エルサレムからのHOT NEWS
−イスラエル・パレスチナの紛争の解決を願って−

この記事はイスラエルより発信されている「NONVIOLENCE (非暴力)」のホームページより、製作者 ラエド・アブサリア神父様の許可を得て「聖地のこどもを支える会」で翻訳したものです。


オリーブ・ブランチ NO.176

すべての主要キリスト教宗派が聖地キリスト教徒支援に連帯

聖地キリスト教エキュメニカル基金の報告書

ニュース・リリース  2002年10月24日

 聖地キリスト教徒エキュメニカル基金の、聖地キリスト教徒に関する第4回会議
の三つのイベントに、米国の17の州と世界の12カ国から700名の参加がありまし
た。参加者は50人分の児童スポンサーシップ奨学金を約束し、カトリック・バルチモア大司教区は新たに250人分の児童スポンサーシップ奨学金を約束しました。また、参加者は聖地キリスト教徒エキュメニカル基金の委員会を5つの都市(サウスカロライナ州チャールズタウン、テキサス州オースチン、ケンタッキー州レキシントン、カナダのトロントならびにモントリオール)で結成することに合意しました。他の二つの都市の委員会が再び活動を活発化しました。合計で15の北米の都市が、活動中かあるいは活動予定の委員会を持ち、米国およびカナダのキリスト教徒に、聖地のキリスト教徒についての情報を提供し、聖地のキリスト教徒に精神的ならびに物質的支援を提供することを約束しました。これにより、イエス・キリストのみ言葉を直接聞いた初めのキリスト教徒の子孫たちは、ローマカトリック、東方教会、米国主要プロテスタント宗派の支援を得ることになりました。すべての主要キリスト教宗派が聖地でのキリスト教徒の支援を約束しました。

開会の祈り

 フランク・トロッター師は、神の善と愛が私たちを支え、私たちの、聖地のキリスト教徒を力づける働きにおいて、お導きと知恵を求めるように祈りました。すべての講演者が、聖地に癒しをもたらすものは神の正義と平和であると強調して、この祈りを繰り返しました。

開会の辞

 聖地キリスト教徒エキュメニカル基金 (HCEF) 聖墳墓の騎士ラテブ・Y・ラビエから、第4回国際会議開会の辞がありました。ラビエ氏は、『神のともし火は燃えつづける:聖地のキリスト教徒は耐え忍ぶ』という会議のテーマが選ばれた理由は、パレスチナ人キリスト教徒は、艱難や苦難にもかかわらずキリストのともし火を携えつづけているからであると説明しました。ラビエ氏は、聖地キリスト教徒エキュメニカル基金が、キリスト教徒家族の住宅の要求に応え続けていると述べました。昨年は、寄贈者からのたくさんの寄附により、聖地キリスト教徒エキュメニカル基金は、ベイト・ジャラの24世帯分の住宅建設を支援するために50万ドルを送ることができました。聖地キリスト教徒エキュメニカル基金はタイベにおいて30世帯分の住宅建設を、ギリシア正教住宅プロジェクトを通じて支援したいと考えています。

 緊急救済基金は、雇用創出プログラムを10箇所のキリスト教徒の町で立ち上げ、労働者が、砲撃で破壊された家や基盤設備を再建しながら賃金を稼ぐことを可能にしました。177 人の労働者と220 のキリスト教徒の世帯が恩恵を受けました。ラビエ騎士 は聖地の贈り物プログラムについて言及しました。これは伝統的なオリーブの木工細工の彫刻技術を身につけた職人に、米国での市場を見つけることで収入源を与えるものです。キリスト教徒の教育を支援する児童スポンサーシップ・プログラムは、聖地のキリスト教学校での青少年の教育のための費用を援助します。

