エルサレムからのHOT NEWS
−イスラエル・パレスチナの紛争の解決を願って−

この記事はイスラエルより発信されている「NONVIOLENCE (非暴力)」のホームページより、製作者 ラエド・アブサリア神父様の許可を得て「聖地のこどもを支える会」で翻訳したものです。


オリーブ・ブランチ NO.177

ベツレヘムだより(37)    2002年11月2日
トワーヌ・ファン・テーフェレン

 ガザを訪ねるといつも気持ちが沈みます。威嚇的な検問所やイスラエル軍兵士の侮辱的な態度、経済の絶望的状況、人々のもっともな反感や怒りなど、ガザではすべてが西岸地区よりもひどい状況です。難民救援のための教会の責任者コンスタンチン・ダバグは、暴力的でないことがいかに難しいかを非暴力を訴える者たちは理解しなければならないと、ある静かな朝、彼の事務所で私に語りました。人々の忍耐は、単に職業上の大きな問題や独立を奪われることだけでなく、度々繰り返される小さな屈辱的な場面でぎりぎりまで試されています。先週、彼は家族と何の理由も無く一時間半も検問所で待たされました。兵士たちは、あたかも彼が存在しないかのように徹底的に無視しました。このようなできごとはもちろん珍しいことではありません。検問所では兵士が時間をかけるために、時として何百人もの人が待たされます。そのような状況にあって、どうして人々が感情を押さえることができるでしょうか。

 貧困はもう一つの大きな問題です。ガザでは会議の合間にのんびりと町を散歩する機会がありました。市そのもの、特にレマル(砂)区域はとても見た目に気持ち良く広々としています。しかし大通りから外れて路地や裏通りに入ると、貧困が目に飛び込んできます。レンガの無い通りや下水からの悪臭、はだしの子ども、ひどい住宅事情。無職の若者や老人の姿に圧倒されます。

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 ベツレヘムでは観光産業は無きに等しい状況で、よそから来た者にはすぐにはわからない形で貧困が現われてきています。習慣になっている午後の温かい食事、こわれた機器の交換、新しい衣類の購入等ができない家庭が出てきています。穴のあいた靴をはいている女学生がいたことを一人の教師が教えてくれました。新しい靴を家族に買ってもらえなかったのです。この教師は財政的支援を今あちこちで探し求めています。このような状況を避けるために、人々はちょっとした仕事をしようとすることがあります。失業者が通りがかりに、本やカレンダーを私たちの家に売りにくることがよくあります。多くはありませんが、中には物乞いをする人もいます。

 今、特にがっかりさせられるのは、オリーブの収穫の時期なのに(今年は当たり年です)、ユダヤ人入植者が農夫たちに対して発砲したり脅迫したりして、収穫をたびたび阻止してしまうことです。イスラエル軍は、パレスチナ人の収穫者を入植者から守れないので、オリーブの収穫を一日中禁じたことがありました。その決定は激しい抗議で取り消されました。それでも人々は収穫に苦労しており、帰宅途中の農夫が入植者から作物を奪われるというできごとも起こっています。何人かのイスラエル人と国際平和運動のメンバーが、ナブラスとヘブロン地域でこの数週間収穫作業に活発に協力しています。

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 自由も尊厳も土地もどんどん縮小してゆくのに、何十年にもわたる占領にどうして人々は耐えることができるのだろうと、多くの外国人は自問します。ある時大学の講師が、パレスチナ人は重荷を負いながらも何があっても生き延びる才能と農民特有の頑固さ、反発力という特質を持っていると教えてくれました。

 今朝、日当りの良いベランダで同国人と話しているときに、こんなに長期化した占領の圧力に個人主義の強い西洋人だったら耐えることができるだろうかと、互いに思いをめぐらしました。ここにある大家族と近隣のネットワークは西洋にないもので、貧しい家族を支えるのに役立っています。このようなネットワークがない者たちが、今日深刻な困難に直面しています。ネットワークは、感情的な助けとなる共同体意識を生み出します。

 とりわけこの地の人々は、回りの同胞と土地、環境に対する自然な帰属意識を持っていると感じられます。その根底には生きてゆく意志、そして困難にもめげず生活を楽しむ強い意志があるのでしょう。ガザを発ってすぐ、たまたまエレツ検問所で30分待たなければなりませんでした。イスラエルでの就労許可証を持っている運の良い労働者たちを乗せた何百台もの車が駐車場に入ろうとしていました。待っている間、中東ではお馴染みの、親しみのこもった大きな笑顔を浮かべて一人の男が気軽にコーヒーを勧めてきました。気前の良さとは、与えることを楽しむ技術であるという定義が心に浮かびました。この技術を身につけることでお互いの生活を健全にしながら、圧力をより良く耐えられるようになります。

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 ベツレヘム大学のカフェテリアで、今からおよそ8年前メリーに初めてあった時、回りは心地良い笑い声に満たされていました。それはとても大切な場面だったので、決して忘れられません。こんなに重苦しい環境に生活していながら、どうしてみんなはあんなに気安く、言ってみれば軽軽しく、笑ったり話したりできるのだろうと自問しました。その答えはいまだにわかりません。良い食事をとりながら土地や庭、太陽を楽しむ機会や良い天候と多分に関係があるのでしょう。しかし、メリーから一度ならずも教えられたように、実際に本人から話を聞けば、その人に対する見方は全く変わってしまいます。いずれにせよ、今人々は5年前よりずっと落ち込んでいます。

 外国パスポートを持っているある隣人は、今ではベツレヘムを出ても楽しくないとメリーに語りました。その隣人は、テルアビブの海岸に行きたがっていた外国人の友達の誘いを最近断りました。自爆テロが恐かったのではなく、占領地区で行われていることに全く無関心で楽しく過ごしているイスラエル人の中にいるのは、パレスチナ人として居心地が良くないからです。彼女は自分の話をした後で、メリーがまだ笑うことができることをほめました。それに答えてメリーは言いました。「他に何ができると言うの。ずっと不機嫌な顔でいられるかしら?」。最近彼女はエルサレムの中心部に行った夢を見ました。爆弾攻撃に会い、彼女は無傷でその場から逃れました。走っている最中に、爆弾攻撃で人が寄り付かず最近ではがらがらになっている店の主人たちが彼女を招き入れようとしました。

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 少なくとも私たちにとって、笑う良い理由の一つはタメルです。私たちが変なことをして見せると、タメルはいつでも笑ってくれます。私たちは聖誕教会に行って星の上にタメルを置きました。タメルはびっくりしたようにじっとしていました。親切なフランシスコ会士が、聖誕のシーンの前で私たち四人の写真を撮りましょう声をかけてくれました。

 ヤラはいつでも家に帰って来ると、オランダ語で「こっちに来て遊んで」と私に命令し、タメルのことを私があまり構わないように嫉妬深く見張っています。今週ヤラは少し具合が良くありませんでした――ベイトサフールではかぜで休校になった学校もありました――しかし学校では大丈夫で、フレレス校のクラスがクリスマスのために準備している聖劇で乙女マリアの役を演じることになっています。


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