エルサレムからのHOT NEWS
−イスラエル・パレスチナの紛争の解決を願って−

この記事はイスラエルより発信されている「NONVIOLENCE (非暴力)」のホームページより、製作者 ラエド・アブサリア神父様の許可を得て「聖地のこどもを支える会」で翻訳したものです。


オリーブ・ブランチ NO.181

ベツレヘムだより(40)    2002年11月30日
トワーヌ・ファン・テーフェレン

 外出禁止令で問題なのは、家から出でられないことだけでなく、それがいつまで続くか分からないことです。今週はじめ、外国の報道機関がベツレヘムの外出禁止令は12月30日まで続くだろうと発表しました。しかし、昨日地元のテレビ局は12月10日までだろうと伝えました。 「それならイスラム教の断食明け大祭の後で、クリスマスの前ね。イスラム教徒とキリスト教徒の間にくさびを打ち込むつもりね」とマリーが言いました。外出禁止令の完全な解除と、買い物のための一時的解除の発表はいつも直前になってはじめて行われます。人々はそれからやっと計画を立てることができます。水曜の夜になって、木曜午後の外出禁止令の一時的解除の時間が発表されました。地元の教育省の支部長は全ての生徒にこの解除時間に学校へ行くよう呼びかけました。次の朝、人々の忍耐を試すかのように、イスラエル軍は発表していた解除時間は取り消りけされました。どうやら学生を学校に集まらせたくなかったようです。しかし、午後一時になって再度同じ解除時間が発表されました。もちろん学校の授業には間に合いませんでした。これは心理戦です。フアドによると、とにかくこのような状況では、親は子どもを学校に行かせたがらないそうです。フアドも学生に補習を行ったり、家の取り壊しや息子の逮捕で参っている家族を見舞ったりして、限られた時間の中でできるだけアラブ教育研究所の仕事を続けたいと思っています。ルイス神父も同様の訪問をコミュニティーで行っています。

 以前から良くなかった経済状況はさらに悪化しています。商店主たちは断食明け大祭とクリスマス向けの商品を売れるかもしれないと思っています。ある店主は、クリスマス中は外出禁止令を心配しなくていいとマリーに言いました。確かに祝祭を行うことはできるでしょう。そして、その店で売っている飾りつけを見て、買わなければなりません。しかし、商店主たちが日増しに価格を操作するようになっていることにマリーは気づいています。盗難事件も増えてきています。フアドの義理の息子の携帯電話店も、外出禁止令の初日に10,000ドル相当の盗難にあいました。人々は急いで家に戻らなければならず、店の後始末ができていなかったのです。エリアスはよく外出禁止令を破って、アラブ教育研究所のコンピュータの無事を確かめに行きます。西岸地区の北部で学校に通っている彼の息子はもうお金がなくなってしまい、銀行が閉っているため彼にお金を届ける別の方法をエリアスは探しています。