 ラビエ騎士によると、聖地キリスト教徒エキュメニカル基金は、聖地のすべての
教会に参加を呼びかけているとのことです。 現在のところ、聖地のローマ典礼の学校に通う、すべてのキリスト教宗派の合計600人以上の児童にスポンサーを見つけています。今年は、聖地のギリシア正教と、ギリシア典礼カトリック教会が参加します。聖地キリスト教徒エキュメニカル基金は他の教会の学校も参加の呼びかけに応えることを期待しています。児童スポンサーシップ・プログラムは成長していますが、まだスポンサーが必要なキリスト教徒の児童が18,000 人以上います。ラビエ騎士は会議の参加者にこれらの児童のスポンサーになるように呼びかけました。そして、聖地キリスト教徒エキュメニカル基金は、聖地のキリスト教徒の兄弟姉妹のためのプログラムを支援するネットワークを築く能力はあるものの、会議の参加者に時間を割いてもらい、財政的な支援を提供してもらうことが必要であると述べました。会議の参加者に、具体的なプランを立ててこれらのプログラムを自分たちの地域に紹介して欲しいとお願いしました。そして参加者にこの週末に得た情報を自分たちの教会、学校、組織そして家庭に持ち帰るように呼びかけました。また、コミュニティーの信者に、聖地キリスト教徒支援ネットワークを通して、聖地キリスト教徒エキュメニカル基金の取り組みに参加することを奨励するよう、参加者にお願いしました。ラビエ騎士は全参加者に、会議に来ることで聖地のキリスト教徒に対する連帯と支援を示していただいたことを感謝してスピーチを締めくくりました。

聖地におけるアラブ人キリスト教徒についての最新情報

 会議の第一部は参加者に、聖地のアラブ人キリスト教徒についての最新情報を提供しました。アレックス・クラッツ神父が司会をして、ヴィンセント・マルハム修道士とハンナ・ナセル閣下が、パレスチナ人キリスト教徒の苦難について直接体験したことを語りました。クラッツ神父は、先ず始めに聖地のキリスト教徒は、全世界にとってのキリスト教徒の外交官であると述べました。クラッツ神父はまた、イエスが、私たちをキリスト教徒の根源に立ち返らせ、今日私たちが何者であるかを思い起こさせようとしていると述べました。ベツレヘム大学学長マルハム修道士は、パレスチナ人特にベツレヘム大学の学生と教師について最近目撃したことを語りました。マルハム修道士は学部のスタッフが、学生のために大学を開いておくために克服しなければならない数多くの問題について語りました。マルハム修道士は、イスラエル軍のミサイルや銃弾による建物への被害、外出禁止令、夏季講習の取りやめ、学年の頻繁な中断による物的、経済的損失について詳細に語りました。最後に、パレスチナ人キリスト教徒にとって最も困難なことの一つは、明日は何が起こるのだろうという不安の中にいつも暮らさなければならないことであると述べて締めくくりました。

 ハンナ・ナセル・ベツレヘム市長閣下は始めに、ベツレヘムの教会は規模は小さいけれど最も重要な教会であり、母なる教会であると述べました。ナセル市長は前世紀の初めにキリスト教徒の人口はパレスチナの総人口の18%だったが、現在では2%以下になってしまい、過去18ヵ月の間にベツレヘムから1,500人のキリスト教徒が、移住して行ってしまったことを述べました。市長はキリスト教徒の人口の減少は、引き続く逮捕、政治状況、恐怖とフラストレーションに原因があると述べました。市長は、死に絶えつつあるベツレヘムの観光産業と約70%の失業率について述べました。そして最後にナセル市長は世界中のすべてのキリスト教徒に、パレスチナのキリスト教徒に援助の手を差し伸べることを要請しました。

パレスチナ人女性キリスト教徒の聖地についての証言
  クローデット・ハバシュ・カリタス・インターナショナル・エルサレム事務所責任者

 ハバシュ氏は始めに、「私はパレスチナ人です。パレスチナは私の祖国です。私は中東に住む1200万人のキリスト教徒の一人です。これが私の信仰です。」と述べました。彼女は自分の持つ、母親そして妻、娘、友人、闘士、コミュニティー
の一員、生きぬく者、尊敬と威厳を持って生きたいと願う人間としての役割を語り、いちばん重要な一面は平和の力を信じる者であることだと断言しました。彼女は、他のすべての子ども同様、娘が登校の際に銃を突きつけられて検問所を通らなければならない親の話しをしました。親はある日娘が、自爆攻撃を行った人のことを聞いて、その人は自分を守ろうとしたのだと言い、幸せを感じたと言っ
ているのを聞いて心配になりました。その親は、自爆攻撃が正当化できない暴力だとわかっているので、娘をキリスト教徒の原則に従って育てようとしているのに、回りの暴力が自分の道徳観を圧倒しているのではないかと失望を表しました。 暴力が毎日家庭に入り込んでいるので、今では暴力が、何か彼女を守ってくれるものであるかのように彼の娘は見なしています。多くの親がこの親のように、自分の子どもや孫が憎しみを持たずに、和解することができるように育てようと取り組んでいます。それでも、生徒は学校で先生に尋ねます「いつも私たちの家を砲撃している敵をどうしたら愛すことができるのでしょう」と。

