加藤淳子『税制改革と官僚制』読後メモ (c)Tirom,2001

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  1. 議論の要約

税制改革と官僚制』は、まず、官僚個人、官僚組織の行動を説明する理論、与党代議士個人、与党組織の行動を説明する理論を提示し、さらに、「官僚が政策決定に影響力を持つ条件とは、落選する可能性の薄い与党エリート党員グループと官僚組織の間で、専門知識の共有に基づく強固な協力関係があることである」と主張する著作である。

  1. ミクロ的基礎:主体の行動と「合理性」
  2. 加藤は、個人の行動を説明する枠組みとして、「分析者が先験的に内容を指定した効用を最大化するように個人は行動する」という実質合理性に依拠した枠組みを用いない。かわりに、「各個人の効用の内容は、その個人を取り巻く環境・制度、特に組織が供与する認識、文脈に依拠する」とした上で、「その効用を最大化するように、各個人は行動する」という見方、すなわち、「限定合理性」に依拠した枠組みを提示する。

    このような、「限定合理性」に依拠した個人行動を説明するミクロ理論を用いる意義を、加藤は、制度学派の二つの立場の対立の止揚に求めている。制度学派の第一の立場とは、実質合理性に依拠した枠組みを用いる合理的選択論者であり、この立場では、個人の効用及びそれを最大化しようとする行動は、その個人を取り巻く制度、組織の文脈の制約を受けることなく、いつでも同じパターンをとると前提される。これに対して、制度学派の第二の立場である歴史社会学的新制度論は、広く行き渡った制度・規範・プラクティス等の生成と効果を分析の中心とするものであり、個人の行動は究極的にはそれをとりまく制度・規範・プラクティスに完全に一致し、拘束されているという前提に立つ。「全体の構造が個の目標、『合理性』のみを供与し、この目標を達成しようとする個の『合理的』行動が全体の構造を構成する」という半ば循環的な論理にたつことで、「限定的合理性」に依拠した行動理論は、「普遍的で動かしがたい性格を持つ個が、全体の構造を構成する」とみる第一の立場と、「全体の構造が個を構成する」とみる第二の立場の対立を止揚する。そして、ここに、「限定的合理性」に依拠した行動理論の意義がある、と加藤は主張しているようである。

  3. 官僚の行動分析枠組み
  4. 「限定的合理性」に依拠したパースペクティヴから、加藤は、官僚個人は、官僚組織が供与する、決定、選択、認識における何らかの前提に基づく「合理性」にしたがって行動するとみなす。ここから、官僚各個人が、官僚組織共通の目標のために協力して行動すること、すなわち、組織利益と呼べるものが存在し、官僚各個人の行動の総体が、組織としての「合理的」行動をしているとみなせる条件を、官僚組織全体の属性に求めることになる。このような条件を満たす、官僚組織全体の属性とは、成員を全体の利益にしたがって行動させるような効率的な動機付けの存在と、共通の選好を形成する、リクルート方式、組織内社会化、組織内教育等のメカニズムの存在である、と、されている。また、政策決定過程における組織ルールの目標は、組織の権力、権限の拡大と、政策決定に専門的知識に基づいた効力を加えること、であると、される。

    また、官僚組織が、政策決定に影響を及ぼして組織利益を獲得する手段は、政策情報、知識の独占のみでは不十分であり、専門知識をみずからの組織利益を通すにあたって都合のよいように使用、提示する戦略的方法、および、自らの組織利益に反対する勢力を懐柔する戦略的方法(政策提案のうち、組織利益に鑑みて重要でない部分から妥協し、組織利益に鑑みて不可欠な部分を守り通す)であると言う。

    加藤が検討した税制改革の事例では、大蔵省が、中心的な役割を果たす官僚組織である。大蔵省では、その内部組織の属性から、官僚各個人の行動の総体は、その省益を一体となって追求するように行動できた。その、省益とは、大蔵省が予算をコントロールしつづける条件を保ちつづけることである。付加価値税の導入という税制改革案は、この省益を維持するのに不可欠であるとみなされ、社会的な強い反発の存在にも関わらず、組織的な目標として、追求されることになった。

