エルサレムからのHOT NEWS
−イスラエル・パレスチナの紛争の解決を願って−

この記事はイスラエルより発信されている「NONVIOLENCE (非暴力)」のホームページより、製作者 ラエド・アブサリア神父様の許可を得て「聖地のこどもを支える会」で翻訳したものです。


オリーブ・ブランチ NO.186

正義と平和の行進(2002年12月31日 於ベツレヘム)のレポート 

正義と平和の行進 2002年12月31日、第二回正義と平和の行進がベツレヘムに於いて行われました。去年のようにエルサレムの教会の長老たち―――ラテン管区総大主教、ルーテル教会主教、英国国教会主教、ギリシャ正教会総主教、シリア正教会総主教などベツレヘムのイスラム教長老も行進を率いました。ベツレヘムの知事や市長、市民団体のリーダー、PNA代表(ナビル・シャー)などと手を取り合い、行進しました。行進のことは、前もって二社の国営新聞紙上で宣伝され、土地のテレビやラジオのアナウンスの中でも流れました。ベツレヘムの中心部で、約一万枚のちらしが配られました。予想通り、ちらしは非暴力の行進に参加すべきか否か、道行く人々の論議を呼びました。反応は単なる興味から賛成まで様々で、反対は殆どありませんでした。ベツレヘム地区が外出禁止令を経験した過去数週間の抑圧と、行進のためのわずかな準備期間を考えると、1000人から2000人ぐらいのパレスチナ人と外国人がいたことは、本当に嬉しいことでした。特にイタリー人(フローレンスの枢機卿や、キリスト教リーダー)、そして勿論、他の様々な国からの参加がありました。実際、土地の住民の多くは、デモに参加することの重要性に関し、個人としてまたは地区として明らかに関心を持っていました。

 行進者は、「エルサレムを開放せよ」とか、「占領に終わりを」とか書いた赤と白の帽子をかぶり、風船を持っていました。その風船には、Pax Christi International、Pax Christi Netherlands、International fellouship of Reconcilliation、 Church and Peace などを通して集められたお祈りや願いが結び付けられていました。他に、このようなスローガンがありました。「私たちの子どもたちを学校へ行かせよう」-------閉鎖と外出禁止令のためパレスチナの子どもたちが直面している障害 「検閲所を祈りの場所に変えよう」------ラテン管区総大主教ミシェル・サバーのクリスマス・メッセージ。 宗教の自由を宣言したり、パレスチナの町々に科されている外出禁止令に抗議するものもありました。「外出禁止令は捕虜収容所と同じだ」 行進の時に配られたチラシにはこうありました。「ベツレヘム地方のパレスチナ人地区は、恒例の12月31日の地区の行進を大切にしたいと思います。私たちの心を満たしている悲しみと共に、また希望と祈りと共に行進します。宗教や行政の指導者に導かれ、差別と分裂のシンボルである検閲所を、よき将来への熱い望みを反映する祈りの場へ変えようとの呼びかけに応えます。」

 行進の全体の様子…その規模、雰囲気、宗教的政治的性格…は昨年と同じでした。行進を止めようとイスラエル軍はラケルの墓の近くに兵士による間に合わせの障害を築きました。マシンガンを振りかざす狙撃兵が、行進者が通るビルのてっぺんに陣取っていました。行進で目立ったことは、その権威ある性格でした。世界に向け皆の声を集めることが出来たというある種の霊的喜びさえ陽気に示しながら、人々は静かに歩きました。

 去年の行進とは反対に、デモ参加者は、エルサレムの検閲所で、つまりベツレヘムの主要部へ行進することを許可されませんでした。ラケルの墓の近くに間に合わせに作られた検閲所で祈りが唱えられ、賛美歌が歌われ、イエズスの誕生が聖書とコーランに従って語られました。そして、風船が揚げられ、間に合わせの検閲所は祈りの場所となりました。幾人かが正義と平和の関係を強調したスピーチをおこないました。総大司教ミシェル・サバーは、イスラエル・パレスチナ双方の人々の平和、正義、安全への非暴力の方法を模索し続ける、皆の決意と断固とした姿勢をたたえました。彼は又、全ての宗教者にエルサレムが解放されること、パレスチナ人地区への差別、エルサレムからの隔離を止めることが政治解決に不可欠であると述べました。ベツレヘムの知事は主催者ならびに、Pax ChristiやCORDAIDに行進へのサポートを感謝し、準備や実行にあたってのイスラム教徒とキリスト者の協力を強調しました。

 参加者の多くが女性、老人、若者そして、イスラム教徒とキリスト者両方だったことは特筆に価します。国際的メディア(BBC、Reuter社他多数)アラブのメディア(Al−Jazeera,Abu Dhabiなど)更に、地方のベツレヘムのメディア特に、Mahedテレビ等も来ていました。デモはアラブ教育協会、W i'am、Rapprochment、ベツレヘムバイブルカレッジ、聖地トラスト、the Scouts MovementやArab Orthodox Societyといった市民社会団体の提携によって、市民、宗教指導者全ての協力のもと、AEIを秘書として計画されました。数日前の12月24日にベツレヘムに入ったとき、同じ団体のグループが、総大主教のルートにそって生誕教会の前を行進する指揮を執りました。その時の行進も時節柄多くの巡礼者もいて、世界中に知れわたりました。今は、これらの諸活動がきっかけとなり、多くの市民のリーダーとベツレヘムの共同体のメンバーたちがデモ行進の価値や一般の非暴力活動についての価値について論じています。

 ところで、12月31日のデモ行進の数時間後、外出禁止令がベツレヘムに出され、1月1日の正午まで続きました。おかげで人々は、新年の祝いをまともに行えませんでした。1月2日午後2時に突然外出禁止令が出され,皆家に飛んで帰りました。土曜日現在外出禁止は続いています。

 行進の主催者は、CORDAID(ドイツの開発組織)に行進のための資金供給に対し厚く御礼申しあげます。

アラブ教育協会 於ベツレヘム 2003年1月3日



もどる


HOT NEWSのもくじ

トップページに戻る