エルサレムからのHOT NEWS
−イスラエル・パレスチナの紛争の解決を願って−

この記事はイスラエルより発信されている「NONVIOLENCE (非暴力)」のホームページより、製作者 ラエド・アブサリア神父様の許可を得て「聖地のこどもを支える会」で翻訳したものです。


オリーブ・ブランチ NO.180

ベツレヘムだより(39)    2002年11月23日
トワーヌ・ファン・テーフェレン

 木曜の朝、西エルサレムでの恐ろしい殺戮が伝えられました。10人以上のイスラエル人が死亡し、数十名が負傷しました。(けれど、その前の数日間にトゥールカルムで8人のパレスチナ人が、投石をしていたとか、間違って射撃場に迷い込んだという理由で殺害されたことを聞いた人はいるでしょうか。パレスチナ人は生きていようが死んでいようが、多くの外国人にとって実際には存在しないのだとメリーはきつい口調でコメントしました。)同じ日に、メディアは自爆攻撃を行った者はベツレヘム地域出身で、イスラエルの内閣が午後に緊急会議を招集したと伝えました。そのため外出禁止令が予想されます。メリーがヤラを平和センターから連れて帰る時、スタッフがすべての教材を保管しコンピュータのバックアップファイルを自宅に保存しておくと言っていたそうです。前回の外出禁止令の際に多くの教材とコンピュータが盗まれました。食料雑貨店で買物をしましたが、パンが売り切れていました。店主は明らかに心配そうに言いました。「アラブ人と楽しい夜を過ごしてください。イスラエル人とは拘わり合いにならないことを祈ります。」短期間のうちに食料の供給が底をつくという可能性がほとんど無いにもかかわらず、人々はすぐさま買い溜めします。侵攻が間近であるとのうわさが高まっています。 アラブ・アルジャジーラ放送局の特派員シリーン・アブー・アクレは、私たちが食料を迅速に持ち込むことができるように、ベツレヘムにスタジオを設置したと誰かが言っていました。メリーは大学で学生と教師が早退しているのを見ました。そして、「この週末いくつの結婚式がキャンセルになるかしら」 とひとり言を言いました。スージーは電話で、年長の生徒の一人が「私は恐くなんかない」と泣きながら彼女のところに慰めてもらいに来たと言いました。この生徒が、侵攻が恐いと打ち明けたところ、別の生徒が彼女をからかったのだということが分かりました。

 メリーの家族は、ジャネットの誕生日にレストランでの食事を予定していました。今時そんなことをしていて良いのでしょうか。私たちは不安にもかかわらず計画通り行うことに決めました。どうして、うわさなどいつも気にかけている必要があるでしょうか。隣人も加わり、メキシコ料理レストランまで車で送ってくれました。エルサレムにいる彼女の同僚は、彼女がエルサレムへ仕事に通い続けることができるように、寝場所を提供することを即座に申し出ました。しかし、彼女は彼等の親切に不安を感じました。彼女はそんなに大急ぎで自分の家から移り住むのは無理だと言いました。彼女はできるだけベツレヘムに住み続けることを望んでいます。レストランに行く途中で、何ヵ月かぶりに街灯がともっているのを見ました。市は電気税を徴収する気になっています。街灯の光はとてもロマンチックな印象を与える柔らかい黄色です。少なくとも私にとっては、それは大きな進歩です。以前、夜遅く暗闇を歩いていて、穴に足を取られて地面にばったり倒れ込んでしまいました。またある時は、張り出した木の枝に頭をぶつけました。「もう何ヵ月かしたらこの世にいないのではないか」と皆は私をからかいました。ウェイターは私たちが来たのに驚き、料理が出て来るまで時間がかかりました。いつもよりたくさん食べました。その後、メリーは薬局に行き、タメルのミルクとオムツを十分買っておいた方が良いと思いました。幸いなことに、大きなオムツのパックが一つだけ店に残っていました。

 次の日、朝早くムアッジンの声で目覚めました。これは普通なら外出禁止令が無いということを意味します。しかし車の音がしません。そしてしばらくすると、軍用ジープが外出禁止を伝えながら通りすぎました。メリーは地元テレビ局の最新ニュースの字幕を見ていました。デヘイシャとアル・ハデル村で逮捕者が出ました。自爆攻撃を行った者の家族の家が爆破されました。ベツレヘムの東と南東での逮捕と多数の住宅の破壊についての詳細が、その日遅くにと今日報道されました。ここから7キロ離れたアル・ハデルから、もう一軒の住宅が爆破される音が聞こえました。ベツレヘム市内でも外出禁止令が完全に施行されています。ただし前回の侵攻の際と異なり、戦車や装甲兵員輸送車はそれほど多くありません。若者が通りを徘徊し、タイヤを燃やしているアル・アッザ・キャンプに、軍用ジープが通りかかり、音響爆弾を撃ち込みました。そのうちドアをノックする大きな音が聞こえました。メリーは、イスラエル兵だろうかそれとも逃げ場を探している武装パレスチナ人だろうかと思い動揺しましたが違いました。となりの子どもたちが玄関に通じる道で遊んでいたのです。

 家にある教育用のCD-ROMを使って、ヤラの勉強を手伝いました。目下教育は家庭で行わなければなりません。ヤラはいつもの土曜の午前の授業や平和センターには行けません。アル・ジャジーラによれば、平和センターではイスラエル軍がイスラエル国旗を掲げているとのことです(最近ラマラで、パレスチナの学校の生徒を外国のボランティアの教師と結び、外出禁止令の間インターネットを通して教育しようという構想が進められています。地元の大学のいくつか、特にビルゼイト大学では、必要に迫られ遠隔学習で多くの経験を積んでいます。私はタメルにオランダ語と英語の子どもの歌を歌って聞かせます。タメルは足をしきりに動かすので、よく彼のことを列車と呼びます。まるで「ママ」とか「パパ」とか言いたがっているかのように、鏡の前で唇を動かします。タメルの熱が38度5分ありました。医師に電話しましたが、診察は直ぐには必要ないと言われました。私は、国際支援者として、メリーとタメルに同伴して、通りに出る覚悟ができているとメリーに冗談を言いました。
(訳者注:パレスチナ・イスラエル・エキュメニカル同伴プログラムをご参照ください。http://www.wcc-coe.org/wcc/what/international/palestine/eap.html

 占領はいつまで続くのでしょうか。無期限の作戦だとイスラエル軍は言っています。ベツレヘムの人々は楽観的で、2、3日で終わるだろうと言っています。おそらく今度の待降節とクリスマスの祝祭を考慮してか、米国はイスラエルに対してベツレヘムから撤退するように外交的圧力をかけました。聖誕教会のラテン典礼区での、明日の聖カタリナの祝祭のために、フランシスコ会聖地特別分管区長がエルサレムからやってきました。静まりかえり、もぬけの空になったベツレヘムにやって来るというのも妙なものです。


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