます。英国のクリスチャン・エイドが最近発表した調査では、人口の3分の1が1日当たり2ドルの貧困線以下の生活を送っています。しかし現在の状況が何年にもわたって続くことは不可能です−少なくとも集団飢餓の様子がテレビで放映されることをイスラエルと国際コミュニティーが望まないとしたらの話ですが。日毎の糧を人々が得ることを許さずに支配を続けることは、長い目で見て不可能であることは明らかです。

 西岸とガザにおけるイスラエル軍は以前からこのことを理解していました。1960年台末から1980年代初めまでの占領の最初の10年、西岸とガザの多くのパレスチナ人家族は、主にイスラエルで働くことで収入を増加させ、ある程度の個人的成功を収めることができました。しかし一方では独立したパレスチナの経済の発展は妨げられました。占領を正当だと考えている者はほとんどいませんでしたが、多くの人は仕事があり、移動することができれば何とか我慢することができました。また、その初めの10年間に、人々を占領当局にがんじがらめにするための無数の糸が作り出されました。旅行や移動、民事などに必須の複雑な許可証のシステムは、占領当局との間の依存的でしばしば個人的な関係を人々に持たせることを意図したものでした。また軍と村長あるいは族長との間の継続的な接触はこのシステムの実施を容易にしました。

 依存関係の糸はもちろんなくなってはいませんが、多くの人々が無差別に一まとめにして無条件に懲罰を受けているために、現在ではそれほど機能していません。長引く封鎖と外出禁止令はその実例です。必要な許可証をもらったり「優遇」を受けていることで、自分の家族は隣人と比べ少しだけチャンスに恵まれていると思い違いをしていたものだと、友人の1人から聞いたのはそれほど前のことではありません。占領自体を拒否しながらも、このような気持ちからほとんどの人がそのシステムの中に留まることを甘受していました。武力による威嚇は通常は背後に潜んでいました。その代わりに占領は、アメとムチや「分割して統治せよ」というアプローチを効果的に組み合わせていました。今日、武力による威嚇は唯一ではないとしても、服従の主要な理由になっています。占領のシステムは手段を使い果たしてきました。

 脅迫には明らかに限界があります。長期間にわたった場合はなおさらです。占領とその支配のシステムは根本的には恐怖に立脚しています。どの程度まで人々が恐怖を抱くかは状況によって異なります。恐怖は自分の利益や幸福に対する不安によって生じます。イスラエルの軍事ジャーナリスト(例えばハ・アレツ紙のジーヴ・シッフ)はここ数年のインティファーダの間にパレスチナの人々が恐怖を感じにくくなってきていることに気づいています。封鎖や遮断、外出禁止令の施行によって、人々は経済上で失うものは少なく、許可証を手に入れるのも困難なので、得られるものも少なくなっています。恐怖が減少するこ
とは、支配の後退を意味します。

 限界を試す 特に、それほど恐れを抱いていない場合、人々は支配のシステムをいっそう試してみたくなります。移動が制限されればされるほど、これらの制限の限界を試そうとする衝動に駆られ、また自分自身の恐怖の限界を押し広げようとする衝動に駆られます。最近あったこのような試みの赤裸々なシーンをとてもよく覚えています。ベツレヘムとエルサレムの間の検問所で、ある早朝一団のパレスチナ人の労働者が、イスラエル兵の詰め所から20メートルほど離れた所にある、「ここで止まれ」と書いた標識の前で待っていました。兵士たちは非常にゆっくりと人々を順番に呼んで検査していたので、行列の先頭では小競り合いになっていました。しびれを切らした労働者たちは前に進むようにと互いに促し合っていました。そして1メートル、また1メートルと前進して、労働者たちはとうとう詰め所の近くまで来てしまい、戻るように兵士に命じられました。その後同じ押し合いのプロセスがまた繰り返されました。