 「私は、この議論の枠組を変えることを提案します」とハバシュ氏は言いました。「現在の状況はイスラエルやパレスチナに関するものではありません。それは暴力を選択する者対平和を選択する者なのです。」彼女は、妥協することなく平和と非暴力を訴えるミシェル・サバー・ラテン典礼総主教への尊敬を表しました。彼女はカリタス・インターナショナルや中東の平和のための教会、世界教会協議会ならびに米国カリタスなどの団体の唱道の努力をたたえました。いかなる組織でも、経済的、社会的変革のために働いているなら、不正と戦わないなら、それは害を与えるとハバシュ氏は言いました。「私はこれを応用社会正義と呼びます。私たちパレスチナ人は、良く研究しており、分析的です。私たちは自分たちの神への信仰と、自分の生き方との間の関係を探ります。」とハバシュ氏は述べました。

 「必要なのは、一緒になって行動を呼びかけることができる共通の基盤を確立することです。私たちは、平和を望んでいるのに行動を起こすことを恐がっている人々を動員しなければなりません。」ハバシュ氏は、毎日直面する危険をも顧みず、大きな勇気を持って要求に応えている彼女のスタッフを称賛しました。彼女は聖地キリスト教徒エキュメニカル基金が、聖地でのキリスト教徒の存在を世界に知らせてくれていることに感謝しました。そして、「権力に対して真実を語り、罪人を非難することなく罪を指摘し、パレスチナとイスラエルの平和団体の間で協力し、平和のために必要な犠牲を捧げられるように」全員に一致のために働くよう要請しました。

エルサレム指導訓練センター責任者ヴィヴェカ・ハズボウン/ニノス医学博士

 ハズボウン博士は、「わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」というイエスの十字架からの叫びを引用して話しました。ハズボウン医師は、聖地キリスト教徒エキュメニカル基金の会議の働きによって、パレスチナ人キリスト教徒はまだすっかり見捨てられたわけではなく、イエスのこの言葉と、見捨てられたという気持ちは、その後に続く偉大なできごとのさきがけであったのだと安心を与えました。「私のイスラエル人の同僚には、イスラエル人であることを恥ずかしく思っている人がいます。パレスチナ人であることを恥ずかしく思っているパレスチナ人は、一人たりともいません。確かに、お互いの立場を交換したいと思う人はいないということがわかりました。」とハズボウン医師は言いました。エルサレムに住んでいるハズボウン医師は、毎日検問所を通って患者の診察のためにベツレヘムに通っています。病院の研究の統計を引用して、ガザの45%の人々は急性の栄養失調を患っており、54%の人々は心的外傷後ストレス症候群(PTSD)を患っており、56%の子どもは夜尿症を経験しており、13%の子どもが重い精神障害と攻撃的行動の症状を持つようになっていると述べました。 このような問題を目の当たりにしているハズボウン医師は、「私はもう一方の頬をも向けるほど成長していないが、努力している。」と告白しました。キリスト教信仰から、いずれ正義が行われることをハズボウン医師は知っています。科学的に言って、自分たちが法律を決められると思っている人々(例えば犯罪者)は一般的に寿命が短いとハズボウン医師は繰り返し言いました。さらに、不正は悪循環に陥ると述べました。私たちが、苦痛を感じる時、だれか他の人に苦痛を与えることによって、それを取り除くことができると考えます。明らかに、この循環は自滅的です。「この占領が終わった時、同じ悪循環に陥り、暴力に陥らないことを願っています。」とハズボウン医師は言いました。

 ベツレヘムの占領の間、ハズボウン医師は自分の患者からの電話で、人生での希望を保てる唯一の理由は、彼女が診察に訪れる時の会話であると言われました。ハズボウン医師は占領下で苦しむ人々にとっての、アル・カラメすなわち尊厳の重要性について繰り返し述べました。この尊厳は、痛みを受け苦しんでいる子どもたちの目の中にあります。しかし、これを保つのは難しいことです。ハズ
ボウン医師は、とてもおびえていて、いつも母親が安心させようと、家中でいちばん安全な部屋にいるのだからと言い聞かせていた女の子の話をしました。ある日窓から銃弾が飛び込んできて、彼女の真横の壁に命中し、それから全く口がきけなくなってしまいました。子どもたちは実体験から、親でさえ完璧ではないと
いうことを学んでいるのです。

