久米郁夫『日本型労使関係の成功』読後メモ

戻る (2001.8.26-)

 

「日本の労働は弱いという見解は、長らくの間日本の労働研究の通説であった。企業ごとに組織された企業別組合とイデオロギー的に分断された労働組合のナショナルセンターはいずれも労働者の統一した運動を推進する上での障害となり、日本の労働の弱さを宿命づけてきたとされる。(p11)。」本書は、このような「『弱い労働』という認識 (p. ii)」を覆そうとする意図の表明から始まる。著者は、このような認識に代わるものを提示するわけであるが、私には、これが、二通りの解釈の余地を残す形で書かれていて、あいまいさが残るように思える。

 著者の日本の労働政治観に関する第一の解釈は、日本の労働の影響力は強い、ないしは増大傾向にある、というものであろう。実際著者は、「本章では、職場において労働者が形成する熟練と企業内政治のダイナミクスの両者に基づいて、企業別組合が企業内意思決定に相当の影響力を行使してきたことを示した。組合は企業内影響力の維持に成功し、「労働」は企業の正当な構成員としての地位を保持しつづけたのである。(p.95)」「政治的連合形成と政策ネットワークの存在によって作り出された政治的機会構造は、日本の労働に自らの利益を実現するための政治的影響力を準備していたのである。….以上の検討は、分権的で企業レベルに重心を置き、全国レベルで水平的に分裂している労働運動であっても、政治経済内において影響力を行使する可能性を持つことを示している。(p.58)」と述べ、企業内レベル、全国レベルの双方で、「影響力」をもったということを強調している。

 しかしながら、この解釈で読み進むと、矛盾が生じてくる。

 企業内レベルについていえば、確かに、トヨタ、日産の例でも、企業に協力的な労組の出現にもかかわらず、「労働者の利益を実現(p.94)」したかもしれない。しかしながら、経営者、資本家もまた、利益を得ている。このような場合、労働者の影響力が拡大されたとも、経営―資本家の影響力が拡大されたとも、実現された利益からは判断できない。五章における石炭産業の例でも、同様であり、石炭産業保護を政府から勝ち得たことは、労働側の利益でもあるが、経営―資本側の利益でもあり、これだけから、労働者の影響力を判断するには無理がある。

 また、マクロな国政レベルについても、同様の問題が生じる。著者は、「労働運動の成功や組合の影響力を考慮する際に、それをとりまく『政治的機会構造』が分析されねばならない。…….労働にとっての政治的機会構造を二つの側面から見れば足りる。第1は、政治的連合形成である。労働組合が統治連合の中に労働組合がどの程度加われるかが問題である。第2は、労働組合の周囲に形成される政策ネットワークである。政策ネットワークは、一国内における社会と国家の間の制度化された関係である。政策ネットワークが政策形成過程での労働組合の参加をどれくらい保証するのか。労働組合に政策参加を許容するような制度は位置に関心がある。(p.52)」と述べ、理論的には、労組の影響力は、統治連合に加われるか、制度化された国家との関係を保てるか、の2点に依存しているとしている。しかしながら、著者のあげる事例を見ると、70年代においては、「自民党が労働組合の政治過程への参加に道を開放したことによって、労働にとって有利な政治的機会構造が出現し、組合が政治要求を実現することを容易にした。(p.181)」等、すでにある統治連合が受け入れてくれれば影響力が増大する、といったように、労組は受動的である。これでは、労働側も成果が得られたから自民党に取り込まれたわけではない、といったとしても、自民党もまた成果を得たわけであり、労組の影響力が増したかどうか、判断できない。つまり、労組の統治連合、政策ネットワークへの参加は、それじたい、労組とパートナーの相互利益を前提とするのであって、パートナーの影響力の強さ、交渉の巧みさを示すものなのか、労組の強さを示すものなのかは、判然としなくなるのである(この点は、恒川『企業と国家p.208と同じ)。おそらく、このような解釈で比較的無理が生じないのは、第六章4節で述べられる、労働時間短縮問題で、「労働の政策ネットワークの制度化が進んだ結果、組合は経営者団体の抵抗に打ち勝って政策上の勝利を収めることができるほどに政治的影響力を高めた(276)」事例であろう。この場合、経営者の反対を押し切ったのだから、労組には、経営団体以上の影響力があったと言える。しかしながら、このとき、労組のパートナーであった、労働省を中心とする政府もまた成果を獲得しているわけであり、政府が強いのか、労組が強いのかは判然としないことになる。