 外出禁止令の間でも、特にそれが厳格に施行されていないときは、限界を試す同じやり方が現れます。例えば、天気がいいと子供は通りに出たがります。これは特に去年の3月から4月にかけてと、8月から9月にかけての長い外出禁止令の間に頻繁に起こりました。子供を家に引き止めておくことは望んだとしても不可能です。ジープや戦車がやって来るやいなや、庭や家の中、屋根へと子供たちは退きます。しかしイスラエル兵がいなくなったとたん子供たちは戻って来て通りを占拠します−それはあたかも潮の満ち引きのようです。もう一つの例は、外出禁止令の間商店主が往々にして店をちょっとずつ開くようになったことです。初めはほとんど分からないように、それから入り口の扉を半開きにして、そして全開にします。店主たちは危険だということは分かっていますが、商売を失いたくはありません。よその店が開いていればなおさらです。これらの商店もジープや戦車がやって来るととたんに閉店しますが、イスラエル軍が見えなくなるとまた開きます。教育機関もまた躊躇しながら、今限界を試しています。特にタウジヒ(大学等の入学資格試験)を受験する生徒のために、教育課程を終えなければならないので、その学校のある区域やその他の地域で外出禁止令が敷かれている間も授業を行う学校が徐々に出てきました。それは、関係者のすべてにとって困難な決定です。通りを生徒たちが歩いているとき、誰が責任を持つのでしょうか。詰まるところそれは親の責任ですが、クラスメートのほとんどが学校に行っているのに自分の子供だけ家にいさせることを望む親はいないと、最近隣人からも聞かされました。その家の17歳の娘はかなり危険なほど遠い学校に通っています。最も大胆なのは、イスラエル軍のジープや戦車に通りで近くから石を投げて直接限界を試している年若い子供たちです。かれらは多くの場合貧しい家庭の出身です。昨日のヘブロンからのテレビ映像で、子供たちがどれほど戦車の近くにいたかということが見て取れました。子供たちは現在の状況の下、自分たちには未来がないと感じています。そのために喜んで自分の生命を危険にさらすのです。恐ろしい自爆攻撃は人生に何の利害もなくなってしまったことの究極的表現です。

 要するに、ハイテクを駆使した軍隊でさえも人間性と人間の要求を永久に抑圧し続けることはできないということです。人々が恐怖を感じなくなっているときは、なおさらです。外出禁止令が長引き、それに慣れてくるのに従って、恐怖は減少していきます。これが、今の外出禁止令と封鎖をイスラエル軍が長期間続けることができない主な理由です。人が自ら進んで冒す危険の境界は次第に広がって行き、臨界点に達します。その場合には劇的な個人的決断を伴うことがあります。例えば、娘のヤラの、賢いけれどいたずら好きなクラスメートの母親は、もっと頻繁に息子を家の外に連れ出してエネルギーを発散させた方がいいと教師に言われました。その母親は勇気を出して「分かりました、それしかないのなら外出禁止令が出ていようが出ていまいが子供を外に連れ出します」と答えました。家族はいつもできることの限界について考えなければなりません。もう一つのちょっとした例があります。この間の日曜日に外出禁止令が出され、遊び場に行くプランを取りやめにしなければならないとヤラに言ったところ、泣き出してしまいました。なにも特別なことではありません。家庭の中の取るに足らない小さな悲劇です。しかし、それでも難しいジレンマに直面します。どうしようかと、妻と私は互いに顔を見合せました。何ヶ月か前であれば、家にとどまることにしただろうと思いますが、通りにはまったく人通りが無いにもかかわらず、今回妻はせめて外に連れ出して十分散歩させることに決めました。突然の外出禁止令の告知で、どれほど多くの家族が結婚式や洗礼式、葬儀を取りやめにすべきかどうか判断を余儀なくされているでしょうか。結局、あらゆる事を土壇場で中止するわけにはいかないし、そんなことをすると人の手前だけでなく自分自身に対しても威厳を失ってしまうように感じられます。外出禁止令の間人々はいつも、人間の尊厳の原則と日々の要求を天秤の一方に置き、そして安全を他方に置いて比較検討しなければなりません。外出禁止令が長く続けば続くほど、そしてそれが頻繁に施行されればされるほど、尊厳の原則と人間の要求を人は優先しがちです。 いつも17、8歳のイスラエル兵の意のままに追い立てられたり追い込まれたりしていると、自尊心を保つことは困難です。兵士の中には「外出は禁止されている」と告げるときにほとんど笑いを抑えることができない者がいます。人が恐怖を乗り越える様子を見ていると、自分自身の行動について考え、何時そして何処で自分も危険を冒してそれを乗り越えることができるのか、あるいは乗り超えるべきなのかを考えさせられます。特定のグループにとって外出禁止令の間の外出は、他のグループの場合よりも明らかに危険です。とくに若い男性は逮捕の危険があります。どれほど多くの父母が自分たちの14歳から18歳までの間の子供たちのことを心配していることでしょうか。思い切った行動を取ることは往々にして大変危険です。命令への不服従に対して兵士が暴力で対応するケースは枚挙に暇がありません。

