エルサレムからのHOT NEWS
−イスラエル・パレスチナの紛争の解決を願って−

この記事はイスラエルより発信されている「NONVIOLENCE (非暴力)」のホームページより、製作者 ラエド・アブサリア神父様の許可を得て「聖地のこどもを支える会」で翻訳したものです。


オリーブ・ブランチ NO.184

ベツレヘムは生き続ける
                            ジョージ・ガッタス

 あれからもう1ヵ月近くになります。11月22日、イスラエルはベツレヘムを軍事封鎖地域として宣言しました。外出禁止令が14万人以上の住民に対して、現在に至るまではっきりしない理由で施行され続けています。28日間にわたり、ここでの生活は、人影の絶えたベツレヘムの通りを我が物顔に徘徊するイスラエル軍のジープの拡声器からの放送によって、動かされたり止められたりしています。ベツレヘムの人々は、外出禁止令の解除よりも、実施を頻繁に知らされています。実際、外出禁止令の解除はめったに発表されることはありません。

 28日が経ち、クリスマスの間、イスラエルが外出禁止令を解除するだろうかといまだに私たちは議論しています。ここはベツレヘムなんだよと言って自分たちを慰めています。いたるところでクリスマスの祝祭が行われる中、ベツレヘムに外出禁止令を実施しているのは体裁が悪いとイスラエル人は思うだろうと言うのです。教皇が介入し、教会の指導者たちが苦情を言うでしょうから。外出禁止令が22日と23日、24日に解除されることを祈っています。イスラエル軍がクリスマスの間撤退し、外出禁止令を解除し、正教のクリスマスの後まで戻ってこないことを夢見ています。イスラエルは、私たちの大統領の参加は許さないと断言しました。思考や議論などの、検討レベルでの私たちの関与は驚くほど活発です。しかし実際は、自分たちの生活に関することは睡眠以外には何も決められないのです。睡眠だけと言うのは、私たちは時として基本的な食料や飲み水をも手に入れることが許されないからです。そしてそれさえも贅沢となってきました。

 今朝6時にジープがまた戻ってきました。ベツレヘムの人々への外出禁止令は続きます。外出禁止令は別途通知があるまで継続すると言いました。イスラエル軍の兵士は、拡声器を通した声だけではまだ足りないとでも言うかのようにサイレンを鳴らしていました。ベツレヘムの人々に対して、外出禁止令の継続が無遠慮に告げられます。

 1ヶ月前は、1日24時間、週7日働いていました。多すぎるほどの新しいアイデアやプログラムがありました。教育機構を改善するプロジェクトや、村に道路を開通させるプロジェクト、それにコミュニティーに対して教育を行い失業者に仕事を与えるプロジェクトなどです。23のプロジェクトを選び、その他に17のプロジェクトを計画していました。クリスマスが終わったらすぐに、1月にはベツレヘムで住宅プロジェクトを開始し、ジフナとエイン・アリク、アボウド、タイベさらにラマラでは学校の再生を行い、ベイト・サフールとベイト・ジャラではコミュニティーセンターに取り組み、ベツレヘム地域で工芸プログラムを行う予定でした。すばらしい1年になるはずでした。

 11月22日の1週間前は、まともな人間らしい活動をすることができました。それは私たちの当然の権利です。その頃は充実した1日を過ごすことができました。翌日の予定をたてることもできました。そして明るい未来を夢見て、学校やベツレヘムのコミュニティーについて考え、進歩や成功に心を躍らせ、仕事をしながらの昼食を取り、友人を食事に招き、子供と遊び、大切な人との愛を育み、買い物をし、祈り、クリスマスに備えミサに与ることができました。11月22日の1週間前、ベツレヘムは生きていました。

