エルサレムからのHOT NEWS
−イスラエル・パレスチナの紛争の解決を願って−

この記事はイスラエルより発信されている「NONVIOLENCE (非暴力)」のホームページより、製作者 ラエド・アブサリア神父様の許可を得て「聖地のこどもを支える会」で翻訳したものです。


オリーブ・ブランチ NO.182

「殉教における平等」
                          2002年12月5日 サミア.コウリー

 昨年、カランディアチェックポイントを通ったことがきっかけとなり、「侮辱における平等」について考えたことを記事に書きました。その時、子どもの頃口ずさんでいた「鋳(い)かけ屋 仕立屋 兵隊 水兵 金持ち 貧乏人 乞食 どろぼう 医者 弁護士 商人 酋長」という童謡を思い出しました。すべての人々は、あのぞっとするチェックポイントで同じように侮辱されていました。もちろん、現在イスラエル占領軍は侮辱の方法をますます革新化させています。雨の降る寒い日に男を裸にするというのが、最近ナブラスで行った手法の一つです。その上、泥の中を動物のように這い回り、犬のようにほえることを強要しました。その間イスラエル兵は面白がっていました。皆さんの多くがこの写真をご覧になったでしょう。昨晩、バンに乗っていた95 歳の老女ファティマ・サラネフが、エル・ビレの近くのJAWWALチェックポイントで占領軍に射殺されました。この事件は、耳の不自由なアシュール・サレムが、ガザのベイト・ラヤでイスラエル占領軍が取り壊した自宅の瓦礫の下敷きになって死亡した直後におこりました。サレムは警告が聞こえませんでした。イスラエル軍は、家族が建物の6階から彼を連れ出すことを許しませんでした。

 そこで私が真っ先に思いついたのは、もう一つの平等の形態です。それは殉教の平等です。活動家、警察官、生徒、労働者、農夫、受動的な人、老人、男、女、幼児。これらすべての人たちが、数多くの殉教者のリストに加えられました。殉教者とは、自分の信仰や原則のために苦しんだり、死んだりする覚悟ができている人のことを言います。しかし、この人々を付随的な被害者とみなす暴力的な占領の犠牲となって、これらの人々のすべては、殉教者の地位を得たのです。95歳になっても、ファティマは自分の寝床で安らかに息を引き取る基本的な人権を奪われました。今日、イスラム教世界は断食明け大祭を祝います。ラマダンの聖なる月を終えて断食が明けます。多くのパレスチナ人の家族は、愛しい者たちがいないことをさびしく思うでしょう。私の孫のゼイナは母方の祖母、シャデン・アブ−・ヒジュレがいないのをさびしく思うでしょう。ヒジュレは2ヵ月近く前にナブラスの自宅で撃たれました。また、マルカ・ ハモウリは自分の夫ハイタムがいないのをさびしく思っているでしょう。ハイタムはYMCAのスタッフで、他の何千人もの男女同様、まだ留置場に拘留されています。
ユダヤ教とイスラム教、キリスト教の三つの一神教にとって神聖なこの聖地において、今はキリスト教徒にとっては待降節で、ユダヤ人にとってはハヌカの祭りに当たります。しかし、キリストの生誕の町であるベツレヘムが外出禁止令の下に置かれ、イスラエル占領軍に射殺された愛しい者たちの鮮明で苦痛に満ちた記憶を持つキリスト教徒たちは、どうやってクリスマスを迎えることができるでしょうか。イスラエル人家族がハヌカの祭りのろうそくを灯す時、愛しい者たちがいないことをさびしく思うことでしょう。イスラエルが過去35年間占領のための戦争を選択しなければ、自分たちや私たちの愛しい人々が奪われることは無かっただろうということを、イスラエル人の家族が思い出すように切に祈ります。これらすべては、占領下にあるパレスチナの住民の意志に反し、国連の決議を無視するものです。パレスチナ人とイスラエル人が、この「私たち皆を殺している」残酷な占領から解放され、この聖地のユダヤ教徒とキリスト教徒、イスラム教徒が、自分たちの祝祭を平和のうちに祝うことができるよう祈りましょう。断食明け大祭おめでとう、クリスマスおめでとう、ハヌカの祭りおめでとう。


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