エルサレムからのHOT NEWS
−イスラエル・パレスチナの紛争の解決を願って−

この記事はイスラエルより発信されている「NONVIOLENCE (非暴力)」のホームページより、製作者 ラエド・アブサリア神父様の許可を得て「聖地のこどもを支える会」で翻訳したものです。


オリーブ・ブランチ NO.187

ベツレヘム大学からのプレスリリース
ベツレヘムで集団懲罰が激化 

            2003年1月11日ベツレヘム大学副学長ラ・サール会
                    ヴィンセント・マルハム修道士

                                 

ベツレヘム大学は今学期を完了するために奮闘
 2002年の11月22日から12月22日までの間に、24時間の外出禁止令が合計21日間(661時間)、そして部分的解除が9日間(59時間)行われ、ベツレヘムの人々は苦しみを受けました。12月22日から31日までの間は、外出禁止令が丸1日解除された日が8日、一時的に解除された日が2日ありました。ここ2、3日は新たな形の懲罰が以前より規則的に加えられています。それは、外出禁止令の解除を知らせておきながら不意に変更することです。これは新たな心理的懲罰で、イスラエルの最近のベツレヘム再占領によって引き起こされたただでさえ耐え難い状況を、さらに悪化させています。

 ベツレヘム大学は今学期を完了するための努力を続けています。しかし、残りの講義日数と試験のための確実なスケジュールを計画し確保することはほとんど不可能になっています。この4日間だけでも次のような状況に直面しました。

 2003年1月1日水曜日:外出禁止令が午後12:30に解除され、午後2:30に再度施行されました。通りにいたたくさんの人たちは、混乱し、おびえ、帰宅を強いられました。
 1月2日木曜日:外出禁止令が解除されました。午後1:40に突然午後2:00から外出禁止令を再開することが告げられました。キャンパスから教職員と学生は直ちに退出しなければなりませんでした。
 1月3日金曜日:24時間の外出禁止令(週に1度だけ開講される大切な金曜の講義が失われました)。外出禁止令を翌日解除することが夕方知らされました。大学は金曜の講義の補講を土曜に行うことをテレビで発表しました。講義を行うことが決まり、士気が高まりました。
 1月4日土曜日:夜が明ける前に、土曜は外出禁止令を施行するとイスラエル軍が告げました。理由はまったく示されませんでした。通りに装甲兵員輸送車を走らせ、「外出を禁じる」と拡声器を通して不気味な警告をイスラエル兵ががなりたてました。

 罪も無いパレスチナの人々−家族や女性、児童、労働者−に対してイスラエルが加え続けている懲罰行動と、引き続く非人道的取り扱いがおよぼしている壊滅的な影響のために、恐ろしい被害が生じています。1つの民族が屈辱を受け、徹底的に打ちのめされています。子どもの間では栄養失調が一層ひどくなり、何千人もの若者の、教育を受ける正当な権利が著しく妨げられています。毎日何千時間もが奪われています。ごくまれに移動が許される日には、検問所で時間が奪われます。封鎖や、ほんのわずかな時間だけの外出禁止令の解除、自分の生活を自分で決められないことばかりが続き、希望は皆無に等しく、人々は士気を打ち砕かれています。

 パレスチナの人々とベツレヘムに対して行われていることは非難すべきことであり、言語道断で不当です。かつてキリスト教界で尊ばれた町であったベツレヘムは、今や戦争に引き裂かれ汚れた、軍事行動の舞台となり果てています。パレスチナの青年を教育し続ける権利と、ベツレヘムの隣人たちが生活しそして移動し、自由を享受し、労働し、子どもを教育する権利をベツレヘム大学は嘆願します。だれか、この組織的抑圧を変えるために何かできないのでしょうか。占領をやめてください!占領をやめてください!



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