エルサレムからのHOT NEWS
−イスラエル・パレスチナの紛争の解決を願って−

この記事はイスラエルより発信されている「NONVIOLENCE (非暴力)」のホームページより、製作者 ラエド・アブサリア神父様の許可を得て「聖地のこどもを支える会」で翻訳したものです。


オリーブ・ブランチ NO.188

ベツレヘムだより(46)    2003年1月18日
トワーヌ・ファン・テーフェレン

 今朝5時にジープがやって来て「外出は禁止」と告げました。3日連続の外出禁止令です。しかしマリーがテレビをつけると、外出禁止令は解除されるはずだと地元のテレビ局の字幕に出ていました。なるほど、通りは車であふれています。そのうえ、明日のアルメニア正教のクリスマスを前に、アルメニアの総主教がベツレヘム入りするため、この土曜は町の封鎖が解かれるだろうと皆予想していました。スクールバスが止まる街角の場所までヤラを連れて行きました。しばらく待っていましたがバスは来ないで、生徒たちが戻って来ました。生徒に聞いたところ、結局外出禁止令が出ていました。ヤラは大喜びで帰宅し、母親にそのニュースを伝えました。(「私もお父さんと同じで外出禁止令に腹を立てているの」と最近ヤラがマリーに言ったそうですが、自信無げだったとマリーは話していました。)マリーは学校に電話しましたが、もちろんお話し中でした。よその親から聞いたのですが、ある先生が地元のニュースに気をつけているようにと親たちに言ったそうです。しかし地元のテレビ局はそれぞれが異なったメッセージを伝えているか、全くメッセージを伝えていないかのどちらかです。何が起こっているのだろうかと、1時間もの間私たちは憶測を巡らしました。テラサンタ校は授業をすると発表しましたが、フレール校は依然休校のようです。大学も閉鎖されています。「仕事に取りかかろうと張りきっていて、これから1日の始まりだと思っている時に、すべてが終わりになってしまうというのはどんな気分かしら」とマリーは言いました(確かに分類しなければならない本がたくさんあり、マリーはその仕事を気に入っています)。「がっかりだよね」と私は答えました。ヘブロンから途中まで来ていた学生たちが、引き返さなければならなかったという話をマリーは聞きました。地元のテレビ局は、午後3時に聖誕教会で予定されている結婚式は中止されないというニュースを流しました。私たちがタメルの洗礼式を予定していた時のように、アルメニア正教総主教のベツレヘム入りのために外出禁止令が解除されるだろうと考えたのでしょう。混乱をものともせず、外出禁止令が出ていようが出ていまいが、結婚式を断行しようとしていました。突然地元のテレビ局の放送が途絶えました。マリーによると、2週間前の爆撃か爆破の際に機材が被害を受けたため、ベツレヘム地区の多くの人はマヘド放送局を受信することができないとのことです。

 アッザキャンプの入り口に若者たちが集まって来る様子や、子供や女性が屋根で見張りをしていて、ジープがやって来るのを見つけたとたんに端から端に走って行く様子を、私は書斎の隅から窓越しに見ていました。マリーと私はクッキーを食べながらコーヒーを飲みました。ベツレヘムの人々の半分はまだお金を持っていて、外出禁止令の間家にこもって(特にナッツを)食べているので太ってきていて、残りの半分の人々はお金が無くてどんどんやせ細っているという冷酷なジョークがあります。「せめて総主教の出迎えに聖誕広場に行きたいわ」とマリーはため息混じりに言いました。「この2時間何もしていないけど、それでも疲れている。」と言いました。ヤラとタメルを連れてマリーが出かけた時、私は家に残り、3人の姿が見えなくなるまで見送りました。用心のためです。ジープがいつやって
くるかも知れません。その後、ヘブロンで入植者の家族が襲撃されたと聞きました。外出禁止令はその報復だったに違いありません。そのためアルメニア人しか総主教を出迎えることが許されませんでした。今朝外出禁止令を破った数台の車がタイヤの空気を抜かれた様子を地元のテレビ局が放映しました。

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 外出禁止令の理由や期間、変更などの話題にどれ程の時間が費やされているのか想像もつきません。色々な説が現われます。今週外出禁止令が敷かれたのは、ベツレヘムの中心部で爆弾が見つかったからとか、イスラエル人がエルサレムとベツレヘムの間にフェンスを建設しているのをじゃまされたくなかったからとか、あるいは今月これから選挙が行われるからなどと言われています。エルサレムから来ているベツレヘム大学の学生によると、エルサレムの境界の内側にあるアブ・ディスでイスラエル軍が最近パンフレットをまき、選挙前の期間にあわせたと思われるそのパレスチナ人居住区での外出禁止令が布告されたそうです。これは全く新しい事態かもしれません。エルサレムの中のパレスチナ人が外出禁止令の下に置かれるということはほとんど前代未聞です。しかしその外出禁止令はいまだに施行されていません。その代わり、ベツレヘムやその他の西岸地区の都市では長期にわたって外出禁止令が続いています。

 また、外出禁止令によってコミュニティーの分断が図られているということが議論されています。例えば、「イスラエル人はイスラム教徒に懲罰を加えようとしているのだよ。金曜の外出禁止令の解除時間はお祈りが終わる午後2時なのだから!」と言われています。「『アルメニア正教の総主教はイスラエルと良好な関係を保っているので、今日はきっと外出禁止令は出ないと店で族長が言っていたけれど間違っていた』とあなたのベツレヘム便りに書いてちょうだい」とマリーに言われました。これらすべての会話は要するに、予想がつかない現実をなんとかわかろうとする必死の試みです。多くの解釈はうわさに基づくもので、その出所は現地で言うところの「イスラエル軍第5小隊」です。その他の会話は、何を買いだめするかということについてです。この3週間、いくつかの生活必需品がスーパーに届きませんでした。戦争が始まるかもしれないのでミルクをあまり飲まないようにとマリーに言われました。今のところ、それには従っていません。