 ハズボウン医師は子どもの精神衛生の問題について続けて、オスロ合意後の1993年の子どもの絵との違いについて述べました。パレスチナは希望で満ち溢れていました。そして子どもの絵も、結婚式やオリーブ摘みなどの場面を描いていたものでした。今日描かれているのは、死者や棺、流血、戦車、鉄条網、ヘリコプターです。子どもたちはハズボウン医師に、未来に対する希望や夢が全く無いと言います。文字通り、夢を見ることができず、眠ることさえできません。子どもたちの夢の90%は、だれかが来て自分や父親を連れ去るという内容です。子どもたちにかなえて欲しい三つの願いを聞くと、以前の典型的な反応はもっとたくさんの願いを聞いて欲しいということでした。この要求はもうありません。「子ども
が願いを言い表さないことは、ガンよりも恐ろしいことです。」

 ハズボウン医師の最も大きな苦しみの一つは、この地域の外にいる人々が真実を知るすべが無いということです。国連は調査する権利を拒まれており、記者は暴力の犠牲となり、紛争地域から追い立てられています。そして国際監視団を求める声は依然イスラエル政府によって拒絶されています。ハズボウン医師は締めくくりとして次のように述べました。人々が暴力に訴えたり、その他の方法で自分の成熟度を悪用したりする理由はたくさんあります。私たちがそのようなことをしない理由は一つだけです。――私たちはそのようなことに断固として反対する信念があるからです。ハズボウン医師は、もし私たちが公共のレベルで平和を創り出すことができないのなら、私たちは少なくとも何らかの内的調和を作る努力を続けなければならないと繰り返し述べました。

聖地のキリスト教徒についての意見
    イリノイ州シカゴ・ノース・パーク大学ドナルド・ワグナー博士(牧師)

 ワグナー師は始めに、ジェリー・ファルウェルが、7000万の福音派のアメリカ人
に、米国におけるイスラエルの救命ネットになるようにと呼びかけた最近のテレビ演説を非難し、米国の右派キリスト教徒の影響について述べました。ワグナー
師は、そのようなメッセージは多くの場合故意に挑発的で、その他の場合におい
ても、右派キリスト教徒とイスラエルの同盟は、イスラエル政府のアラブ人とイスラム教徒に対する支配を正当化するために、意図的にアラブ人とイスラム教徒の感情をあおってきたと述べました。彼は、英国国教会の司祭が、聖書の預言が成就されるようにと、1585年にユダヤ人国家の樹立を呼びかけたことを引き合いに出し、右派キリスト教徒がシオニストになったのは最近のことではないということを聴衆に思い起こさせました。1800年までには、キリスト教シオニズムはす
でに根付いていましたが、まだキリスト教シオニズムとは呼ばれていませんでした。この時点で多くの原理主義的神学者たちが、聖書は文字通り読まれねばならず、誤ることのない神の言葉として受けとめられなければならないと主張してい
ました。教会そして特にアラブ人は、その運動の中では、救われるすべての人々
が、雲に乗って天に昇る携挙の際に「歴史から取り除かれることになっている不
要な部分」 にすぎないと呼ばれています。キリスト教シオニスト神学では、神との契約はイスラエルへと移っています。すべてのキリスト教徒の教会との契約ではないのです。これは明らかに正統でない教えであり、キリスト教神学に基づくものではありません。

 キリスト教シオニズムは聖書預言会議運動と共に1880年代に米国にやって来ました。そして同じ時期に、ウィリアム・ブラックストーンが最初の米国シオニスト・ロビーを生み出しました。言い換えると、キリスト教シオニスト・ロビーはユダヤ教シオニスト・ロビーができる前に存在していたことになるとワグナー師は述べました。ブラックストーンの運動にはジョン・D・ロックフェラーなどが資金を与え、最高裁判事らがメンバーとして名を連ねていました。その目的は、ユダヤ人移住者がロシアのポグロム(ユダヤ人の虐殺)を逃れることができるように、パレスチナにイスラエルのための国家を樹立することでした。キリスト教シオニストのセオドア・ハーシェルはこんなに以前からシオニストの主張を唱えていました。実に、イギリスの政治家は1839年に、「土地を持たない民族のための、民族のない土地」 というフレーズを使っています。