  5. 長期与党の行動分析枠組み
  6. 長期与党の議員の目標は、自らの選挙区有権者の利益を代表することで再選することだけではなく、政策通であるという評判を高めることによって政策決定に関わる与党内および官僚制に対する影響力を増大することでもあると、加藤は考える。ここから、当選回数の少ない陣笠議員ほど、地元選挙区の基盤が弱く、みずからの再選という目標が重要となるので、有権者の短期的利益の実現を行動の目標としやすい。一方、当選回数が多く、地元選挙区の基盤の強い議員ほど、みずからの再選という目標の重要性が低下するので、政策通であるという評判を高め、政策決定者内部での影響力を高めることを、行動の目標としやすい。このような目標をもつ議員は、官僚以外に政策ブレインがいない場合、官僚の政策観、提案を受け入れやすい。

    このように、与党議員は、異なった目標をもつグループから構成されるが、前者の陣笠議員は、党のハイアラーキーの下層にあり、後者の議員は、党のハイアラーキー上層にある。したがって、党内ディシプリンの強い、自民党のような政党では、結局は、後者のような、政策通としての評判を高めようとする議員の目標・行動が、党組織としての目標・行動となりやすい、ということになる。

  7. 官僚の影響力: メカニズム
  8. 政策決定において、官僚機構がみずからの省益を実現させる条件とは、何か。加藤によれば、その結論は、官僚機構が、落選する可能性の薄い与党エリート党員グループと官僚組織の間で、専門知識の共有に基づく強固な協力関係があることである。加藤は、さらに、これが成立する条件も考察している。その第一は、官僚機構側に、省益に関する、レベルの高い合意が存在していることである。その第二は、与党政治家−官僚間の専門知識の共有の条件に関わるものであり、専門知識体系が両者間で同一であること、党内のディシプリンが強いこと、である。

  9. 官僚の影響力:その測定

官僚の影響力の有無は、実証的には、どのように観察されるのか。官僚は、みずからの省益を実現するための戦略として、妥協することもある。したがって、分析者は、このような折り込み済みの妥協と、省益実現にあたって不可欠なことがらの不本意な妥協とを区別しなければならない。これを踏まえた上で、以下のような基準で、官僚の影響力の存在は実証的に判断されると、加藤はいう。

  1. 政策の変化が、重要な政策的政治的インパクトを持つこと。
  2. 政治的妥協が行われた結果、実現された政策結果が官僚組織の利益と合致すること。
  3. 反対集団が官僚によって提案されたものと異なる政策を支持していること

(4) 結果が、官僚の行動なしでは起こりにくいものであること。

  1. コメント

    1. 記述が目的なのか、因果関係の特定が目的なのか
    2. (読みが不足しているためもあるが)アリソンのモデルのような、現象を記述するための言語の供与をねらって書かれたのか、それとも、理論的に、因果関係を考え、それが、妥当性をもつのかどうかを検討するために書かれたのか、今一つ判然としない印象を受ける。現象の記述を主たる目的とするのであれば、あまりにも、筆者の考える枠組み、理論に無理にはめ込みすぎていないのかと、不安になる(理論によって、歴史的事実を説明することはあってはならない。なぜならば、理論の妥当性が確定することはなく、理論はつねに事実によってテストされるものであるはずだからである)。また、因果関係の検討であれば、要因が発生した場合と発生しなかった場合で、結果に優位な差がでることを示さなければならない。その場合、結果の差が偶然以上のものであることを示すためには、より多くのケースの比較が必要であろう。

      pp.246-251を見ると、因果関係の検討のようにおもえる。しかし、今一つ割り切れない感じが残る.....)

    3. 限定合理性

「限定合理性」に依拠して、官僚の目標等を社会的文脈から判断するという方法が、本書の斬新な点の一つになっている。理論的には確かに斬新な論理で構成されている。しかし、実質的には官僚の目標を帰納的に特定化し、他の集団との対立の中でその実現度を見るという方法をとっており、これは、KrasnerDefending the National Interests(pp.42-45)でとられた方法(inductive approach) とそれほど変わらない印象を受ける。(もちろん、仮説の内容はまったく異なる)

加藤淳子『税制改革と官僚制』読後メモ (c)Tirom.2001

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