 このような著者の労働政治観解釈は、労働者という集団をその特殊利益を追求する政治主体とみなし、敵対集団の特殊利益を奪って、その特殊利益を実現する度合いを政治主体の強さとみなしている点で、著者の批判する立場と同じである。違うのは、そのように政治主体として設定された労働が強いと判断するか、弱いと判断するかの違いである。以上見てきたように、実際、著者がこのようなイメージで捉えていることを示す箇所もある。

 しかしながら、その一方で、著者は、労働者が特殊利益を追求する政治主体であることを所与とせず、合理的に利益を追求する主体が、労働者という小さい集団から、それを包摂する会社という共同体、さらには、反体制的な左翼を除いた日本の政治経済の総体という共同体へと移行していったという点も強調している。この線をつないでいくと、著者の見解に関する第2の解釈がなりたつ。この線に沿って読むならば、著者は通説の「労働が弱い」に対して、「労働が強い」と主張しているのではなく、「労働が」という前提、スタティックな主体観自体を批判し、主体形成のダイナミクスを見ることの重要性、合理性および主体のレベル上昇過程を見ることの重要性を主張しているということになる。

 企業内レベルについては著者は「『生産性の政治』すなわち労使が協力して生産性の上昇を追及し、労使対立を生産性上昇の結果増大する『パイ』の配分の問題に転換することによって解決していくと言う労使和解体制が日本においても高度成長期に成立していたことをこれらのデータは語っていると言えよう(p31)」「このようなプロセスを経て、日本の組合は企業内での活動を拡充させ、多くの民間製造業分野における企業内労使間に「生産性連合」と呼ぶべきある種の利益共同体を形成していった(p.50)。」と述べている。つまり、戦後期は、労働、経営―資本双方とも、ゼロサム的な争い(p.62)に陥らざるを得ない特殊利益を追求していたが、その後、次第に、労使ともに包摂する企業という共同体全体の一般利益である生産性の上昇を追求するに至り、ここで、企業という共同体が一つの利益共同体となったというのである。著者はここまでしか言わないが、私には、戦後期は、労働、経営―資本という企業の構成員のレベルに合理的目標があり、政治主体を設定できたが、企業内政治のプロセスを経て、高度成長期には、企業と言う共同体のレベルに合理的目標の所在が移り、企業こそが一つの主体となったのであって、この段階では、労使双方はもはや主体ではなく、主体たる企業の目標を達成するための役割を果たす構成員となった、と述べているに等しいように思える。労使のどちらが強いかはもはや問題ではない。問題は、合理的主体のレベル、利益認識のレベルが上方に転移したことである。

 また、70年代以降、マクロな全国レベルで、民間労組が経営者団体、自民党、政府と連携していく、「生産性の政治」の形成も、同様に、合理主体のレベル、利益認識のレベルの上方転移ととらえることができるように思える。つまり、政策ネットワークで結ばれた統治連合のなかで、誰が強いかを問うことは、第1の解釈で示したような問題が生じ、意味がないが、合理的主体のレベルがどこまで上昇したかという観点で見れば、統治連合、政策ネットワークの範囲をみることは有意義なことになる。

 このような解釈で読むならば、労働の影響力がいかに生じたか、を問うというよりも、日本はコンセンサス型の政治経済体制だが、このコンセンサスはいかに形成されたのか、を実質的には問うている、ということになる(前者の解釈だと問題が生じる以上、後者の解釈しか残らない?)。この場合、極めて、常識的な日本イメージに立っているともいえる。

久米郁夫『日本型労使関係の成功』読後メモ
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