 外出禁止令について、その理由や方法を論ずることは時間の無駄でしかありません。それどころか、それはエネルギーを奪い去るので、マイナスな時間でさえあります。多くの人は職場では黙っています。自分の悩み事で他の人を煩わせたくないからです。その上、逆に他の人の悩み事を聞いて、もっと落ち込んでしまいたくもありません。でも、話をしないことはもっと不健康です。イスラエル人は私たちに外出禁止令のことだけ考えさせて他のことは考えさせたくないのだとファウドは言っています。「外出は禁止されている」という表現は嫌われていますが、すべての会話で話題となっています。先日エリアスが別れのあいさつをする際に、「外出禁止令や雨があろうとなかろうと、良い1日を」と言い添えました。外出禁止令と同様に、ひどい雨の時は皆家にこもります。そして結局、外出禁止令と雨の両方に見まわれてしまいました。

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 マダバッセ通り出ていたときに、通行人を観察しました。痩せて年取った人がだんだん増えてきました。顔は一層青白く、しわが刻まれています。ふと、数年前に通りを歩いていた人々を思い浮かべました。顔を上げて、希望にあふれ、落ち着いていました。同じ人々が、今や明らかに貧しくなってしまい、収集されていない紙くずやごみがあふれている汚い環境の中を、うさんくさげに落ち着きなく歩いています。あたかも、緩慢な荒廃のプロセスを数秒に短縮した早送りの映画を見ているような気がしました。それでもまだ多くの人は微笑みを浮かべ、笑っています。これはパレスチナの文化の一部なのですが、微笑みは悲しみを覆い隠してしまうことがあります。

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 他の話題としては様々な病気があります。先週ファウドの妻のシルヴァナが気を失い病院へ運ばれました。病状は深刻ではなく、シルヴァナは家族で経営している店の仕事にもう復帰していますが、初めの晩家族は心配しました。それは外出禁止令のため彼女を、医療が不足している近くの政府の病院にしか連れて行けなかったためでした。同じ週末、その病院での治療が行き届かず亡くなった人がいました。その騒動のあと、ファウドの耳の具合が悪くなりました。また、家族の1人が足の骨を折りそうになり、孫が何人も熱を出しました。思うに近頃の多くの事故は、貧困や外出禁止令が関係しているだけでなく、注意が散漫になっていることにも原因があります。皆小さな事を忘れます。例えば、タクシーの運転手に支払いをしたかどうか、今日が何曜日か、とかです。今までにこれほど「何を言いたかったか忘れてしまった」というせりふを聞いたことがありません。いつもは、1日は例えば朝食、昼食、夕食などによってはっきりと区切られています。しかし私たちの環境で1日を示すものは、外出禁止令が出ているか、解除されているか、なのです。そしてそれは予測不可能なため、生活を整理して記憶するための、とても重要な通常の基準点を失うようなものです。今まで何度か言ってきましたが、そのため、なす術も無い患者が次第に人生に対する支配を失うように、透明人間に実験されているような気分にさせられます。

 人々は骨抜きにされていると2、3日前にマリーが言いました。マリーはイスラエル人に、外出禁止令を続けるよりは町の境界の管理を厳重にして欲しいと願っています。外出禁止令に比べれば何であろうとまだましです。壁に閉じ込められれば閉じ込められるほど、希望が萎縮していきます。それはまるで、看守に対する願い事が次第に小さくなっていく囚人のようです。先日哲学的性向のある若者アラが、私たちが非存在であることを公に宣言してはどうかと提案しました。

 しかし今日マリーは「もうたくさん!」と言いました。この半永久的な外出禁止令に抗議するためにアラブ教育研究所が計画している請願について話し合いました。声を上げることは、自分の仕事を続けるのと同様、前向きなエネルギーを生み出すでしょう。エリアスとファウドは2人とも楽観的な考えを持っていて、どんな状況でも仕事をしたがります。それは2人の健康の維持に役立ちそうです。

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 一方、医者はタメルとヤラが健康なことを喜んでくれました。状況が苦しければ苦しいほど、タメルの微笑みが大きく見えます。マリーはタメルのことを「アブ・ハフス」と呼びます。アブとは父親のことで、ユハフスは「動く」という動詞と関連があります。先週ヤラと私は、エルサレムの動物園に行きました。ヤラはそこが気に入っていますが、イスラエル人の施設だということを以前より意識しています。ヘブライ語を話している大勢の人たちを前にして、ヤラは私の足にしがみつきます。帰りに検問所を通ったとき、任務に就いているイスラエル兵が高さ50センチのベンチの上に立っていました。検問所を通る人々を上から見下ろしたかったからに違いありません。ヤラは驚いて見上げました。クリスマスの3つの祝日は既に終わっていますが、わが家ではクリスマスツリーをしまわないで欲しいというヤラの望みに応えています。結局、どのみち私たちは通常の時間を超越したところで生活しているのです。ヤラと私は、ボウデビン・デ・グロートの「ムース川とワロン人の土地」やファン・ヴィム・ソンネベルトの「カトーテヤとバター市場に行った」などの昔のオランダの歌を一緒に歌って、元気を出しています。どちらも陽気でナンセンスな歌です。ヤラはベッドで飛び跳ね、一方タメルは電子ピアノの鍵盤をリズミカルに叩くのにとても熱中しています。電子ピアノはタメルの新しいお気に入りです。マリーは「最愛の子!お月様!」と叫びながら、タメルを抱き上げしっかりと抱きしめます。



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