 クリスマスまで1週間になった今、外出禁止令のために、家やコンクリートの壁の内側に閉じ込められています。願望や夢、前向きな考えが持てるのは、毎週4時間だけに限られています。人々はあらゆる方面に散って、商店に殺到し、そして人ごみから抜け出して来て買い物を済ませようとします。買い物のリストと場所はいくつかに分けて分担します。携帯電話の電源は入れっぱなしにしておきます。ミルクがどこか別の所で売り出されるかもしれないし、それにパン屋は客でごった返しているかもしれないし、行列が長すぎるかもしれないし、イスラエル軍のジープが戻ってくるかもしれないからです。

 ベツレヘムは、拡声器を通した18歳の少年の声によって生きそして死にます。死ぬと表現したのは、住民が通りを自由に使えない都市は事実上死んでいるからです。

クリスマスの1週間前に子供たちの髪を切ってもらおうと、1ヶ月前にナヒダが言っていました。ナディームとカミールも承知していました。外出禁止令の解除は今まで3度ありましたが、いまだに髪を切ってもらうことができません。2人ともまだかわいいのですが、近頃は伸びた髪が目と耳にかかってきました。ナディームは、たぶんお菓子の食べ過ぎで歯の具合が悪いのですが、当分歯医者にも行けそうにありません。

 12月24日には、ナディームに新調のスーツを着せます。カミールにはデンマークセーターを着せます。一緒に旧市街にある私の父の店に行き、総主教が通られるのを見る予定です。カミールはスカウトが大好きです。去年のクリスマスはまだ1歳でしたが、今年はもっと楽しむことができるでしょう。ニーダムは、いとこと一緒に出かけさせたらどうだろうかと相談しています。近くのアッシリアン・クラブに行って遊べばいいのです。そこには確か、子供向けのとても良いクリスマスゲームが有りました。今年は誰がサンタクロースに扮するのだろうと思いをめぐらしています。両親の家に、息子たちと甥・姪合わせて17人全員が集まった方が良いのだろうか、それともみんなカトリック・アクション・クラブに集まった方がいいのだろうかと考えています。そこでは1500人以上の子供のために、クリスマスの大きな集まりを予定しています。

 イスラエルはクリスマスを祝うことを許可するだろうかと、私たちは議論しています。祈らせてもらえることを願っています。真夜中のミサの間に、戦車が広場に陣取るのではないかと心配しています。24日と25日に外出禁止令が解除されるのではないかと、私たち当事者に代わって勝手な憶測がなされています。そうなってもらわないと困ります。解除できなければ、イスラエルにとっては体裁が悪いでしょう。少なくとも、多分24日の昼間と夜間には解除されるでしょう。もっとも、イスラエルは10ヶ月前に撤退すべきでした。全住民に対する抑圧を26ヵ月前に解消すべきだったのです。そしてまた、35年前に67年の境界線まで撤退すべきだったのです。

 クリスマスまで、あとたったの1週間です。礼拝をしたのは1度きりです。日曜日に1度だけ、外出禁止令が7時間解除されました。教会は子供や家族、母親、父親であふれていました。聖カタリナの教区司祭は、私たちの経験している苦難や耐えるべき試練、私たちの恵み、示すべき忍耐の模範、保つべき堅固さについて語りました。その日ベツレヘムは生きていました。
それは7時間が与えられたからではなく、ほかならぬこの場所で、世界に生命の約束が与えられたからです。そしてほかならぬこの場所で、神との新たな契約が始まりました。私たちは皆、神の息子であり娘なのです。今は外出禁止令の下に置かれているその同じ場所が、世界中のすべての人々の祝いの中に生きているのです。これは、いかなるジープや拡声器、さらに賢者や愚者による政治宣言をもってしても屈服させたり、変えたりできるものではありません。ベツレヘムは、何百万もの人々の賛美歌と歌、思い、祈りそして奉献の中に生きています。ベツレヘムは、楽しいクリスマスを願い続ける子供たちの心の中に、そして愛や、人を気づかう心、真実を述べる勇気を持つ人々の心の中に生きているのです。

クリスマスおめでとう。



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