 イスラエルが1948年に建国された時、米国のキリスト教シオニズム運動が復活
ました。ワグナー師によれば、それはとても悲観的な神学で、希望の神学ではあ
りません。1967年の戦争は、携挙を招来するには、次のことが必要だとするキリ
スト教シオニストに弾みをつけました:(1) ユダヤ人はエルサレムを奪回しなければならない。(2) 寺院が再建されなければならない。実際、多くのキリスト教シオニストグループが、寺院の再建を図るためにラビ専門学校に資金を提供しています。(3) 10の国家の連合と表されている、反キリストが台頭する。当面、キリスト教シオニストは反キリストの敵がイスラムであるとしています。冷戦の間はそれは、共産主義者であり、ソビエト連邦でした。ワグナー師は、聖書すなわちイエスとの個人的な関係を強調する福音主義と、使命へのコミットメントなどを区別します。原理主義は福音主義から派生したものです。

 歴代の大統領に対する右派キリスト教徒の個別の影響について、ワグナー師は、ジミー・カーターが大統領として選出された時に右派キリスト教徒の支援を受けたことを次のように述べました。「親イスラエルの投票者が1976年の選挙で彼をトップにした。」しかし、1977年3月にジミー・カーターがスピーチに、パレスチナ人がパレスチナの祖国に対して持っている権利を自分の政権が支持するという内容をスピーチに含めたところ、彼は自分の右派キリスト教徒の選挙区を失い始めました。

 ロナルド・レーガンは7回にわたり、アルマゲドンについての見解を支持すると述べ、世界観においてキリスト教シオニストだと言いました。彼の政権の内務省長官ジェームズ・ワットは米国の西海岸の土地を売り払いました。彼は、イエスが返ってくるので、環境にそれほど気を遣わなくても良いと信じていました。1980年のイスラエルで初のリクード政権の誕生はシオニズムに新たな言葉をもたらしました。西岸地区はユダヤとサマリアと呼ばれました。キリスト教徒はリクード政権の要請で聖地の訪問を開始しました。そしてジェリー・ファルウェルはイスラエル政府から専用のリアジェット機をあてがわれました。米国の右派キリスト教徒の力は、イスラエルが1981年にイラクの原子炉を爆撃した時に、自分たちの決断についてレーガン大統領に説明する前にジェリー・ファルウェルに連絡を取ったことからも明らかです。

 キリスト教シオニストは、以前にも増して巨額の資金をイスラエル支援のために送っています。この運動の勢いはクリントン政権の時代にわずかに衰えを見せました。しかしジョージ・W・ブッシュ政権になってからは完全に回復しています。ビリー・グレアムの息子のフランクリン・グレアムは大統領に大事にされており、米国イスラエル政治行動委員会 (AIPAC)で関係を深めています。200以上もの団体が、イスラエルの首相アリエル・シャロンを米国のイベントなどで講師として招きました。そしてこの運動は盛り上がりを見せています。

 ワグナー師は、もし米国人がこの運動の勢いに対抗したいと考えるのなら、福音派の兄弟姉妹に手を差し伸べなければならないと強調しました。主流派のキリスト教会とパートナーにならなければなりません。イスラム教徒には、右派キリスト教徒はキリスト教会の中のほんの小さな、正統でない運動であるということを理解してもらわなければなりません。パレスチナ人キリスト教徒には最も良い同盟者として手を差し伸べなければなりません。聖書の分析において鋭敏でなければなりません。そしてシオニズムの目的で犯されている人権の侵害を明らかにしなければなりません。私たちは、自分たちの目的が義にかなっていると同時に聖書に基づくものであることを主張し、キリスト教シオニストの理想は人種差別主義であり、正統でなく、民族中心主義であることを暴露しなければなりません。キリスト教シオニズムは真のキリスト教徒の運動ではありません。なぜならそれはすべての人は神の似姿につくられ、キリスト教信仰の求める尊敬と尊厳に値するということを認めないからです。

平和への道の探求(第一部)

 米国長老教会の現職の教会総会議長であり、パレスチナ人として初めてこの地位に選ばれたファヘド・アブアケル師(博士)は、始めに真福八端の朗読を行い、平和を実現する人々になるようにという、神からのキリスト教徒への呼びかけを強調しました。アブ・アケル師はそれから、信仰に影響を与えた二つのことについて語りました。一つは母親の強い信仰そしてもう一つはアブ・アケル一家に滞在した二人の長老派のスコットランド人宣教師です。それからパレスチナとイスラエルのキリスト教徒のことをもっと広く知らせるために、米国のキリスト教徒はどうしたら良いかを話しました。アブ・アケル師は、キリスト教徒は、聖地のキリスト教徒の仲間が、自分の土地で人間らしく生活することができるように助けなければならないと訴えました。アブ・アケル師は米国のキリスト教徒が役に立つことができる六つの方法について語りました。

