エルサレムからのHOT NEWS
−イスラエル・パレスチナの紛争の解決を願って−

この記事はイスラエルより発信されている「NONVIOLENCE (非暴力)」のホームページより、製作者 ラエド・アブサリア神父様の許可を得て「聖地のこどもを支える会」で翻訳したものです。


オリーブ・ブランチ NO.187

ネロとシャロン:歴史から学ぶこと
                    ラエド・アブサリア

 インティファダが起こった当初、ヨッシ・サリドはAl-Quds新聞にシャロンをネロになぞらえた記事を書いた。何故なら、挑発的なアルアクサのキャンプ訪問がインティファダに火をつけたからである。この比較は、正確である。つまり、ネロは燃え上がる炎を見ながら詩を書き、焼かれる人々の叫びに刺激を受けて作曲をするために、ローマに火を放った。

 当時私は、シャロンとネロと言う題で記事を書いたが、出版しなかった。用心を期したわけだが、最近その記事を机の引き出しから取り出した。新しい展開に応じ必要な訂正を施した後出版するためである。私はその比較が正確であることを実感した。21世紀の「ネロ」はアルアクサを訪れ、軍のキャンペーンで火を放った。その火は、占領軍の銃弾にはだかの胸を貫かれた殉教者や、子どもたちの骨を燃料としてあかあかと燃え続けた。また、シャロンのイマジネーションは人間、植物、そして石も滅ぼす新しい拷問と苦痛の方法を編み出した。つまり、家を破壊し、地をくつがえし、樹を根こそぎにし、電気、水道、食べ物、飲み物といった基本的な権利を否定したのである。

 ネロ皇帝は、火を見つめるキリスト信者を非難し、ローマ帝国に対する陰謀のかどで訴えた。彼は数千人ものキリスト信者をライオンや剣闘士に与えた。多くの場合、犠牲者の骨はコロッセオにさらされた。そのコロッセオは3世紀までのキリスト信者殺害の証人として今も残っている。313年コンスタンチン帝の代まで、キリスト教は禁じられた信仰だった。その結果、膨大な数のキリスト信者が様々な拷問に耐えた。しかし彼らは、彼らの心を一つにした賛美歌を口ずさみながらいつも勇敢に死んでいった。

 2千年後、同じ悲劇が再開されている。シャロン、その政府、軍隊は殉教者の血を流し、土地を滅ぼし、パレスチナ人を非難している。その間ずっと自己防衛を主張しながら、責任を否定している。彼らは、子どもや年寄りにも近代兵器を使い、調和と共存と包括的平和を得る必要性を信じていると主張している。私たちは、出来たら彼らを信じたいが、出来ない。

 他方では、パレスチナの英雄の勇気と殉教がある。理由は簡単で、つまり、専制政治は存続しえないという歴史的不可避への信頼である。私は暴力を賛美しているのではない。ただ歴史をあるがままに読んでいるだけだ。暴力は暴力を生み、専制政治と占領は復讐を生む。ユダヤ人の詩人Bialikはこう言っている。「子どもの血への復讐は悪魔も想像し得ない。」真に、殉教者の血は自由の種である。

 私たちはネロで話を始めたが、今度はファラオに移ろう。ファラオは二つの面を持った一個のパーソナリティー、今はシャロンとして知られる。歴史書によると、ファラオは全ての人間を支配し、人々の自由を否定した。モーゼはファラオに逆らって人々の自由を要求し、ファラオの怒りをかった。神は人々のそばに立ち、安全な場所へ伴った。私たちは皆この物語を知っている。ユダヤ人も過ぎ越しの度に繰り返す。この物語は再び訪れ、私たちは今日、同じ地で同じ人々と共にその話の中に生きている。モーゼがファラオに「人々を平和のうちに去らせてください」と言ったように、私たちもイスラエルのファラオに言う「人々を平和のうちに生きさせてください」と。もし彼が承服しがたいのであれば、私たちは言う.神のほうが偉大であると。

 最初から、ミシェル・サバ大主教の声は高かった。「アルアクサで宗教感情が試された後勃発した血なまぐさい事件、その最初の一瞥は一つのことを示している。即ち、パレスチナの人々は自由と品位ある生活を要求している。彼らはそれをいずれ手にするだろう。その時が早いことを望んでいる。何故なら暴力は聖地の言葉として留まり得ない。正義のみがその場所となるべきである。今やこの地の全ての支配者は、宗教上の遺跡に手を触れるべきではない。傷つけたり、売買したり出来ないことを知るべきだ。兵士や戦車の列では何も沈静化しない。あの血を捧げた子どもたちや年寄りは誰も攻撃していない。彼らは自分たちの宗教と自由と尊厳を守っているに過ぎない。流された血は正義と尊厳を叫んでいる。」

 大主教は病について説明し、薬を処方した。病とは占領で、薬とは、パレスチナ人の権利の保障を実行すると言う条件の下、限定された期間のうちに、出来るだけ早く最終的解決に向かい占領が取り除かれることである。それ以外のいかなる解決も部分的なものに過ぎず、闘争を終結し得ない。ただ単に、延期するだけである。正義こそが唯一の脱出手立てである。

 歴史はフランスのシラク大統領が言ったことを証明した。「人々の感情を弄ぶことは出来ない。彼らの意思をコントロールすることは不可能だ。」人々が今日抑圧されているなら、明日は自由になる。殉教者の血は、自由の種である。



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