 政治状況や、若者が閉じ込められていて何もできないこと(小さな部屋から外に出られない大家族のことを考えてみてください)、貧困、さらにその他もろもろの要因が、コミュニティーの関係に大きな圧力としてのしかかり、それははっきりと以前より増しています。町の中心のマドバッセ通りへと歩いていて、マリーはファラフェル売り場で人が口論しているのを見かけました。それは本当にささいなことが原因だったと後で分かったのですが、彼女はその場の雰囲気と人々の顔つきが険悪だったので、買い物を取りやめて家に戻りました。過密で逮捕者が多く出ている難民キャンプでも、緊張が感じられます。私がコンピュータを使っている部屋の窓から家の向かいを見ていると、アル・アッザ・キャンプの若者が、彼等の混み合ったアパートの屋上から、通りかかった戦車に投石していました。戦車やジープは時折停車して、兵士が出てきて空に向かって発砲してはまた車内に戻り、去って行きました。若者たちはまた出て来ました。日がな一日、お互いに投石し合ったり、戦車に投石したりしているだけで他には何もしていないので、心理的に悪い影響を受けても不思議はありません。そのうち一団の若者たちが私たちの家の庭先に入ってきて、ベランダから地上に植物を投げ捨てました。少年のうちの一人が外国人と叫ぶのが聞こえました。私が窓からのぞくと、もう一人の少年はマシンガンを撃つまねをしました。メリーに電話をすると、彼女はすぐに戻って族長に話をするためにキャンプに入って行きました。彼女はマリーが買い物袋を持って帰るのをよく手伝ってくれます。途中で子どもたちがマリーに小石を投げつけました(ヤラは、「何であの子たちはイスラエル人に石を投げないんだろう」と言いました)。子どもたちは彼女を「キリスト教徒」と呼びました。マリーは2年間互いに尊重しあってきたのだからこれからもそうしたいと言います。 その後、親類の家族の家に歩いて行く途中、私も小石を投げつけられました。私は子どもたちのところへ歩いて行き、話しかけました。子どもたちは、もうしないと思います。彼等は100メートルほど離れた所で小さな焚き火をしていました。そして通りの壁から石を取り出して、イスラエル軍のジープの通行を邪魔する障害物を作っていました。また、通りのはずれの窓が割られていました。抵抗と破壊行為の区別はほとんどつきません。長い外出禁止令が施行されるたびに、こんな行為が明かに増えていきます。コミュニティーを崩壊させるのがイスラエル軍の狙いなのでしょうか。それはあり得ないことではありません。もっと難民キャンプと関わるようにしようと、アラブ教育研究所のプロジェクトの一つに難民キャンプを参加させることができないかと考えました。このことを友人に話したら、「プロジェクトで何でも解決できると思うなんて君らしいよ」と言われました。

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 近所の雄鶏が鳴いているのを聞くとうれしくなります。日中は長い間、不自然な、全くの静寂が支配しています。ムアッジンはいつもより大きな音で響き渡ります。外出禁止令の間はいつも、毎日のリズムで自分を律しなくてなりません。そうでないと時間や時刻、日付の観念を失ってしまいます。マリーはよく外出禁止令を破ったり、逃げ出す気分を味わったりしています。彼女が恐いのは戦車だけです。軍用ジープは恐くないと言います。二日前、マリーは大学の丘を歩いている時、救急車を止めている戦車の横を偶然通りました。幸いにも兵士はマリーと母親、ヤラを黙って通しました。こんな時いつもマリーはヤラに恐がらなくてもいいのよと言い聞かせます。後でヤラは少し恐かったと言っていましたが、特に気にした様子もありませんでした。タメルも外に出たがります。彼はドアの窓から射し込む日光を見るといつも、近くにある物を片っ端から動かしたり、どかせたりします。マリーはタメルを連れて庭を散歩します。タメルの笑い声は、セサミストリートのアーニーの笑い声ように「グー、グー」と聞こえます。私たちは、その笑い声をとてもいとおしく感じます。

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 親類の家族の家でクリスマスツリーの飾りつけをしました。タメルとヤラは二人とも、とても興奮していました。ヤラは少なくとも一日に三つの長いおとぎ話を聞き、できればそれを演じたがります。彼女がお姫様で私はその他全ての役です。外出禁止令が出てから始めの5日間は、ヤラは何度も宝捜しや、大変な状況の場面、また結婚式の場面を演じた後、眠る前に「明日学校はあるの」とマリーに聞いていました。私はその度に悲しい気持ちになりました。それ以降は、ヤラはあきらめ、尋ねるのを止めました。これにはもっと悲しくなりました。

 その晩は義母の家に泊り、タメルとヤラ、マリーの安らかな規則正しい寝息と、外の優しい冬の雨音を聞いていました。天井を見つめながら、「こんな事が一体いつになったら終わるのだろうか」と考えました。


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