エルサレムからのHOT NEWS
−イスラエル・パレスチナの紛争の解決を願って−

この記事はイスラエルより発信されている「NONVIOLENCE (非暴力)」のホームページより、製作者 ラエド・アブサリア神父様の許可を得て「聖地のこどもを支える会」で翻訳したものです。


オリーブ・ブランチ NO.174

『避けどころ』
−2002年10月10日 
マーセム・サンダース師、エリザベス・サンダース師

神は私たちの避けどころ、私たちの砦。
苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。
わたしたちは決して恐れない
地が姿を変え
山々が揺らいで海の中に移るとも
海の水が騒ぎ、沸き返り
その高ぶるさまに山々が震えるとも。

すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ。
神が御声を出されると、地は溶け去る。

  万軍の主はわたしたちと共にいます。
  ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。

主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。
主はこの地を圧倒される。
地の果てまで、戦いを断ち
弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。

「力を捨てよ、知れ
わたしは神。
国々にあがめられ、この地であがめられる。」

万軍の主はわたしたちと共にいます。
ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。  
    (詩編46篇:2〜4、7〜12)

 それは私たちにとって眠れぬ夜でした。銃の連射音と戦車の重苦しい軋み、イスラエル軍の拡声器ががなりたてるヘブライ語なまりのアラビア語が、絶えず夜を貫いていました。やっとまどろみかけたその時、爆発によって文字どおりベッドからたたき起こされました。カメラと借り物のスリッパをまさぐってつかんだとき、家主が私たちの無事と、窓が破壊されていなかどうかを確認するために部屋に飛び込んできました。「だれの家だったのかしら」と家主の奥さんが、びっくりしていてまだ眠たげな息子たちを抱き寄せて、窓の外の様子を伺いながら言いました。 私たちは外の様子を良く見るために二階に駆け上ると、何台かの戦車が、炎に包まれた隣家から轟音を上げて走り去って行きました。火が消え、戦車が去ってしまったあと、何が起こったのかを確かめに行きました。

 私たちの友人は、隣人をなぐさめました。この人たちは、午前3時に起こされ、家を退去して通りに留まるように言われました。夜中の絶え間ない拡声器からの放送はそのせいだったのです。 そして2、3時間の間、数十名もの近隣の男女や子どもたちが、兵士が爆薬を付近の建物に仕掛ける間待たされました。その建物はまだ入居していない、ハマスの活動家の父親の家だと告げられました。爆発によって、窓は破れ、ぶどう棚は破壊され、金属製のドアは柵を突き破り、隣家の石壁に損害を与えました。

 けが人は出ませんでしたが、私たちを含めて全ての人がショックを受けました。これは典型的なジェニンの日曜の朝です。たった1週間前に、僅か2、3ブロック離れた所で、私たちの学校の11年生が、自分の二人の妹と一緒に使っている部屋で宿題をしていたところ、戦車が表の通りを走り抜けざまに、外出禁止令を告げながら威嚇射撃を行いました。突然その「威嚇射撃」で放たれた銃弾が、その女の子の部屋の窓を貫き、ガラスを妹のベッドの上に撒き散らし、部屋の反対側の本棚と壁に命中しました。

 その生徒にけがはありませんでしたが、彼女と家族は非常なショックを受けました。町の向う側住んでいた別の生徒は、彼女ほど幸運ではありませんでした。外出禁止令下で窓を明けたところ、わき腹を撃たれました。治療を受けることを再三にわたり拒まれ、16歳のモハマド・ゼイドは出血多量で亡くなりました。それでも、これは聖地で取り立てたニュースも無い一日、にすぎないのです。戦争の騒乱の中で、避けどころはどこにあるのでしょう。

 ナブラスは、聖書で避けどころのシェチェムとして知られる都市ですが、息が詰まるような外出禁止令を4ヵ月もの間強制されています。学校は先月わずか2、3日しか授業ができませんでした。これは商業施設や礼拝所でも同様です。マーセムは、世界から、また国の中でも分断されているこの都市へ、医療物資と食料等の緊急物資が確実に届くよう手伝うために、そこで3日間を過ごしました。国際援助機関からの援助は、イスラエル軍部からはっきりと許可を得ている場合にでさえ、到着が保証されているわけではありません。今週、セーブ・ザ・チルドレンとカリタスからの二件の援助は引き返されました。ここでも夜明け前に爆発があり、目覚めた私たちはベッドから出て、窓際を離れました。ナブラスの友人たちはこの春と夏にもっと過酷な状況を経験していますが、この人たちとその子どもたちはいまだにショックを受けています。よろい戸の隙間から、誰もいない通りを戦車が徘徊し、砲塔を旋回させながら規則的に射撃を行い、拡声器から「家から出るな、さもなければ射殺する」という朝の命令を放送しています。私たちの聖公会の教会という避難所にさえも安全はありません。外壁はイスラエル軍の戦車によって破壊され、窓は銃弾と耳を聾するばかりのイスラエル軍の戦車とF16戦闘爆撃機の騒音によって割られています。ナブラスを取り囲むゲリジムとエバルの二つの山は、それらの音にこだまし、震えています。

 この二つの山が次第に近づいてくるような気がします。これが閉所恐怖症というものなのでしょう。マーセムが、砕かれ燃え尽きた廃墟の町を離れる際に、人影の絶えた通りを救急車で走り抜けました。緊急車両はナブラスに出入りするための数少ない手段の一つです。しかし、緊急車両も決して安全を保障されていません。過去2年の間に、イスラエル軍はパレスチナの救急車に対して、205回もの攻撃を加えて、ジェニンの赤新月社事務所の所長を含む医療スタッフ182名を死傷者させています。

母親(看護婦)の遺体を見て泣く4歳の男の子(ラファ) 争乱の中、避けどころはどこにあるのでしょうか。この記事を書いている間にも、イスラエルでの新たな自爆攻撃が伝えられています。少なくとも一人の婦人が死亡したそうです。一人の男が、テルアビブの近くでバスに乗り込んで、自分と全ての乗客を吹き飛ばそうとしたようです。たぶんガザで今週起こった16人のパレスチナ人の殺害に対する報復と思われます。幸運にも運転手と何人かの乗客が勇敢にもこの男を止めて、爆弾ベルトを爆発させないように押さえつけ、乗客を逃がすことができました。ほとんどの人は命からがら逃げ出しました。イスラエルのユダヤ人には恐怖が蔓延しています。次はいつどこで爆弾が爆発するのだろう。バスの中か、レストランか、それとも大学か。争乱の中で、避けどころはどこにあるのでしょうか。人類に対して今まで再三にわたって、ここかしこで示されてきたことは、避けどころは私たちの地上の国家や、家庭、体制、そして礼拝所にすらもないということです。これらのものは移ろいゆくものであり、脆弱です。それらは揺らぎ、震えます。私たちの本当の避けどころは、聖地にではなく、聖なる方とともにあります。響き渡る戦争の掛け声と、戦車の上げる轟音、爆弾の爆発音、鳴り響くニュースの中、私たちはじっとして、神は神であることを知るように命じられます。そして神は弓を砕き戦いの槍を折り、地上の戦う者たちに荒廃をもたらします。難民たちの世界にあって、詩篇を避けどころとし、その中に慰めを求めましょう。そこから、平和を実現する人々の一人となる勇気が私たちに与えられまように。私たちは大いなる恵みをいただくでしょう。

                        主の平和 マーセムとエリザベス

※マーセム・サンダースとエリザベス・サンダースは米国の長老教会牧師でパレスチナのキリスト教徒の村ザバブデで働いています。http://come.to/zababdeh


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