1. 各キリスト教宗派の指導部と交渉し、パレスチナのキリスト教徒についての情報をトップから地域の教会のメンバーと聖職者に伝える。

2. キリスト教徒は現状を自分自身で見ることによって、この問題についてより良く理解することができるようになる。アブ・アケル師はそれぞれの宗派が、少なくとも年に12回の聖地への視察旅行を計画するように勧めました。

3. 米国のキリスト教徒は、祈りのグループを始めたり、激励や支援を送ったりすることで、聖地のキリスト教徒のコミュニティーと関係を築かねばなりません。

4. 聖地のキリスト教徒の苦難について周知を図る。アブ・アケル師は議員による訪問や、職場、教会そして近隣の人々と情報を共有することの重要さを強調しました。師は特に、各々の参加者がこの状況を知らない10人の人と情報を共有することを勧めました。

5. パレスチナのすべての教会との姉妹教会を米国につくる。アブ・アケル師は、聖地の教会の苦難を現実のものとして感じなけれならないと述べました。

6. 最後の分野は教育です。アブ・アケル師は参加者がパレスチナの子どもたちのスポンサーになり、パレスチナの日常の経済状況についてもっと良く知るように勧めました。そして米国の医師には、パレスチナに行き人々の苦しみを直接自分の目で見て、支援を行うように勧めました。

 最後にアプ・アケル師は、米国がイスラエルと築かなければならない関係の例えとして、ダビデとナタンの話しをしました。ナタンはダビデを愛し、信頼しました。ナタンはまた、ダビデが誤りを犯した時、彼にそれを忠告しました。米国もイスラエルに対して、「あなたを愛している。そしてあなたの安全は大切だが、あなたがパレスチナに対して行っていることは間違っている」と言わなければなりません。

平和への道の探求(第ニ部)

 昼食の後、ミシェル・サバー・ラテン典礼エルサレム総主教聖下が、出席者にもう一度スピーチを行いました。サバー聖下は聖地のキリスト教徒を支援する上での教会の役割に焦点を当てました。サバー総主教は、現在は以前にもまして、教会がエルサレムの母なる教会との信仰共同体を活性化させなければならない時であると述べました。それから総主教は、今日母なる教会にとって重要な二つの要求についてのべました。それは、正義と日ごとの糧です。キリスト教徒は、正義の旗のもとイスラエルの政策に「干渉」し、なにが道徳的でなにが不道徳なのかをはっきり宣言しなければならないとサバー総主教は述べました。総主教は、世論がすべて「イエス」でも、キリスト教徒は「ノー」と言える勇気を持つように励ましました。 そして、キリスト教徒は、抑圧された者たちのために正義を要求しなければならないと述べました。自らをキリスト教シオニストと呼ぶ人々は正統でなく、キリスト教徒ではないと言いました。 キリスト教シオニストはキリストの教えに従っていません。サバー総主教は、「パレスチナ人であろうとイスラエル人であろうと、キリスト教徒はすべての人間に対して平等です」「この紛争は単にパレスチナとイスラエルの間の紛争ではなく、世界中に影響を与える紛争なのです」と述べました。総主教は参加者にキリストの模範に習い、すべての人と自分の敵をも愛するようにと念を押しました。母なる教会の2番目の大きな関心事は「日ごとの糧」すなわち生存です。総主教は、聖地にいるキリスト教徒は50,000人で、ボランティアが聖地のキリスト教徒の生計を支えるのはそれほど困難なことではないと述べました。総主教は、最近のインティファーダによって、聖地のキリスト教徒は見捨てられたかのように感じていると説明しました。総主教は、聖書に従わずに、聖書を自分たちの要求に合わせようとする政治指導者たちに注意するよう呼びかけました。総主教はまた、苦難の中にあるキリスト教徒と同じ信仰共同体の中に生きることは、米国のキリスト教徒の義務であると述べました。サバー総主教は最後に、今は戦時であり、行動計画が必要であると言って締めくくりました。総主教は、キリスト教徒のコミュニティーは、愛のために自分たちの兄弟姉妹を助けなくてはならないと述べました。総主教は、パレスチナのキリスト教徒と同じ信仰共同体に生きるための数々の具体的な方策をあげました。これらの具体的な方策には、児童スポンサーシップならびに雇用創出、住宅、緊急援助、教会パートナーシップ、聖地の贈り物等の色々な聖地キリスト教徒エキュメニカル基金のプログラムがあります。


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