 兵士のイメージ 変わってきたイスラエル兵のイメージもここではまた重要です。服従は、脅迫への恐れだけに基づいているのではなく、兵士とその合理性に対する最低限の尊敬にも基づいています。その最低限の尊敬が今減少しています。イスラエル兵のイメージは常にあいまいさが付きまとっていました。拒絶や嫌悪が、イスラエルの規律や効率、組織に対するあこがれと織り交ざっていました。しかし最近のイスラエル兵の多くは、パレスチナ人の目には愚か者として映っています。これらの兵士は、一般の通行人に対し片言のアラビア語で怒鳴り散らしたり、外出禁止令を破っている人や挑戦的に見える人を見つけるとちょっとした「いたずら」をします。私たちは自問します。「人間性を奪われているのはどちらだろう。兵士だろうか、それともその被害者だろうか。」(ベツレヘム大学の最新の学報によると、学生の1人が、あたかも礼拝場を訪れているかのように、軍用ジープの周りをお祈りしながら回るように検問所で命令されたそうです。)妻はイスラエル兵に同情することがあり、兵士が士気を喪失していることに気づいています。特に兵役の後に、麻薬を使ったり、精神的などん底に落ち込んだりする兵士についての海外での報道は、ここでも目に止まらないわけはありませんでした。

 現在の支配手段の一部には根本的な矛盾があり、イスラエルによる支配の観点からは逆効果です。例えば、外出禁止令の一時解除時間と再開時間についての情報を現在のように絶えずイスラエル軍が変更すると、(これは明らかに混乱を引き起こし、士気を喪失させることを狙っています)これらの時間について情報を受け取るパレスチナの連絡事務所や地元のテレビ局、社会全般が、外出禁止令について提供される情報を信頼できなくなってしまいます。(先週ベツレヘムの地元の3つのテレビ局が、外出禁止令の一時解除時間と再開時間についてそれぞれ異なった情報を伝えました。)人々が外出禁止令の通告を信じなくなると、支配のためのシステムの主要な部分が徐々に破壊されます。

 人間の復元力 結局のところ、現在の占領の秘められた目的が人々の生活する物理的空間を縮小することにとどまらず、利用可能な精神的スペースをも縮小させ、人々の気力をくじくこと−言い換えると支配するだけでなく沈黙させること−にあるなら、それは人間の持つ復元力を見落としています。息詰まるような感覚はいたる所で明瞭に存在していますが、それでも人々は近所の店や、あまねく視聴されている地元のテレビ放送についての議論でコミュニケーションを続けています。外出禁止令の時間中など、物理的に会うことができないときは、地元のテレビ局が、人々をつなぐものとして、そして外出禁止令についての最新情報の源として、また市民的不服従の可能性と限界についての討論の場としての役割を果たします。地元の放送局は、カタールのアル・ジャジーラなどの衛星放送局からの番組を放送することで、衛星放送に手が届かない人々がニュースや討論を視聴出来るようにしています。技術上の多くの欠点にもかかわらず、地元のテレビ局は外界への窓を提供し人々の生活に欠かせないものであり、人々を代弁します。幸い地元の放送局は現在のところ検閲にあまり悩まされていません。ましてや、周りのアラブ諸国一般の水準に比べればなおさらです。また異なる視点を提供するために、イスラエルのニュースをヘブライ語からアラビア語に翻訳して放送したり、イスラエル人のジャーナリストに対してインタビューを行ったりすることもあります。

 人々を元気付け、事情に通じさせるもうひとつの源は文化です。それほど明確ではありませんが、これもやはり重要です。占領下のパレスチナで生活していると、長い回り道や、長時間の足止めをものともせずに仕事や学校に通い続ける人々についての話を数え切れないほど聞きます。パレスチナ人の物事の見方には粘り強さという要素が含まれています。たぶんこれは伝統的農民文化に由来する、よく知られている不屈さと関連があるのかもしれません。これは人々が精神的に参ってしまい、誰かが言っていましたが、「砂漠のロバ」のようにいつも生き残りのための戦略だけを追求することがないようにするのに役に立っています。また、人付き合いにおける地中海的なハツラツさと陽気さは、悲しみを覆い隠してしまうものの、意気消沈してしまうことを防いでいます。何はともあれ、国土と民族に対する大きな愛が人々を生かし続けています。私の隣人はグリーンカードを持っていて米国に長期間滞在しているのですが、ホームシックになったからと言って外出禁止令下のベツレヘムにもどってきました!



もどる


HOT NEWSのもくじ

トップページに戻る